「伏兵の大逃走V」をテーマにファンの声を聞けば、
プリテイキャストや
メジロパーマー、
クィーンスプマンテなどとともに、名前があがることは間違いないだろう。ちょうど20年前の2004年5月2日の
天皇賞(春)。
横山典弘騎手に導かれ、
イングランディーレが7馬身差の逃げ切りを決めた一戦を振り返りたい。
単勝オッズが10倍以内の4頭は全て4歳馬だった。1番人気の
リンカーン、2番人気の
ネオユニヴァース、4番人気の
ゼンノロブロイは
サンデーサイレンス産駒、3番人気の
ザッツザプレンティは
ダンスインザダーク産駒。当時、全盛だったSSの血を引く馬が中心と目されていた。一方、
ホワイトマズル産駒の
イングランディーレは、ダートの
ダイオライト記念(2着)からの転戦。前年には芝の
日経賞を制していたが、単勝オッズ71.0倍の10番人気という超伏兵だった。
そんな状況に燃える男がいた。このレースで初コンビとなった横山典騎手である。
イングランディーレの持ち味、そして相手を分析し、導き出した策が逃げ、それも大逃げだった。五分のスタートから押して押してハナへ。2番手以下との差を徐々に開いていく。向正面の半ばでは、2番手の
アマノブレイブリーとの差は約4秒、後方の
ネオユニヴァースとは100m以上の差があったはずだ。まさに一人旅で、後続の騎手が「まずい!」と思った時には遅かった。ラスト2Fを12秒1、12秒4でまとめて7馬身差の逃げ切り。してやったりとばかりに、横山典騎手は左手で
ガッツポーズを見せた。
GI馬となった
イングランディーレだが、その後も個性的な道を歩むこととなる。次走には英アスコット競馬場で行われる伝統の一戦・ゴールドCを選択。
天皇賞(春)と同じようにハナを奪ったが、大逃げは叶わず9着に敗退した。帰国初戦の
ブリーダーズゴールドCで2着の後、左前浅屈腱炎を発症。復帰後に4戦したが、勝利には手が届かず引退。韓国で種牡馬となり、20年12月12日に老衰のためこの世を去った。その血は代表産駒の12年コリ
アンダービー馬チグミスンガンなどを通し、異国の地で広がっていく。