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【新規開業】橋口慎介調教師(3)『父は本当に幸せ、あんな調教師人生を送りたい』

  • 2016年08月15日(月) 12時01分
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▲競馬のドラマが詰まった橋口弘次郎師の調教師人生、慎介調教師があの感動の舞台裏を明かします(写真は厩舎最後のレース後)


今年の2月29日に定年引退を迎えた橋口弘次郎調教師。ダンスインザダークやハーツクライなど数々の名馬を輩出した名伯楽です。しかし、目標とするダービーだけが遠かった。2着に惜敗すること実に4回。これにはさすがの慎介調教師も諦めかけたと言います。定年までラスト2回と迫った2014年、ワンアンドオンリーでついに悲願達成。JRA通算991勝重賞96勝、うちGI10勝。競馬のドラマが詰まった調教師人生。その姿を誰よりも近くで見てきた慎介調教師が、あの感動の舞台裏を明かします。(取材:東奈緒美)


(前回のつづき)

帰りの車の中で父は本当に満足した顔をしていました


 橋口弘次郎厩舎にはダンスインザダークやユートピア、ハーツクライ、ローズキングダム、そしてダービー馬ワンアンドオンリーなど、本当にたくさんの名馬がいました。慎介調教師にとって、特に思い出の出来事と言いますと?

橋口 ハーツクライがイギリスのキングジョージ(キングジョージ6世&クイーンエリザベスS)に出た時、僕も見に行ったんです。あれは本当に、一瞬“勝った”と思いましたからね。

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▲キングジョージ出走時のハーツクライ。有馬記念でディープインパクトを破り、ドバイシーマCを制し、満を持しての挑戦だった(撮影:高橋正和)


 あの時私も見に行かせてもらっていたんですけど、本当に勝ったと思いました。

橋口 一度は完全に先頭に立ちましたからね。そこからゴールまでが長かったんですけど。今考えたらキングジョージで3着ってすごいですよね。あれはすごく思い出に残ってます。あとは、ダンスインザダークが入厩する時、僕は海外で研修中だったんですけど、ちょうど日本に帰って来ていたので直に見ていたんです。あの時からものすごく雰囲気のある馬で、「こういう馬が走るのかな」と思ったら本当に走ったので。あの馬もすごく思い出に残ってますね。

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▲弥生賞優勝時のダンスインザダーク、その後はダービー2着菊花賞優勝(撮影:高橋正和)


 入厩した時からオーラがあったんですね。そのダンスインザダーク、ハーツクライもそうですが、リーチザクラウン、ローズキングダムという4頭が、ダービーで惜しくも2着。橋口調教師のダービー制覇はご自身はもちろんだと思いますが、周りの方もずっと願っていた悲願ですよね。それを叶えたのがワンアンドオンリー。あれは本当にドラマですよね。

橋口 ワンアンドオンリーが勝った時も現地で見ていたんですけど、本当に勝ったから、正直びっくりしたんです。「もうダービーは獲れないのかな」と、思ってましたから。だからまさか、こんな定年ギリギリにって。

 獲れないかもしれないって思ってたんですか?

橋口 正直、思ってました。それまでずっと獲れなかったですし、定年も迫っていました。さすがにもうそんなことは無理だろう…って。あの時ニュースにもなりましたが、競馬場に来られていた皇太子殿下、前田幸治オーナー、横山典弘ジョッキーと馬の誕生日が一緒だったんですよね。

 2月23日ですよね。

橋口 ちなみに、うちの弟の誕生日も一緒なんです(笑)。ダービーの前日に父が東京競馬場に向かっていて、新幹線が東京に着いた時間も2時23分だったんです。それをレース前に聞いたので、逆にそういう時って危ないのかなって。レース前にサインかなって思うと、意外とダメだったりするじゃないですか。「これって逆にダメかな。さすがにそんなうまいこといかないよなぁ」って。

 慎介先生は一緒に移動したわけではないんですか?

橋口 僕は当日に栗東での仕事を終わらせてから、車で東京に向かったんです。知り合いの装蹄師さんが自分の担当馬も出るっていうので、乗せてもらったんですけど、行く途中、普段だったら見えない富士山がめちゃくちゃ綺麗に見えたんですよ。実はその装蹄師さん、ディープブリランテ(2012年ダービー優勝)をやっていた人で、その時も富士山が見えたそうなんです。それが今回も見えて。たくさんのサインが出ていてそれで本当に勝ったから、なんだかマジックのような…そんな、ちょっと信じられないような感じでした。

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▲橋口弘次郎調教師にダービートレーナーの称号をもたらしたワンアンドオンリー(撮影:下野雄規)


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▲横山典弘騎手をはじめ、喜びでいっぱいの関係者たち(撮影:下野雄規)


 今聞いてもドラマチックです。勝った瞬間、お父様にはどんな声をかけられたんですか?

橋口 「おめでとう」って言ったんですけど。それまでは泣いてなかったようなんですが、僕と妹で下に降りて行って「おめでとう」って声をかけて、妹の顔を見た瞬間にブワーっと泣き出しました。僕じゃなくて妹…(苦笑)。それはすごく覚えてますね。

 息子さんの前では堪えていらっしゃったんですかね。

橋口 どうなんでしょう? 妹には甘いんですよ(笑)。僕と結構年が離れているので、余計に可愛いんでしょうね。

 人望の厚い先生で、周りの方がすごく喜ばれていたのが印象的でした。

橋口 それは感じました。本当にたくさんの方に祝福してもらって。レースの後も1年ぐらいずっと「おめでとう」って言ってもらってました。あれがもし、すんなりと勝ってたら、あそこまでの感動はなかったのかもしれないですよね。今まで獲れなかったのはこのためだったのかな、って思えるくらいの感動でした。父にとってもよほど大きなことだったんだと思います。あの後に、ガクッと体調が悪くなりましたから。張りつめてたものが途切れてしまったのか、それくらい大きなものだったんだと思います。

 慎介調教師にとっても、やっぱりダービーは目標のレースですか?

橋口 目標ですね。それはもう、父から引き継いだ思いと言いますか。でもできれば僕は、もうちょっと早く勝ちたいです(笑)。1年でも早く勝ちたい。出来ることなら、来年にでも勝ちたいです。

 早いですね(笑)。たくさんの方に愛された橋口弘次郎厩舎ですが、今年の2月29日で解散に。最後の週末は小牧騎手も号泣でしたね。

橋口 そう。小牧さん、パドックの時点で、ゴーグルの下から涙が流れてくるぐらいでしたもんね。厩務員も泣いてるし、あれを見て僕もちょっと泣きました。それにしても小牧さんは、「泣く」って言っておいて本当に泣いてましたからね。しかも、想像以上に。

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▲橋口弘次郎厩舎最後のレース前


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▲園田からJRAに移籍して以来、橋口弘次郎調教師にずっとお世話になってきた小牧騎手は、涙が堪えられなかった


 いいですよね。涙が出るほどの、感謝の思いがあったんでしょうね。

橋口 厩舎の最後の3鞍は、小牧さんに騎乗してもらいましたからね。結局最後の週は、勝つことはできなかったですけど、帰りの車の中で父は本当に満足した顔をしていました。「悔いはまったくない」「もう何も思い残すことない」って言ってました。それを聞いて、父はものすごく幸せだなと思いました。

 やり切ったっていうのが、かっこいいですね。

橋口 ええ。それは本当にうらやましいです。幸せな人生ですよね。僕もああいう調教師人生を送りたいなと思いました。

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▲「幸せな人生ですよね。僕もああいう調教師人生を送りたいです」


(次回へつづく)

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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