『罪ほろぼし』という名の校正作業へ
去年6月、当コラムに3週連続で競馬場の左回りと右回りに関する話を書きました。
それをキッカケにあれこれ調べ始めてわかったことがかなりの分量になったので、ただいま『週刊競馬ブック』に特集記事を連載中です。
2月14日発売号から隔週4回シリーズで、次の3月14日発売号が第3回。そこには幕末に横浜のイギリス軍駐屯地で行われた競馬や、上野・不忍池、松戸、盛岡、札幌競馬場のことなどを記しています。
この連載を書くのにいろいろ調べている中で、とんでもないことが見つかってしまいました。去年の当コラムに書いた内容に誤りがあったのです。
それは、昭和の初め、澄宮(後の三笠宮)殿下が札幌競馬場で同競馬場特有の左回りレースをご覧になった、という件。その日付を1931(昭和6)年8月14日と書いてしまいましたが、正しくは翌年の1932(昭和7)年8月14日でした。たいへん申し訳ありません。お詫びして訂正いたします。
前年同日にも札幌競馬が開催されていて、両年の同じ日付けの新聞コピーを見ながら原稿を書いていたところ、“年”を取り違えてしまったようです。
そして、こともあろうに、ウィキペディアの「札幌競馬場」の項には、そのコラムを参考文献とした解説文が載っていました。これをお読みの方の中にウィキペディアを編集できる方がいらっしゃいましたら、該当する部分を即刻修正していただきますよう、お願いいたします。
みなさんもすでにお気づきでしょうが、不肖私、もともとそそっかしい人間です。今回のようなことは過去にもありましたし、まだ見過ごされていることがあるかもしれません。最近、“うっかりミス”が多くなっているという自覚もあり、自己嫌悪感を強めているところです。
当コラムの連載は今回を含めてあと3回。まだ確かめてはいませんが、4月以降は「連載終了コラム」欄に収められるのでしょうか?
となると、私の“性質”からして、バックナンバーの中に他にも間違いがあるはず。それらを直していかなければいけませんね。
何しろ札幌の話のように、内容に正確性が求められることもあるので、間違いをほったらかしにしておくわけにはいかないでしょう。許されるのであれば、4月以降、連載終了を新たなスタートとしてバックナンバーの“校正作業”を始めようかと思っています。
約14年、700回分の中身を見直すのにどのくらいかかるかわかりませんが、そこで見つかった間違いを直していくことで、“罪ほろぼし”とさせていただければ幸いです。
ただ、文章は直せたとしても、過去の生放送や生配信で喋った言葉は直せません。今の仕事を続ける限り、自己嫌悪感を味わっていくことになるんでしょうね(泣)。