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現役時代0勝の競走馬が国体で優勝 ピサノガッシュの物語

  • 2014年11月18日(火) 18時00分
第二のストーリー

▲今週は徳島で暮らすピサノガッシュ(競走馬時代は藤沢和雄厩舎所属)の物語


ガッシュと晴菜さんのコンビはいつまでも


徳島空港に降り立つと、周囲は雨で煙っていた。この4月に取材でお世話になったミヤマリージェントを繋養している角山喜信さんが、淡路島からわざわざ徳島空港まで迎えに来てくださっていた。(→前回の記事へ)

「リージェントはよう肥えて元気ですわ」と、ミヤマリージェントの近況を教えてくれる。角山さんの車に乗り込んで目指したのは「観光乗馬 クラブコルツ」だ。角山さんとクラブコルツ代表の井村泰信さんは、気の合う友人同士。ミヤマリージェントの取材時には井村さんが、淡路島にいらしていた。角山さんに「コルツにはエイシンドーサンという熱心なファンがついている馬がいるから、取材してみたら?」と薦められた。その時は時間がなくて徳島まで足を伸ばせなかったが、エイシンドーサンの名前はずっと気になっていた。

 ドーサンは、アメリカ生まれのいわゆるマル外だ。1994年生まれで、デビューしたのは中央競馬。新馬戦で勝利を飾るなど中央では3勝を挙げ、最終的には1000万クラスで走っていた。エイシンドーサンの名前は、私の記憶の片隅にも残っていた。高知競馬に移籍後は、11勝を挙げている。

 コルツのホームページを覗いてみると、ドーサンの他にも、懐かしい馬名に遭遇した。グランドハヤブサだ。こちらは1993年生まれだからドーサンより1歳上だ。障害を含めて中央競馬で45戦6勝。平地では準オープンクラスまで出世し、障害戦でも2勝して、新潟ジャンプS(J・GIII)では3着になっている。

 ピサノガッシュという名前も気になり、調べてみるとこちらは1998年、アイルランド生まれで、父がWoodman母の父がNorthern Dancerという良血だった。中央では藤沢和雄厩舎に所属していたが、3戦して未勝利。地方競馬に移籍後も6戦して未勝利に終わっている。

 これらまだ見ぬ馬たちに思いを馳せながら、角山さんの車に揺られていた。雨は相変わらず降り続いている。1時間くらい走った頃だろうか。車は曲がりくねった山道に入った。以前はリゾート施設だったという建物を過ぎて間もなく、クラブコルツに到着した。立派なクラブハウスに、馬場がある。雨はなおも降り続いているので、ひとまずクラブハウス内に入った。壁には写真や新聞記事、そして馬術大会の入賞リボンが飾ってあった。

 国体に優勝した記事もある。馬名はピサノガッシュ。競走馬時代には勝てなかったピサノガッシュは、国体で優勝するほどの活躍をしていた。アイルランドからはるばる日本にやって来て、競走馬としては芽が出なかったが、生きる場所があって良かった。そして活躍できて良かった。ドーサンやグランドハヤブサと違って、現役時代の記憶がなかった同馬だが、障害を颯爽と飛越する写真を眺めながら、心からそう思った。

 クラブハウス内でおいしい手作りランチをご馳走になり、角山さんが招いてくださった高知競馬の国沢輝幸調教師ご夫妻を交えてひとしきり談笑した後、ふと外に目を移すと雨が止んでいた。屋外に出ると、山に雲がかかり墨絵のような風景が広がっていた。幻想的だった。

第二のストーリー

 まずポニーと犬2匹が目に留まる。ポニーの名前はジロー。カメラを向けると興味ありげに近寄ってきた。つぶらな瞳が愛らしい。厩舎内で作業をしているのは、井村さんの長女の高瀬泰代さんだ。父の経営する乗馬クラブをいつも手伝っているのだという。既にご子息に会社を譲っているという井村さんだが、元々は建設業が本業だ。その井村さんが、乗馬クラブを始めるきっかけは何だったのだろうか。

「実家は農家やけん、農耕馬がいて、子供ん時に馬に乗って走ったり結構するけんね。生まれはここで、途中まで外に出とったんです。それで帰ってきたんですよ、故郷に。馬が好きで、乗馬クラブに2、3頭預けていて、自分でも倉庫を厩(うまや)にして2、3頭、飼ってね(笑)。土建屋やけんね(笑)。好きで乗馬して、大会にも行きよったけんな」(井村さん)

第二のストーリー

▲フィネス(競走馬名:エーシンフィネース)と井村さん


 井村さんの原点は、生家にいた農耕馬だった。馬のぬくもりに触れて育った少年が、自分で馬を飼うという夢を抱くようになったことは想像に難くない。建設業で身を立てて、その夢を実現させた。馬を飼い出してから、かれこれ25、6年になる。

「僕はいろんなことに挑戦するのが好きなんですわ。仕事を引退しましたし、田舎を活性化するために何かしたいと思ってね。僕は馬が1番長いですしね」(井村さん)

