第二のストーリー 〜あの馬はいま〜/佐々木祥恵

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種牡馬スキャンの旅立ち(1)『ファーディナンドのようにしてはいけない』

2017年01月10日(火)18時01分

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第二のストーリー

▲昨年の大晦日に28歳で天国へと旅立っていった種牡馬スキャン(提供:荒木牧場功労馬サポーターズ)


種牡馬としてアメリカから日本に輸入


 昨年の大晦日、種牡馬スキャンが28歳で天国へと旅立っていった。28年の生涯のうち最後のおよそ1年を過ごしたのが、北海道新ひだか町にある荒木貴宏さんの牧場だった。

 スキャンは、1988年にアメリカで生まれた。父は大種牡馬のMr.Prospector、母はVideo、母の父がNijinsky。母の全兄にはCaerleonがおり、曾祖母にアメリカ2歳牝馬チャンピオンのRegal Gleamがいるという良血だ。

 1990年6月のベルモントパーク競馬場で競走馬としてデビューし、3戦目に初勝利を挙げた。その後にGII戦で2連勝をしたことから、クラシック戦線での活躍が期待されたが、3歳春シーズンは成績が伸び悩む。だが秋になると、ジェロームH、ペガサスHとG1を連勝し、資質の高さを示したのだった。

 16戦5勝の成績を残して引退したスキャンは日本に輸入されて、北海道浦河町の日高スタリオンステーションで1992年から種牡馬として供用が開始された。初年度は64頭に交配。以降毎年50頭以上にコンスタントに種付けをこなし、1番頭数が多かったのは、1998年の122頭。種付け頭数が安定していたように、産駒もよく走った。

 1994年生まれは、ダービーグランプリやグランシャリオC勝ちのテイエムメガトン、東海ウインターSや白山大賞典などを優勝したマチカネワラウカド。1995年生まれはマーチSやかしわ記念を制したタマモストロング。2005年生まれには兵庫CS勝ちのナンヨーリバーと、ダート路線で良績を残した。

 ここには列挙できなかったが、地方競馬においても、重賞勝ち馬を多数送り出した。また1999年生まれのメイショウカイドウが、小倉記念を2回、小倉大賞典、北九州記念を優勝するなど、小倉競馬場で好相性を示し、2004年生まれのケイティラブはアイビスSDを制しており、ダート路線だけではなく芝でも重賞ウィナーを輩出している。

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▲小倉三冠を達成したメイショウカイドウ、写真は2005年の北九州記念 (C)netkeiba.com


 だが21歳となった2009年は22頭、2010年が9頭、2011年2頭、2012年1頭と、年齢を重ねるごとに頭数は減少し、2013年の1頭を最後に種付けは行っていない。

アメリカが誇る名馬の非業の最後…同じことを繰り返してはいけない


 スキャンが27歳の2015年、来日して以来長年過ごしてきた日高スタリオンステーションの閉鎖が決まった。当時同ステーションにいた馬たちは、次々と新しい引き取り先へと移っていったが、高齢だったスキャンはなかなか移動先が決まらず、1頭残されてしまった。

 スキャンの行く末を心配した人がいた。認定NPO法人の会員だったその人は、同馬について引退馬協会の北海道事務所に連絡を入れた。その話を聞いた引退馬協会の沼田恭子代表は、過去のある一件が脳裏をよぎった。種牡馬として日本に輸入され、走る産駒を出せなかったために処分されてしまったケンタッキーダービー馬のファーディナンドのことだった。

 当時、日本在住の記者バーバラ・バイヤーさんが調査した結果、屠殺場送りとなったであろうことを突き止め、アメリカに記事を寄稿。アメリカが誇る名馬の非業の最後がニュースとなった。アメリカでの反響は相当大きく、日本でも衝撃が走った。

 スキャンをファーディナンドのようにしてはいけない。その思いを強くした沼田代表は、引退馬協会北海道事務所の加藤めぐみさんとも相談して、ひとまず荒木牧場功労馬サポーターズを運営している荒木貴宏さんの牧場にスキャンを移動させたのだった。

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▲日高スタリオンステーション退厩の様子(提供:荒木牧場功労馬サポーターズ)


