今朝、メジロライアンが亡くなりました。思わず、生産したメジロ牧場時代からずっとライアンを見守り続けている現・レイクヴィラファームの岩崎伸道氏に電話を入れまして。ライアンが亡くなるまでの詳しい話を聞きました。その詳細はnetkeibaのニュースに書いたとおり。つい3日前まで元気だったのに、突然体調が悪くなったのですね…。同世代では最初にメジロマックイーンが亡くなり、続いてメジロパーマーがこの世を去りました。残ったライアン、元気だったのになぁ。天寿をまっとうしたのでしょうが、やっぱり寂しいです。
写真はいずれも現役時、奥平真治厩舎で撮影したもの
結局、クラシック三冠は全部勝てなくて。やっと勝てたのが宝塚記念。それまでは追い込んで届かずの競馬が多かったライアンでしたが、早めに先頭に立っての勝利。この頃にはすでに競馬業界に身を置いていましたが、この勝利にはとても感激しました。
が、しかし。やっとこれから、というときに脚元に不安が…。屈腱炎。いまでこそ屈腱炎を克服して復帰し高いパフォーマンスをみせる馬はいますが、当時は屈腱炎といえばなってしまったら最後、絶望的な病とされてきました。ライアンもその例外ではなく、復帰すら危ういとされてきました。復帰したあとの3戦目、GIIの日経賞を勝てたのは本当に奇跡的。あの日経賞での口取りは、関係者の皆さん、本当に満足しきった表情をされていたのが印象的でした。
そのあと、再び脚部不安を起こして引退。引退式もやりましたね。すごくたくさんのファンの方々からライアンコールがとんで、GIをなかなか勝てなかった大器がどれだけ愛されていたか、しみじみ感じた瞬間でもありました。
ちなみにメジロライアンといえば、モヒカンカットがトレードマークでしたね。トレセンを離れたあとも、ずっとモヒカンが維持されていたと聞いています。
ライアンがモヒカンだったのは理由が実はふたつありました。ひとつは、ライアンは敏感肌でたてがみが首にかかると皮膚炎を起こしやすいから、ということ。もうひとつは、まだ若かった横山典騎手が少しでも手綱をさばきやすくするという厩舎サイドの配慮でした。
そんな典ちゃんも、もう大ベテランで48歳の年男ですからね。ほんと、時間が過ぎるのはあっという間です。
ライアンは晩年もとても大事にされて、安らかに眠ったという話を聞いて安心しました。
実は、ライアンはわたしの人生を大きく変えた馬でした。いち競馬ファンだったわたしは、メジロライアンの日本ダービーを見てこの世界に入るのを決めました。ライアンがいなかったら、わたしは競馬業界に入ることもなく、この原稿を書いていることもないでしょう。
先に旅立ったマックイーン、パーマーの隣にお墓がたてられると聞きました。いつか、手を合わせに伺います。
ライアン、ありがとう。おやすみなさい。合掌。