3月から調教師に転身する
福永祐一騎手(46)=栗東・フリー。現役ラスト騎乗が刻一刻と迫るなか、時代を彩った名馬やレースとともに、希代のスター騎手となった彼のヒ
ストリーを全8回の連載で振り返る。
◇ ◇
デビュー2年目の97年。福永は
キングヘイローと出会う。
同馬の父は86年
凱旋門賞などG1・4勝を挙げ、当時の欧州最強と呼ばれた
ダンシングブレーヴ。また、母は88年ケンタッキー
オークスなど米G1V7の名牝
グッバイヘイロー。デビュー前から評判だった世界的良血馬の手綱を任されると、期待に応えて新馬戦-
黄菊賞を連勝した。
続く東スポ杯3歳S(現・東スポ杯2歳S)では中団からじっくりレースを進めると、うなるような手応えで4角を回り、直線楽々と抜け出して2馬身半差の完勝劇。福永にとってはデビューから1年9カ月でのJRA重賞初制覇となった。ゴールを前に早々と左手で
ガッツポーズした鞍上は、「本当は右手でやりたかったけど、ステッキを持っていたので…。馬には余裕がありましたが、人間に余裕がありませんでしたね」と初々しく振り返っている。12月のラジオたんぱ杯3歳S(現・京都2歳S)2着で初めて黒星を喫したが、この年の戦績は4戦3勝。翌春のクラシックに向けて順風満帆のスタートを切った。
3歳初戦は
トライアルの
弥生賞へ。この年のクラシックで“3強”を形成した
スペシャルウィーク、
セイウンスカイとの初対戦。ファンは単勝1番人気に支持したが、追いだしてからの反応がイマイチで、2頭には完敗の形に終わった。「勝ち馬から4馬身(半)差は、『本番』へ向けてちょっとピンチですね…」。レース後に語った言葉に大きなショックの跡がうかがえた。
しかし、クラシック初戦の
皐月賞で人馬が意地を見せた。好スタートを決めると、道中は課題の折り合いも十分。逃げた
セイウンスカイを直線で猛然と追い詰め、
スペシャルウィークの追い上げを封じ込めて2着に入った。「馬はすごく良くなっていたのに…」。胸中には当然、悔しさはあった。それでも、『本番』への手応えはしっかりと感じ取った。
そして迎えた運命のダービー。しかし、夢見た晴れ舞台での騎乗は、まさかの結末に終わる。「緊張にのまれて、頭が真っ白になってしまった」-。大勢の観衆がスタンドを埋め尽くし、熱狂に包まれた異様な雰囲気の中、スタート直後から折り合いを欠き、キャリア初となる逃げの形に。最後の直線で力は残っておらず、ズルズルと失速。「馬群にのみ込まれる時、自分で馬から降りたいと思ったほどだった」。14着と大敗。夢舞台が一転、悪夢となった。
その年の
有馬記念を最後に、主戦の座を外れることになった。だが、騎手としてキャリアを重ねても
キングヘイローの存在は常に心にあった。“相棒”のG1初制覇となった00年
高松宮記念は、2着
ディヴァインライトの馬上で見届けた。「やっとタイトルが獲れて良かった」。ようやくつかみ取った栄冠に、心から賛辞を贈った。
キングヘイローは19年にこの世を去ったが、その2年後にドラマが待っていた。21年
スプリンターズSを、母父に
キングヘイローを持つ
ピクシーナイトで優勝。「
キングヘイローの血が入った馬でG1を勝てて最高にうれしい。ようやく恩返しができたんじゃないかな」。偽りのない言葉だった。
調教師試験の合格者発表記者会見で、「多くの馬が自分を育ててくれた」とこれまでの騎手人生を振り返った福永。間違いなく
キングヘイローも、その大切な一頭だった。
提供:デイリースポーツ