 趣味で馬を飼うだけにとどまらず、生まれ育った地域を活性化するために乗馬クラブを始めるという決断をし、1996年12月13日にクラブコルツが設立された。

 厩舎の1番手前に栗毛の馬がいた。顔に大きな作がある。馬房の上のプレートには「ピサノガッシュ」と書かれてあった。今年16歳になるピサノガッシュ(セン)だが、馬房の中でも何だか落ち着きがなくて、雰囲気が若い。国体に優勝した名馬の写真を早速撮ろうとカメラを構えるが、右に左に、上に下にと動くので、何度シャッターを切っても、ブレブレだ。その後も幾度となくシャッターを切ったが、結果は同じ。粘りに粘って、やっと数枚撮影できた。

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▲上下左右に動くピサノガッシュの撮影はなかなか大変…


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▲ようやく落ち着き、シャッターチャンス


「知り合いから元気な馬が来ているからという話で見にいって、障害を飛ばせてみたんですよ。成績を見たら競馬で障害をやっていたわけでもないのに、最初からポンポンよう飛ぶんです。この馬はええということでウチに来ることになりました」(井村さん)

 ジャンプの素質を見込まれてコルツにやって来たガッシュだが、最初の頃は泰代さんも相当手こずったようだ。「すごい神経質で怒りんぼで、私も触れないくらい世話が大変やったんです。でも年いってから落ち着きましたけどね」(泰代さん)

 しかしヤンチャなガッシュは、井村さんが見込んだ通り、障害馬として数々の馬術大会に出場し、好成績を挙げるようになった。「障害を避けるということはなくて、必ず飛んでいくという馬ですね」(泰代さん)

 泰代さんの娘さんの高瀬晴菜さんとのコンビで、前述通り、2011年に山口県で行われた第66回国民体育大会のスピード&ハンディネス競技で優勝を果たした。ちなみにスピード&ハンディネスというのは障害飛越競技の1つで、障害物落下は減点ではなくタイムに換算され、1番速いタイムでゴールした人馬が優勝となる競技だ。ただ速いだけではなく、コースを巧みに回ってくる技術も必要とされる。

 コンビを組んで7年になるピサノガッシュと晴菜さんは、正に人馬一体となって障害を飛び越えてコースを駈け抜け、国体挑戦4度目で栄光を掴み取った。このニュースを伝え聞いたのだろうか。国体終了後には、中央競馬時代に管理していた藤沢和雄調教師から、馬用の飼料がプレゼントされたという。

「全日本にも行きましたし、馬術の世界ではピサノガッシュの名前は皆知っていますわ」と井村さんが言うように、馬術界で名を轟かせたピサノガッシュ。サラブレッドは走るために生まれてきたと言われるが、例え競馬で成績を残せなくても、それぞれの馬の個性を生かす道はあるのだと、その活躍振りに改めて思った。

第二のストーリー

第二のストーリー

 そのガッシュに、昨年2月に生命の危機が訪れた。放牧中の不慮の事故により、大怪我を負ってしまったのだ。

「放牧の時に嬉し過ぎてジャンプする子なんですね。それで多分、ジャンプの着地の時に失敗したと思うのですが、右前の蹄冠骨を骨折してしまったんです」(泰代さん)

 誰も事故が起きた状況を見ていないので、真相はわからない。ただ発見された時には、馬場の中で右前脚を下に着けない状態で立っていた。蹄の中の骨が縦に割れていて、予後不良の診断が獣医師から下った。しかし長い間コンビを組んで、数々の大会にガッシュとともに出場し、国体に優勝するなど苦楽を共にしてきた晴菜さんが「自分らで世話をするから」と、井村さんに懇願し、安楽死処分は免れた。

 いつ歩けるようになるかもはっきりしないまま、安静と治療の日々が続いたが、ガッシュ自身の頑張りとコルツの人たちの愛情が徐々に実を結び、痛めた右前脚は回復を見せ始めた。そして今では人を乗せて走れるくらいまでに良くなっている。

「ちょっと歩様は悪いですけど、ここまでよく回復してくれたなという感じですね。大会には出られなくても元気でいてくれれば、それで良いです」(泰代さん)

 ピサノガッシュは、コルツにとってかけがえのない大切な馬なのだ。井村さんも「治療代も相当かかったなあ」と言っていたが、それでも何とかして救いたい命だった。泰代さんの言葉からも、井村さんの表情からもそれは十分過ぎるほど伝わってきた。

 馬房の中のガッシュと言えば、相変わらず落ち着きがなく、カメラマン泣かせの動きをしてくれる。やはり撮影した写真のほとんどがブレていたが、それだけ動けるのは元気になった証拠だ。ターフの上で輝けなかったとしても、馬にはちゃんと輝ける場所がある。ピサノガッシュが輝いた場所が馬術競技であり、そして山間の静かな場所にある、ここクラブコルツなのだ。(つづく)

(取材・文・写真:佐々木祥恵)


第二のストーリー

観光乗馬 クラブコルツ
徳島県那賀郡那賀町谷内字中分103
電話 0884-62-3434
HP http://www.c-colts.com/

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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