スマートフォン版へ

手塚師&フィエールマンが恩返しVへ「昨年勝った時よりもいい」

デイリースポーツ
  • 2020年04月29日(水) 14時25分
 フィエールマンで史上5頭目の天皇賞・春連覇に挑む手塚貴久調教師(55)=美浦。決戦を前に、指揮官がポツリとつぶやく。「連覇はいつ以来?キタサンブラック(16、17年)、関東馬だったらフェノーメノ(13、14年)か。でも、目指したいのはライスシャワー(93・95年)だな。自分は飯塚(好次元調教師)一門だからね」。そう、手塚師にとって、ライスシャワーを管理した飯塚元調教師は特別な存在だった。

 物語は30年近く前までさかのぼる。父・佳彦さんは、北関東の足利競馬(03年に廃止)で調教師をしており、当時の日本記録である29連勝を飾ったドージマファイターを管理していたことでも知られる。幼い頃から競馬に近い環境で育った手塚師だが、当初は父の仕事を継ぐつもりはなかったという。「大学4年の時に就職活動して、一般企業の内定ももらっていました。確か当時はバブルの最盛期でしたね」と昔の記憶を呼び起こす。

 サラリーマンの道を歩む将来に傾きつつあった貴久青年だったが、そこで伯父である飯塚好次調教師に助言を受け、人生の転機を迎える。「お父さんの仕事を悪く言うわけではないけど、やるなら華やかな舞台でやった方がいい。中央(JRA)の調教師を目指しなさい」-。その言葉を胸に一大決心をした。既に決まっていた内定を蹴り、競馬の世界に飛び込んだのだ。

 西山牧場で1年間の修行を経てからトレセン入り。相川勝敏厩舎〜佐藤林次郎厩舎〜佐藤全弘厩舎で調教助手としてキャリアを積み重ね、98年に調教師免許を取得し翌99年に開業。そして現在に至るまでJRA通算522勝(4月26日時点、G1・5勝を含む重賞25勝)を挙げ、関東を代表するトレーナーの座に上り詰めた。

 人生の恩人とも言える飯塚師が手がけた管理馬の出世頭がライスシャワーだ。92年ダービーで16番人気の低評価に猛反発して2着すると、同年の菊花賞ミホノブルボンの三冠達成を阻止してG1初制覇。翌年の天皇賞・春ではメジロマックイーンの三連覇を阻止し、2年後の同レースで劇的な復活V-。ドラマチックな名馬に「直接関わったわけではないけど、本当にいい馬だった」と思いをはせる。

 自身を馬の世界に導いてくれた飯塚師は、昨年11月に86歳でこの世を去った。「(フィエールマンの)状態に関して言えば前走の有馬記念よりいいし、昨年勝った時よりもいい」と胸を張った手塚師。たくましくなった馬体に平成の名ステイヤーの姿を重ねながら、連覇を恩人にささげるつもりだ。(デイリースポーツ・刀根善郎)

提供:デイリースポーツ

みんなのコメント

ニュースコメントを表示するには、『コメント非表示』のチェックを外してください。

ミュート・コメント非表示の使い方
  • 非表示をクリックし「このユーザーの投稿を常に表示しない」を選択することで特定のユーザーのコメントを非表示にすることができます。(ミュート機能)
  • ※ミュート機能により非表示となった投稿は完全に見えなくなります。このため表示件数が少なく表示される場合がございますのでご了承ください。なお、非表示にしたユーザーはマイページからご確認いただけます。
  • 『コメント非表示』にチェックを入れると、すべてのニュース記事においてコメント欄が非表示となります。
  • ※チェックを外すと再びコメント欄を見ることができます。
    ※ブラウザを切り替えた際に設定が引き継がれない場合がございます。

アクセスランキング

注目数ランキング

ニュースを探す

キーワードから探す