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リーディング独走中の浜中騎手を育てた坂口正大元調教師

  • 2012年11月27日(火) 18時00分
 ジャパンカップは見られましたか? オルフェーヴル対、3冠牝馬ジェンティルドンナ・凱旋門賞馬ソレミア・ルラーシップなど強豪がそろい、見ごたえがありましたね。そんな中オルフェーヴルとジェンティルドンナとの壮烈な叩き合いに、息をこらして見入ってしまいました。

 凱旋門賞馬ソレミアを見ていると、環境や馬場の違いで本来持っている力を出すことがいかに難しいことかがよくわかりましたね。改めてオルフェーヴルは、フランスでいろんな事を克服し強く走ってくれたんだなぁと思いました。世界への夢がまた大きく広がってきたようにおもいます。

坂口正大元調教師

坂口正大元調教師

 さて今週は、2011年2月28日に定年で引退され、その後も競馬評論家としてTVやスポーツ新聞で忙しく活動されている坂口正大元調教師に、686勝を勝つ意気込みをじっくりお聞きしました。

常石 :686勝の中で一番印象に残ってる馬は?

坂口 :やっぱりマヤノトップガンやね。厩舎にG1初勝利をもたらしてくれたので忘れられない。菊花賞で厩舎にG1初勝利をくれ、その後有馬記念も勝ってくれた馬というのもあるけど、一番の印象は1996年3月9日阪神競馬場で行われた阪神大賞典ですね。残り800mを、ナリタブライアンと2頭で壮烈な叩き合いをして、アタマ差で負けてしまいましたが、後続馬に9馬身もの差をつけていましたね。

常石 :あっ、そのレース、よーく覚えていますよ。ちょうど僕がデビューした年でしたから阪神競馬場でのマッチレースを見ていました。すごかったですよね。あんな競馬がしてみたいなぁと思いました。この間の秋華賞のジェンティルドンナとヴィルシーナみたいでしたね。

坂口 :そうだね。残念だけど2着馬は記録にも記憶にも残らないんですよ。

常石 :僕も、初めて重賞に挑戦した阪急杯でトーワウィナーにクビ差負けてしまいました。首の上げ下げの差はベテラン騎手との大きな差でした。

マヤノトップガン宝塚記念優勝時

マヤノトップガン宝塚記念優勝時

坂口 :誰でしたか?

常石 :河内先生です。

坂口 :それは大きいですね(笑)。でもいい経験をしましたね。その積み重ねが大事なんですよ。

トップガンもいきなり強かったわけではないんですよ。1995年1月8日新馬ダート戦、1番人気でデビューしましたが勝てなかったんです。4戦目でようやく未勝利を抜け出すことができ、7戦目でやっと2勝目を挙げてくれました。ソエが見られたのでダートのレースを使っていたが勝てなかったですね。

芝レースの初となるのロイヤル香港ジョッキークラブトロフィーで3着に入り、やまゆりSで3勝目を上げ、本格化の兆しがやっと見え始めました。苦労しましたね。

有馬記念は、3冠馬ナリタブライアンや実績馬が多かったが、スタートで先頭に立つとスローぺースに落とし、ゴールまで他馬を寄せつけずに逃げ切りで優勝できました。年度代表馬とJRA賞最優秀4歳牡馬に選ばれました。光栄なことです。

宝塚記念を勝ち、天皇賞(春)ではサクラローレルとマーベラスサンデーの2頭を大外から豪快に差しきり、1993年にライスシャワーが記録した3分17秒1を2秒7縮め、3分14秒4とその当時の世界レコードだったんですよ。成績はむらがあり気性はかなり難しかったけど、脚質の自在性がこの馬の強さにつながっています。よく走ってくれましたね。

常石 :いろんなパフォーマンスをしてくれるので、人気ありましたね。僕も先生には、福島競馬場で乗せていただきました。

坂口 :コウエイバロンだったね。助手が登録忘れて、1週遅れたんですが、ちょうど常石君に空きがあるということで乗ってもらい、勝ってくれましたね。ぼくの686勝のうちのひとつですよ。

常石 :686勝のレースを全部覚えているんですか。

坂口 :今は、覚えていますね。でもだんだん忘れてくるでしょうね(笑)。

常石 :小倉3冠達成がありましたね。

坂口 :メイショウカイドウで同じ年に小倉大賞典・北九州記念・小倉記念でしたね。こんな3冠も珍しいでしょう。

常石 :いえいえなかなか獲れないタイトルですよね。3冠といえば、牝馬3冠はなかな獲りにくいタイトルだといわれていましたが、最近は獲れるようになってきまし。騎手の技術と馬の健康に関係あるんですか?

