在りし日のミホシンザン(2014年7月18日撮影)
昭和生まれの名馬たちが一頭、また一頭とあの世に往ってしまう。何ともさびしい限りである。
長らく五冠馬シンザンが持っていたサラブレッドの長寿記録を更新したと報じられたのが、現在、長野県のスエトシ牧場で繋養されている「シャルロット」という馬である。 去る8月29日付けスポーツ紙などで健在ぶりが紹介され、遍く知られることになった。
35歳3か月12日で、シンザンの記録を更新したのが8月26日のこと。それから今日まで3ヶ月半ほど経過しており、もしこのまま健在ならば、今週末には35歳7か月を迎える。生年月日は1979年(昭和54年)5月14日とされており、来年の誕生日には実に36歳にもなる。
とはいえ、五冠馬シンザンの記録は長らく、サラブレッドの長寿記録として光り輝くものであった。その晩年の傑作とも言うべきミホシンザンもまた長寿馬として知られ、32歳の今年も元気で過ごしていたのだったが、ついに去る12月4日早朝、心不全によりこの世を去った。
前日までは元気だったという。繋養先の(有)谷川牧場代表・谷川貴英氏によれば「夏からやや脚元が弱り、歩様がおぼつかなくなってきたので、放牧地を入れ替えて、厩舎から近いところに放していました。前の日も普通に放牧して終日外で過ごし、夕方に馬房に入れたんですが、翌朝行ってみると馬房の中でこと切れていました」とのこと。
前日まで元気でも、如何せんサラブレッドにとって32歳は大変な高齢である。ファン心理としては最高長寿馬としても偉大な記録を残した父シンザンの姿をつい重ねてしまう。そして、父の記録に一日でも近づき、並ぶくらいまで長生きしてほしいと願っていた人が多かったはずだが、30歳を過ぎると、一日一日が迫りくる死との闘いとなる。一見、健康そうに見えていても、運動機能も消化機能にも衰えが著しくなり、やがて力尽きる。
私も、これまでそばを通りかかるたびに「元気でいるだろうか」と視線を向けるのが常であった。夏の間は谷川牧場の本場に通じる道路沿いの並木の真下にいて、太陽光線をしのぎながら静かに佇む姿を何度となく目にした。高齢馬にとって暑さは大敵だから、木陰があると楽なのである。いくら北海道の夏が冷涼といっても、やはりジリジリと照りつける日差しは堪える。放牧時間の多くをいつもの“定位置”に佇み、そこからあまり動かなかった。
ふと思い立って、写真を撮らせてもらったのが7月18日のこと。たまたま通りかかった際に何気なくミホシンザンのいる放牧地に視線を向けると、珍しく日向に出て草を食んでいるのが見えた。思わずそこに車を止め、首を上げるのを待った。できることなら歩いている場面を撮りたいと思い、しばらく時間をかけることにした。昼過ぎの午後2時頃である。この時は体調が良いのか、ずいぶん精力的にあちこち歩き回り、立ち止まっては草をつまみ、また次のポイントを探して移動することを何度か繰り返してくれた。
あちこち歩き回っていたミホシンザン
高齢馬の場合、自然な姿で「動きのある写真」を撮るのは相当難しい。たいていはじっと一か所に立ち尽くしたまま動かずにいるか、草を食べるために首を下げた状態でいる。牡馬(せん馬も含め)の多くは単独放牧なので、他馬から追われることもない。そのためにできるだけ動かない生活になりがちだ。まして32歳である。背景がなるべくスッキリと抜けているような角度にミホシンザンが移動してくれるのを待ち、やっと何枚かシャッターを押すことができた。
腹の下に虻が何匹も止まっているのが確認できた。高齢になると首をのばしたり尻尾を振ったりして虻を上手に追い払うこともままならなくなる。とはいえ、痩せてきているものの、毛艶は悪くなく、思ったよりも元気そうなので安心した。足取りも割にしっかりしているように見えた。おそらくこの頃までは、何も問題なかったのだろう。
この後、放牧地を替えて、より厩舎に近いところに放牧されるようになったのは前述の通り。おそらく、夏が過ぎてから、秋以降急速に衰えが進行したのだろうと思われる。
ミホシンザンは1982年(昭和57年)生まれ。周知の通り、皐月賞と菊花賞、天皇賞(春)を制した名馬である。ミスターシービー、シンボリルドルフなどとともに、昭和時代の晩年を盛り上げてくれた偉大な馬であった。
谷川牧場に設置されていたミホシンザンの献花台
こうして昭和生まれの名馬たちが一頭、また一頭とあの世に往ってしまう。何ともさびしい限りである。