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【有馬記念】チーム・テイオー「天から降りてきた奇跡の馬、人生の生き甲斐をもらいました」/後編

  • 2016年12月20日(火) 18時01分


【年末年始の更新につきまして】
当コラムの年内最終更新は今回の12月20日となります。27日、1月3日は休載とさせていただき、10日からの再開となります。予めご了承ください。


(前編のつづき)

多岐にわたるチーム・テイオーの活動


 引退間近のレースで競走能力喪失が明らかな重度の骨折を負ったゴールドショットは、競走馬登録を抹消されたのち、半年間を休養にあてた。骨折も治って簡単な乗馬調教が始められる段階にまでなったので、個人の新しいオーナーへと乗馬として引き取られた。しかししばらくして、ショットが蹄葉炎かもしれないという知らせがもたらされた。

「苦しむようなら安楽死にした方が良いので、Sさんどうしますか? と聞かれました。私が許可したらすぐにでも安楽死にする、ということでした」

 およそ1年前に当時のオーナーとともに重度の骨折から助けたショットを、蹄葉炎だから安楽死という選択は考えられなかった。Sさんは繋養先に駆け付け、すっかり痩せてしまったショットに再会し、その場で獣医師に診てもらった。

 診断の結果は、蹄葉炎だとしても初期で、安楽死するほどではない。注意して削蹄を行えば、普通に生きていく上では問題ないというものだった。少しでも歩きやすくなるようにと、レントゲンも撮影し、獣医師の指導に合わせて何度も削蹄を繰り返した。1日も早い回復を願ったSさんは、信頼のおける北海道の牧場へとショットを託した。

「牧場に到着した直後のゴールドショットは、まるでお爺さん馬のようだったと牧場長は言っていました。その後『普通に歩いています』『今日は走りました』『体がふっくらしてきました』と、報告を受けるたびに涙が溢れました。3か月ほどたったら、痛かった脚も馬体も回復しましたし、結局蹄葉炎ではなかったんですね。どんどん元気になって、放牧直後はダッシュするくらい、何の問題もなく走れるようになりました」

 牧場にやって来たばかりの頃は、9歳とは思えないほど年老いた馬のようだったというゴールドショットだが、体には張りが出て、毛ヅヤもピカピカとなって、見違えるような姿となった。

第二のストーリー

▲見違えるほど回復したゴールドショット


「ショットの立て直しは、競走馬の育成牧場にお願いしていたのですけど、皮膚の艶とハリが現役時代と遜色ないですし、短期間でみるみる良くなっていって、さすがはプロのなせる技だなと感心しました」

 もう大丈夫だと確信を得たSさんは、何度も骨折から奇跡のように甦り、復活を遂げた父テイオーとよく似ているゴールドショットを、チーム・テイオーの会員とともに余生を見守っていこうと決めた。そしてショットの誕生日に合わせて、2016年3月9日に「ゴールドショット支援の会」を立ち上げた。

 Sさんが見せてくれた写真の中のゴールドショットは、栗毛が光輝いていた。額から鼻先まで走る大きな流星が、テイオーの血を引いているのだと感じさせた。

第二のストーリー

▲父似のイケメン、性格も父に似て孤高で甘えないタイプ(牧場提供)


「競走馬時代のオーナーさんと、今の牧場さんのおかげで命が助かったと思っています」

 今後は「ゴールドショット支援の会」のサポートのもと、北海道で悠々自適の余生を過ごしていくことになる。

 Sさんには、引退馬活動の原点となる馬がいる。それはまだチーム・テイオーを立ち上げる前、前編でも少し触れたが、引退馬協会で学んだノウハウを生かして引き取った馬だ。

「テイオーの産駒ということでずっと追いかけていたのですが、中央から地方に移って、成績を見ていると引退が近いことがわかりますので、乗馬にしますからと調教師さんに交渉をして、馬術部で調教をしてもらいました。馬術部では乗馬として活躍し、名馬トウカイテイオーの子としてテレビにも出演しました。この子も最後まで面倒を見たいと思っています」

