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ダービーレグノ、32ヶ月ぶりの勝利

  • 2003年09月01日(月) 19時08分
 いやはや驚いた。しばらく勝っていないとは思っていたが、こんなに長いブランクがあったとは…。

 第39回新潟記念。ダービーレグノが、直線見事な追い込みを見せて優勝。実は、これがようやく通算3勝目であり、何と2年8ヶ月ぶりの勝利となった。

 2001年1月8日。京都競馬場。私事ながら、この日は京都にいた。「シンザン記念」の行われる日だったので、その前日から“出張”していたのだ。

 前日から京都競馬場は何やら波乱含みの様相を呈していた。お昼過ぎに競馬場へと到着した時、空は鉛色のどんよりとした厚い雲に覆われ、かなり寒かったのを覚えている。午後になり、いつの間にか雪がチラチラと降り始めてきた。それが、一向に止む気配のないどころか、ますます降り方がひどくなる一方。ついに特別レースの始まる頃には、もう「大雪警報」でも発令されるのではないか、と思うほどの完全な雪景色となった。競馬場最上階のゴンドラ席から向こう正面の馬が視認できないくらいの降り方となり、ついに10レース以降が中止のやむなきに至ったのである。

 芝コースは一面真っ白になっていた。翌日の「シンザン記念」に参加するため、北海道からミスシンザン二人を伴っての出張である。JRAの職員に「もし明日もこんな雪ならば、開催はどうなるでしょうか?」と尋ねると、「よほどひどい場合は順延です。どこかで代替日程を組むことになりますが、今回の場合、6日から8日までの三日間開催ですから、もし明日の8日が中止となると翌週でしょうかね。」との返答。もしその通り一週間も滞在が延びることになれば、大変なことになると、蒼くなったのを覚えている。

 さて、その翌日。幸いに天候は何とか持ち直し、予定通り、京都競馬も開催された。ただし、ダートは不良、芝も稍重。馬券は朝から外れまくっていた。冬の太陽が傾いて、いよいよこの日のメーン、シンザン記念を迎えた。

 一番人気はデムーロ騎乗のフィールドサンデー。我がシンザンフェスティバル実行委員会の一行は、地元浦河産馬を中心に、馬券を購入した。こういう時、生産者は概して「心情馬券」を買いがちなのだ。シンザンの神通力に期待し、浦河の馬に勝って欲しいとみんなが考えた。

 人気はあまりなかったものの、メイショウハヤオウ、サンエムノヴァ、チョウカツヤク、ラムセスロードなどが浦河産馬である。レースは検量室の隣でモニター観戦となった。レース後の表彰式で花束贈呈を行うミスシンザンの二人も、もちろん馬券を買っていた。

 だが、スタートして一分半後、優勝馬がダービーレグノと報じられた時、誰もそんな名前を記憶していなかった。「え、何だって?」「そんな馬出てたっけ?」。無理もない、単勝14番人気なのだ。全員が馬券を外し、「やはりシンザンの神通力は通用しなかったか」などと口々にぼやきつつ、表彰式に出た。

 しかし、その翌日。帰路についた私たち一行に、とんでもない情報をもたらしてくれた人がいる。何と、ダービーレグノは、栗東に入厩する前、シンザンを繋養していた谷川牧場の育成場で初期調教された馬だというのだ。「何でそれを早く言ってくれなかったのか!」と悔やんでも後の祭り。もしレース前にそれを知らされていたら、おそらく単複千円ずつくらいは御祝儀に買っていたはずだ。そうすれば、単で5210円、複でも1350円の配当を「ゲット」できたのに……。

 ダービーレグノの名前を聞く度に、この時の取り損ねた馬券を思い出すのである。シンザンの神通力は、間違いなくあったのだ。

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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