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【角居勝彦物語】「教会を継ぐ前に、社会に出て自分の力を試したい」/第1回

  • 2021年02月11日(木) 18時02分
角居調教師引退特集

▲名トレーナーはいかにして生まれたのか?そのルーツに迫る (撮影:桂伸也)


今月いっぱいで引退を迎える角居調教師の活躍をたどる特集。今日から始まる第一部では、“角居勝彦”その人に焦点を当て、ホースマンとしての半生を振り返り、リアルな人物像とトップトレーナーたる思考に迫っていきます。

新たな試みで競馬界を驚かせ、魅力的なスターホースでファンを沸かせ、日本にとどまらず世界にまでその名をとどろかせた角居調教師。名トレーナーはいかにして生まれたのか?

(取材・文=不破由妃子)

※この取材はテレビ電話で実施しました。

【第一部】名トレーナー誕生秘話『角居勝彦物語』(2/11〜2/16)
【第二部】関係者たちが証言“角居勝彦のスゴさ”(2/17〜2/24)
【第三部】引退直前、角居調教師からのラストメッセージ(2/25〜2/26)

初めて馬に跨ったのは繁殖厩舎の当て馬


 2018年1月6日、衝撃のニュースが競馬界を貫いた。

「角居勝彦調教師、2021年2月をもって調教師免許を返上」──。発表当時、角居は53歳。定年まで17年という歳月を残し、“世界のスミイ”が競馬界を去るというのだ。

「(武)豊さんがわざわざ『本当なの!?』と聞きに来ましたよ」と、発表当時を振り返る角居。寝耳に水だった人々にとって、それはまさしく惑乱だった。あの衝撃から3年が経ち、いよいよ今月いっぱいで角居勝彦厩舎は解散となる。角居の調教師としての実績は、今さら振り返るまでもないだろう。ここでは角居勝彦その人に焦点を当て、ホースマンとしての半生を振り返り、リアルな人物像とトップトレーナーたる思考に迫っていきたい。

 勇退の理由として報じられたのは、「家業である天理教の教会を継ぐため」。聞けば、調教師になる以前から考えていたことだという。

「教会を継ぐという意志は、馬の世界に入る前からありました。兄弟がいますが、“祖母の教会を継ぐのは、俺しかいないんだろうな”という気持ちがずっとあったんです。ただ、『社会に出ることなく、一度も自分を試さずに、お布施だけで生きていくのか』という言われ方をしたこともあって。

 もちろん、それも間違いではないんです。でも、当時は親父も元気だったし、まずは一度、社会に出て、力試しをしてみようと。大学受験に失敗したタイミングでもあったので、仕事をするとしたら動物に関わる仕事がいいなと思っていたこともあり、父の知り合いの伝手でグランド牧場に就職しました」

 競走馬を扱う牧場に就職するということは、少なからず馬が好き、あるいは競馬が好きという動機を思い浮かべるが、意外なことに当時の角居は、競馬についてほとんど知識がなかったという。

「競馬が好きな人にとっては不届きものですよね(笑)。将来の目標もとくになくて、牧歌的な環境でのんびりできるんだろうなと思っていたくらいですから。

 でも、現実はまったく違った。最初に跨ったのは繁殖厩舎にいた当て馬で、僕の馬乗りは、当て馬から繁殖牝馬に乗っていくというトレーニングから始まりました。今でも覚えていますが、ただただ怖かったですよ(笑)。斜面に設けられた放牧地で『四角く速歩(はやあし)をしてこい』と言われたり、とにかく普通の乗馬の習い方ではなくて、根性で乗り切るしかありませんでした」

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1964年3月28日、石川県生まれ。JRA栗東所属の調教師。競馬学校を卒業後、中尾謙太郎厩舎及び松田国英厩舎で調教助手を務め、2001年に厩舎を開業。その後、カネヒキリ、ウオッカ、エピファネイアなど多くのGI馬を管理してきたと共に、海外競馬でもデルタブルース、シーザリオ、ヴィクトワールピサなどのGI馬を輩出。

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