第二のストーリー

▲Sさんが最初に引き取ったテイオーの子供


 中央、地方競馬場でオリジナル横断幕の掲示や、テイオー産駒を支援する以外にも、チーム・テイオーの活動は多岐にわたり、以下がその内容となっている。

●テイオーの産駒・孫が出走したら、各地のメンバーが観戦した画像付きリポートを速報で伝達
●産駒・孫・近親の情報を随時、画像付きで公式Facebookで公開
●競馬場での協賛レースの開催
●産駒の誕生会、激励会などの開催
●競馬関係者と交流を深め、信頼関係を構築
●所属厩舎、生産牧場に応援メッセージを送付
●産駒のイラストカードを作成して、関係者へプレゼント
●引退した産駒の訪問、激励、馬術競技会観戦、応援メッセージの送付
●マスコミへの広報活動、産駒のリリース作成により取材掲載の促進
●産駒引退後の乗馬転向プロジェクト支援
●テイオー産駒の余生の見守り支援
●トウカイテイオーの血脈の継承活動

 チーム・テイオーでは、テイオー産駒のリュウノスター(セン9)という乗馬の応援もしている。同馬は門別競馬場でデビューし、岩手、園田、高知と走り続けたのち、引退した競走馬に対して人と穏やかに暮らすための馴致調教を行う、引退馬協会のフォローアッププログラム(現・再就職支援プログラム)の第3期生となった。プログラムを無事、卒業したリュウノスターは、現在は群馬県で乗馬として過ごしている。

「11月に亡くなったトウカイパルサーと、ヤマニンバッスル、そしてリュウノスターの3頭が、トウカイテイオーに1番似ていると思います」

 現在、チーム・テイオーの会員は100名を超えているという。みなトウカイテイオーをこよなく愛す仲間たちだ。改めてSさんにテイオーの魅力を伺ってみた。

「やはりあの美しさですね。綺麗で気品があって、いつ見てもどんな時にも端麗な姿を見せてくれました。競走能力も素晴らしくメンタルも強いです。1年のブランクがあった有馬記念で、あれだけのパフォーマンスをしましたし、テイオー以上の馬はなかなかいません。天から降りてきた奇跡の馬のように思えますし、私はテイオーに人生の生き甲斐をもらいました」

第二のストーリー

▲2009年11月に東京競馬場でお披露目されたトウカイテイオー(撮影:下野雄規)


 そして今年、チーム・テイオーは新たな活動を始めた。

「それはテイオーの血を未来に繋いでいくというものです。テイオー産駒で種牡馬になった馬はまだいませんので、繁殖牝馬となった馬たちでその血を残していきたい。具体的に言うと繁殖活動ですね。これは個人でやるものではなく、事業の一環として行っていきます。私の主人もかねてからそういった事業をやりたいという夢を持っていまして、既に繁殖牝馬を所有しています。その中に私も加わって、この活動を実際に始めました」

 Sさんは続けた。

「テイオーがあれほどの名馬になった要素として、父がシンボリルドルフということだけではなく、母系の血統も大きいと思うんですね。牝馬として初めて日本ダービーに優勝したヒサトモの牝系がずっと続いて、テイオーにたどり着いたという事実が、私の中ですごく大きいんです」

 ヒサトモは、1度は繁殖に上がりながら、諸事情から再び現役に復帰して走り、その挙句亡くなった悲運の名馬だった。数少ない産駒の中から、牝馬のブリューリボンがその血を細々と後世に繋いでいった。

 トウカイテイオーのオーナーでもある内村正則氏は、ヒサトモのひ孫にあたるトウカイクインを購入したのをきっかけに、その血統を徹底的に調べると「いつか大物が出る系統」と信じ、ヒサトモの牝系を庇護することに力を注いだ。そのヒサトモから6代を経て誕生したのが、トウカイテイオーであった。

「テイオーが残した牝馬の系統の中から、いつか必ず活躍馬が出る可能性を秘めていると思っていまして、サイアーラインだけではなくて、ブルードメアサイアーラインにも注目しています」

 トウカイテイオーはもうこの世にはいないが、彼を愛する人々の心の中には今もなお生き続けている。現時点で、後継種牡馬を送り出せていないのは残念だが、悲運の名牝ヒサトモの血がテイオーによって花開いたように、彼の血を引く馬たちの中から、テイオーを彷彿とさせる走りをする馬が登場するのを楽しみに待ちたい。

(了)


※チーム・テイオー、トウカイテイオー産駒の会については、以下のサイト、Facebookをご覧ください。

チーム・テイオー公式サイト
http://team-teio.jimdo.com

チーム・テイオー&トウカイテイオー産駒の会 Facebook
https://www.facebook.com/tokaiteiosannku.teamteio

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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