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後の名種牡馬、名繁殖牝馬がズラリ! ジャパンCに参戦した凱旋門賞馬を振り返る

  • 2023年11月20日(月) 18時45分
 07年から16年連続でJRA勢が馬券圏内を独占しているジャパンカップ(3歳上・GI・芝2400m)だが、創設当初は外国馬の天下だった。そんな時代を盛り上げたのが、最近ではすっかり見かけなくなった凱旋門賞馬の参戦だった。

 凱旋門賞馬として初来日したのは88年のトニービンだった。主にイタリアで活躍し、4歳時の凱旋門賞はトランポリーノの2着。5歳時にも再挑戦して、1番人気のムトトをクビ差抑えて優勝した。その後、ジョッキークラブ大賞(2着)を挟み、ジャパンCは2番人気で5着。この一戦を最後に引退して、社台スタリオンステーションで種牡馬入り。ウイニングチケットジャングルポケットベガエアグルーヴなどの名馬を輩出し、サンデーサイレンスブライアンズタイムとともに平成の競馬シーンを引っ張る存在となった。

 トニービンを契機として、凱旋門賞馬の参戦が続いた。翌89年のキャロルハウスはレース前に購入した吉田善哉氏の勝負服で走り、ブービーの14着に大敗。トニービンに続いて、91年からは社台スタリオンステーションで種牡馬となった。93年にはアーバンシーが牝馬の凱旋門賞馬として初来日して8着。後にガリレオやシーザスターズなど、歴史的名馬を輩出する名繁殖牝馬となっている。

 96年のエリシオ凱旋門賞馬として初めて1番人気に支持されたが3着(同着)。この馬も翌98年から社台スタリオンステーションにスタッドインしている。そして20世紀最後の参戦となったのがモンジュー凱旋門賞で日本のエルコンドルパサーを倒したことで、抜群の知名度を誇っていた。レースでは1番人気に支持され、スペシャルウィークとの一騎打ちが期待されたが、伸びを欠いて4着。陣営は調整不足を敗因に挙げた。

 この頃から日本馬が外国馬を圧倒するようになり、凱旋門賞馬の遠征は減少する。21世紀になって最初の参戦は、モンジューから6年が経った05年のバゴ。前年の勝ち馬として挑んだが、自身初の掲示板外となる8着。その後は日本で種牡馬となり、クロノジェネシスビッグウィークを送り出している。さらに5年後、11年にはデインドリームが1番人気に支持されたが6着。翌12年のソレミアはジェンティルドンナから1秒6差の13着に大敗した。

 ソレミアを最後に今年まで11年連続で凱旋門賞馬は参戦していない。それどころか、19年に至っては外国馬の参戦自体がなしという異常事態だった。同じ2400mでも全く異なる馬場、10月のブリーダーズCと12月の香港国際競走に挟まれた施行時期など、難しい問題も多々あるが、以前のように超大物が来日してくれる日を心待ちにしたい。

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