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▲荒木貴宏さんの牧場に到着時の様子(提供:荒木牧場功労馬サポーターズ)


 荒木さんの牧場には、ネーハイシーザーをはじめ、ブライアンズロマン、トーシンブリザードの功労馬たちが既に繋養されているほか、行き場を失った馬の中間支援も行っている。中間支援とは、一時的に荒木さんの牧場で預かり、その間に必要があれば去勢手術などの処置をして、受け入れてもらいやすい状況を作って、行き先を探すというものだ。スキャンはその中間支援の対象となった。

 近年はシルバーチャームやカリズマティック、ウォーエンブレムのように、日本で種牡馬として供用されていた馬が、生まれ故郷のアメリカに帰るケースも見られるようになってきた。もちろんスキャンをアメリカに戻す案も検討されたが、疝痛を起こしやすい同馬に長距離の移動は難しいのではないかと日高スタリオンステーションから話があり、諦めざるを得なかった。

 JRAの重賞や地方競馬の交流重賞勝ち馬ならジャパン・スタッドブック・インターナショナルの引退名馬繋養展示事業の助成金を受けられるが、アメリカでしか重賞を勝っていないスキャンにはその資格はない。そこで支援金を募るとたくさんの善意が寄せられ、引退馬協会は手応えを感じた。

 そして30歳をメドに3年間に300万という額を資金の目標にして、さらに呼びかけを行ったところ、多くの人々がスキャンを心配して協力したのだった。その結果、スキャンは引退馬協会でフォスターホースとして引き受け、荒木さんの牧場にそのまま預託されることになった。

「一昨年の12月は、中間支援で別の馬を受け入れていたんです。ちょうどその時にスキャンもお願いしたいのですがと引退馬協会から打診があって、受け入れを決めました。日高スタリオンステーションで周りの馬たちが、それぞれの引き取り先に移動していって最後まで残されていたので、スキャンも多少不安があったとは思うんですよね。ただウチにも功労馬たちがいますので、来た当初から気分的には安心できたと思います。

 日高スタリオンさんがわりと海に近いところにあって、ウチも海に近いので、気候風土的にはとても似ているところがあります。年齢的にも環境はあまり変えたくなかったというのもあると思いますし、初めからスキャンは比較的落ち着いていましたね」

 と、やって来た当初のスキャンについて、荒木さんは教えてくれた。

「サラブレッドは神経質な面があって、いつもと別の馬房に入れると匂いが違うせいか興奮することもありますから、放牧するパドックも他の馬と共有するのはあまり良くないと思います。それに種馬を経験したくらいの馬はプライドが高いですから、他の馬と一緒ではなく単独で放牧しています。ストレスもないように感じますね」(荒木さん)

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▲新しい環境にも慣れ、放牧を楽しむスキャン(提供:荒木牧場功労馬サポーターズ)


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▲一昨年の年末の様子、この頃は元気な姿を見せていた(提供:荒木牧場功労馬サポーターズ)


 スキャンも、朝放牧に出てのんびりと草を食み、夕方は厩(うまや)に戻る穏やかな毎日を過ごした。

「歯が弱くなっていたので、食べるのに時間がかかったりしていましたけど、それ以外はわりと順調でしたし、まだ2、3年は元気でいてくれるかなと正直思っていたんですけど…」

 電話口の向こうから伝わってくる荒木さんの声は、とても残念そうだった。

(次回へつづく)


※ネーハイシーザー、ブライアンズロマン、トーシンブリザードは見学可です。

荒木貴宏
〒059-2566 北海道日高郡新ひだか町静内東別71
電話 0146-48-2749
時間 8時〜15時

なるべく事前に連絡をしてください。
自由に見学できますが、見学前に一声かけるようにして下さい。

荒木牧場功労馬サポーターズ HP
https://akbks.jimdo.com

荒木牧場功労馬サポーターズ Facebook
https://www.facebook.com/荒木牧場功労馬サポーターズ-1590776117800623/?fref=ts

※参考文献
馬の命を守れ!〜引退馬協会活動記録〜
(認定NPO法人引退馬協会著 認定NPO法人引退馬協会・代表理事沼田恭子発行)
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コラムニストプロフィール

佐々木祥恵
佐々木祥恵
北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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