15頭立て。だが、実質は2頭の競馬だった。自分のレースに徹した
メジロマックイーン。そのマックイーンだけを見ながらレースを進めた
ライスシャワー。希代のステイヤー2頭による名勝負は
ライスシャワーの2馬身半差完勝に終わった。
メジロマックイーンは90年
菊花賞を勝ち、91、92年
天皇賞・春を連覇。91年
天皇賞・秋での失意の18着降着はあったが、3000メートル超での安定感は群を抜いていた。
一方の
ライスシャワーは92年
菊花賞で
ミホノブルボンの3冠を阻んで優勝。直後の
有馬記念は8着に敗れたが、年明けは
目黒記念2着、
日経賞1着とベクトルを上げ、この
天皇賞・春に挑んできた。
レースは今見てもしびれる。
メジロパーマーの後続を離した逃げは予想通り。
メジロマックイーンは4番手付近で自分のペースを刻んだ。その直後。マックイーンの尻に鼻が付きそうなくらいの位置に
ライスシャワーがいた。
2周目の4角を迎える。内から
メジロパーマー、
メジロマックイーン、
ライスシャワー。おのおのが首差くらいで並んでいた。こうなれば追う者の方が強い。
残り300メートル付近。マックイーンがパーマーをパスしようとした瞬間、外から
ライスシャワーが2頭をまとめてかわした。黒鹿毛の弾丸がグッと前に出る。完勝だった。
京都はいわばマックイーンのホーム。何ともいえないどよめきが広がった。
ミホノブルボンの3冠が成らなかった時を思い出させる「ああー」という空気。今度はマックイーンの3連覇を止めた。
ライスシャワーはまさに関東の刺客だった。
「
ライスシャワーがマークしていることは分かっていた。自分の競馬はできたが相手が一枚上だった」。
武豊騎手は完敗を認めた。
的場均騎手(現調教師)は派手に喜びを表現することなく淡々と報道陣の質問に答えていた。「全てが思い通りだった。相手はマックイーン1頭に絞っていた。道中もマークしたし、4コーナーでマックイーンの直後に取り付くことができた時、いけると思った」
もちろん、たまたまマークが決まったわけではない。準備は周到だった。事前に栗東入りしていた
ライスシャワー。6ハロンで80秒を切る猛デモを敢行した。自らも栗東入りした的場のムチが2発飛んで5馬身先着。レース当日は12キロ減。究極まで絞って切れ味を磨いた。
前日に東京で騎乗した的場は土曜夜に京都駅に着いた。そこで雨が降っているのを見て落胆した。「重馬場ならマックイーンを倒すのは難しい」。パワーで押すマックイーンに対し、スピードと切れで対抗しようと考えていた。だからこそ追い切りで馬をいじめ抜いた。水を含んだ馬場ではプランが根本から崩れる。
調整ルームで的場はほとんど眠れなかった。何度も部屋の窓を開けた。雨はやんだようだった。馬場が乾くには風が必要だ。祈るような気持ちで風を待った。
何ということだろう。早朝から強風が吹き始めた。風速7メートル。芝は、やや重から天皇賞(10R)前の9Rの時点で良に回復した。
追い風をいっぱいに受けた的場と
ライスシャワー。淀の直線で430キロのボディーを目いっぱい躍らせ、3分17秒1のレコード(当時)で駆け抜けた。
スポニチ