▲ 先頭に立ったのもつかの間、サクラローレルの前に屈した1996年天皇賞(春)
第7章 エピローグ 〜競馬が持つ原初の興奮とは
レースそのものが見る者に与えた感動とはまた別の話になってしまうが、ナリタブライアンとマヤノトップガンの2頭それぞれにとって、この阪神大賞典での走りがどんな意味を持ったのかは、時間が経つほどに冷静に整理されていった。
後日、改めて振り返った感想としてナリタブライアンの武豊騎手、マヤノトップガンの田原騎手に共通していたのは、もしナリタブライアンが本当に全盛期の能力に戻っていたならば、あんな接戦にはならなかったのでは、という推測だった。
ナリタブライアンの大久保調教師は「復活」の喜びに浸っていたのはゴール直後だけで、その日のうちには「ひとつの関門を通過しただけ。まだ先がありますから」と表情を厳しくしていた。
マヤノトップガンの坂口調教師も「強い馬が復調したということでしょう」と敗戦を冷静に受け止め、愛馬についても「あくまで前哨戦の仕上げで、調整不足のなかでよく走ってくれました」と分析。そうした関係者のクールな態度は、いかにレース内容が素晴らしくとも、やはりこの阪神大賞典はGIではなく、あくまでもGIIなのだということを思い出させた。
阪神大賞典から約1カ月半後。“本番”の天皇賞(春)ではナリタブライアンが単勝1.7倍の1番人気、マヤノトップガンが単勝2.8倍の2番人気となった。レースは、またもや早めに動いて4コーナーで先頭に立ったマヤノトップガンに、マークするように進んだナリタブライアンが並んで直線を向く展開に。あの「マッチレース」の再現かという期待は、しかしすぐに泡と消えた。