坂口 :それもあると思うけど、夏の過ごし方が随分よくなってきていますね。診療所が定期的に厩舎を消毒し、衛生面に気をつける。防虫対策したり、厩舎によって個々工夫し、ミストシャワーなどを付けて馬房を快適にすることで馬がぐっすり眠れるようになってきた。

夏は、皮膚が薄くなって敏感なので、アブやハエが居ると尻尾で払いのけていて、眠れなくなってしまう。それで、北海道などへ放牧に出すことが多かったので、輸送も大変だった。一度休憩を取るが、輸送で疲れた馬体で、ローリングという船に乗るような横揺れになるのが弱い。近くにとっても環境のいい牧場ができ、そこでゆっくり過ごすことができるようになった。

シンザンからミスターシービーまで20年くらいかかっていたけど、アパパネから始まって牡馬・牝馬あわせて3年連読3冠馬が出てきましたね。春に活躍した馬が夏を無事に過ごし秋に活躍できるようになり、強い馬が力を出し切れるようになってきているのは競馬界にとっても大きな財産ですよね。

浜中俊騎手と坂口元調教師

浜中俊騎手と坂口元調教師

常石 :(厩舎の所属騎手だった)浜中騎手に先生の印象を聞いてきたんですが、よく出遅れたんだそうですね。

坂口 :同期に藤岡康太、大下智が居るんだけど、30分前くらいに来て準備をしているのに、調教ギリギリの時間に事務所に飛び込んできて頭を下げているのがガラス越しに見え、「浜中、また頭下げてるな」と笑っていたんですよ(笑)。

常石 :大きな声で怒られるのではなく低い声で注意されると“ドキッ”としたそうです。「が、またやってしまうんです」と、頭をかいてましたよ。

坂口 :僕も若い時は経験ありましたよ。目覚ましがなくても起きられたんですが、油断して2度寝をしてしまった事ありますよ。そんなときは身の縮まる思いしましたね。

常石 :僕もやりましたよ。先生の声に飛び起きて、飛び出していきました(爆笑)。浜中騎手が、「先生にはいっぱい教えてもらい、一番印象に残る馬はシャイナムスメ」と言ってました。「調教師を辞められてからの方が、競馬談義をしたり人生相談したり…いろいろ話を聞いてもらっています。昨日も一緒にご飯食べに行ってきたんです」と話していました。

坂口 :そうそう。厩舎にいる時は一従業員として接していかなければいけない時もありましたが、今は外からのアドバイスをしたり同じ目線で競馬談義できるので楽しいですよ。息子が助手をしているんですが、また違う目線で話ができますね。

僕も、昔は父が調教師をしていたし馬も好きだったので、当然この世界に入るものだと思っていたが、母の反対で同志社大学へ進み、サンヨー電気(株)に2年勤務し、退職後に父の厩舎で吉岡八郎さんと内弟子で働きました。調教師を目指すためにアメリカのサンタニタで勉強。エキササイズボーイの資格も取って調教師になりました。いろんな世界を見ることができ、サラリーマンをやってよかったと思い、今は母に感謝しています。

常石 :引退されてから競馬評論や解説というお仕事をされていますが、調教師との違いなど感じられますか?

坂口 :直接馬にかかわる事が少なくなったが、新しい分野で仕事するのではなく、中身は今までやってきたことと同じなので、経験の積み重ねを話しているだけだから生きがいですね。毎日スケジュールが決まっていて忙しいですよ。でもたまには孫と遊べるようになりましたね。

常石 :競馬ファンが楽しく来てくれるような雰囲気を作って行きたいですね。

坂口 :TVをつけたらオッチャンとタレントがしゃべってると耳を傾けてくれたり、どんな場所でもトイレのきれいなところは過ごしやすいので、女性の競馬ファンが興味をもってくれると嬉しいですね。女性には男性も付いてきますからね。

ヨーロッパの競馬場などはファッションショー が行われているんですよね。今、いろんなイベントや競馬場の施設改善もされ、交通の便もよくなっているので是非馬を見に来て欲しいですね。

常石 :長い時間ありがとうございますた。最後にデュランダルのことを一言で。

坂口 :大外が好きでかぶってこられるのが苦手でした。強い馬でしたよ。686勝した馬たちに負けないように生きて行きたいですね。勿論この数字の中に入れなかった馬たちのことも忘れてはいません。

常石 :貴重なお話をありがとうございました。ゆっくり丁寧に話してくださるので、改めて馬のことがよくわかりました。

 常石勝義ことつねかつでした。[取材:常石勝義/栗東]

常石勝義
1977年8月2日生まれ、大阪府出身。96年3月にJRAで騎手デビュー。「花の12期生」福永祐一、和田竜二らが同期。同月10日タニノレセプションで初勝利を挙げ、デビュー5か月で12勝をマーク。しかし同年8月の落馬事故で意識不明に。その後奇跡的な回復で復帰し、03年には中山GJでGI制覇(ビッグテースト)。 04年8月28日の豊国JS(小倉)で再び落馬。復帰を目指してリハビリを行っていたが、07年2月28日付で引退。現在は栗東トレセンを中心に取材活動を行っているほか、えふえむ草津(785MHz)の『常石勝義のお馬塾』(毎週金曜日17:30〜)に出演中。

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