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自分は何のプロか

  • 2015年06月20日(土) 12時00分


 先日、クリエーター養成事業なども展開している出版社「宣伝会議」の「編集・ライター養成講座」の講師として、2時間、話をしてきた。

 テーマは「作家という生き方」。

 こういう大きなテーマで、独演・脱線型の私が好き勝手にしゃべると、聞いているほうもしゃべっているほうも訳がわからなくなるので、まず、ホワイトボードにこう書いた。

(1)インプットとアウトプット
(2)何を、どう書くか
(3)アイデンティティー、何者か
(4)専門分野、得意分野

 私の仕事は、これら4つの項目をそれぞれ突き詰め、絡ませていくことだ。これら4つは不可分で、それぞれ互いにつねに影響し合い、ふくらんだり、しぼんだりを繰り返している。

(1)「インプットとアウトプット」は、特に広告業界では昔からよく言われていることで、情報や知識を吸収(インプット)してこそ、言葉やアイデアを生み出す(アウトプット)ことができる、ということ。「食わないと走れない」というのと同じである。

(2)「何を、どう書くか」は、読んで字のごとく、物書きのすべきことはこれに尽きる。これ以上でもこれ以下でもない。「何を」は、私の場合「競馬」であることが多く、「どう書くか」は、「てにをは」の使い方を含めたテクニックに関連してくる。

(3)「アイデンティティー、何者か」は、「自分は何のプロか」ということでもある。競馬について書くことが多い私は、「競馬のプロ」なのか、それとも「文章のプロ」なのか。私は「競馬関係者」なのか、それとも「出版関係者」なのか、ということ。私は、仕事を始めてから30年近くずっと変わらず、文章のプロ、出版のプロという意識でやっている。

(4)「専門分野」「得意分野」は、物書きとしての私の場合、競馬である。が、(3)のところで述べたように、自分を「競馬サークル内部の人間」と思っているわけではなく、私はあくまでもひとりの「ファン」で、競馬は、取材対象、研究対象として長く追いかけている分野、という意味である。

「編集・ライター養成講座」では、これら4つのポイントに触れながら、「インタビュー術」や「職能の磨き方」、出典の有無や表記などに見える「プロとアマの違い」などについて話をした。120名ほどの受講生のほとんどが20代か30代で、7割が女性だった。みなさん、なんらかの仕事に就いており、次の仕事のための準備として受講している人が大半なのだが、3割ほどは、今の仕事に生かすため――例えば、企画書を書いたり、会議でプレゼンするときに使う資料をつくったりするスキルを磨くために受けているのだという。

 講義の最後にほうに数名の受講生から質問があり、うちひとりは、競馬が好きな20代とおぼしき男性だった。

 彼からの質問は、馬に乗ったことのない自分が、例えば武豊騎手のようなトップジョッキーを取材することになった場合、「文章のプロ」という自覚だけ持って話を聞きに言っていいものだろうか、というものだった。

 もちろん、いいのである。

 ジョッキーを取材するにあたり、馬に乗ってからではなくてはいけないと考えるのは、イチロー選手を取材するにあたり、キャッチボールをしてから行こうと考えるのと同じようなものだ。キャッチボールをしたり、バッティングセンターでボールを打ってみることによって、イチロー選手のグラブさばきやバットコントロールの本髄に迫る質問ができるようになるだろうか。

 やりたい人は、そうすればいい。しかし、私なら、キャッチボールをする時間があれば、イチロー選手の過去のインタビュー記事から語録のようなものをつくったり、ほかのトップアスリート――同じ野球選手でも別のスポーツの選手でもいい――が、大舞台に臨むときの準備や心境について書かれた資料を読むなどする。

 野球と馬乗りとでは、身近さがまるで異なり、経験者の数にも大きな差があるということを抜きにしても、自分の小さな経験を比較材料にしてその道のトップに質問をぶつけるほうが、競技経験のないまま質問するより、むしろ失礼になるのではないか。

「さっき硬球を壁に投げつけながら、イチローさんのレーザービームに通じる腕の振りを考えてみました」

 そんなことをイチロー選手に言う度胸は私にはない(ただ、そういうノリを喜んでくれる人もなかにはいると思う)。

 もちろん私も馬に乗ったことはあるが、正直、あまり楽しいと思ったことがない。運転するならクルマのほうがいいし、私は性格的に、撫でてさすって馬を可愛がるほうが幸せなタイプらしい。だから、自分の経験をもとに騎手にインタビューしたことはない。

 ちゃんとした競技経験があるのはサッカーだ。昔、サッカー少年団の一員として全国大会でベスト8になったり、中学、高校時代に地元の選抜メンバーに選ばれて国体予選を戦ったこともある。が、プロのサッカー選手に取材したとき、それを口にしたことはない。

 自分の経験をもとに、相手から何かを引き出したり、継続的にものを書くことは、実はとても難しいのだ。ここで言う「もの」は、金を払って読む不特定多数の人を満足させたり、楽しませたり、そこに記された情報によって知的好奇心を満たすことのできる読み物、という意味である。

 これは何度も繰り返しているのだが、もし自分が「競馬のプロ」で、「競馬界のなかの活字係」というアイデンティティーで仕事をしたとすると、取材対象の騎手や調教師から「お言葉を頂戴」しないと何もできない、ピラミッドの最底辺の仕事……となり、プライドなど持てないだろう。そうではなく、相手が馬乗りのプロであるように、自分は文章を書くプロで、道は違ってもプロ意識やプライドには通じるものがあるはずだ――と信じて付き合うほうが、相手に偽りのない敬意を持って接することができる。

 その場合、あくまで方便として、例えば、親戚や友達に自慢したいときだけ「競馬のプロ」のふりをして、「おれは武豊騎手と同じ世界にいるんだよ」と言えばいい。

 念のため繰り返すが、これはあくまで私の考え方である。

 確かなのは、馬に触ったことのない人にも「素晴らしい騎乗だ」と思わせる騎手が本当の一流騎手である、ということだ。バットを振ったことのない人にも「見事なヒットだなあ」と思わせてこそ一流の野球選手なのである。ボールを蹴ったことのない人でも、香川真司選手や本田圭佑選手がいいプレーヤーであることはわかるはずだ。

 武豊騎手ほどのアスリートにとっては、そんなことは言わずもがなである。

 同じことが私たちにも言える。

 文章なんて学校の読書感想文以来書いたことがない、という人にも「いい文章だなあ」「上手いなあ」と思わせてこそ、いい物書きなのだ。

 だから、武騎手に感覚的に近づきたいのであれば、道は違っても、同じ「プロ」としての自覚や矜持があればいいと私は思う。

 それと「競馬が好きだ!」という思いがあれば充分なのではないか。

 講義終了後も10人ほどの受講生の質問に答え、そのあと、打ち上げの席でも20人ほどと話をすることができ、楽しかった。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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