熱視点/島田明宏

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連敗記録

2017年06月10日(土)12時00分

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「我が軍」こと読売巨人軍が6月9日の日本ハム戦で競り勝ち、16日ぶりに白星を挙げた。42年ぶりに塗り替えた球団ワースト記録の連敗は13でストップ。なお、プロ野球の連敗記録は1998年にロッテが記録した18(ひとつの引き分けを挟んで記録)で、セリーグ記録は70年ヤクルトの16。後者は、引き分けを挟まないプロ野球記録でもある。

 では、競走馬の連敗記録はどうか。

 現在の記録保持馬は、2005年10月23日に京都の2歳新馬戦でデビューし、2012年7月11日に笠松で8着に敗れたのを最後に引退したマイネアトリーチェ(2003年生まれ、牝、父タマモクロス)で、192連敗。デビュー以来全敗で、192戦0勝2着2回3着6回という成績だった。

 その前の保持馬は、2010年10月12日に園田で10着に敗れたのを最後に引退したカンムリホルダー(2001年生まれ、牝、父ロングニュートリノ)で、179連敗。こちらも全敗馬だ。

 そのさらに前は、2003年6月に札幌でデビューし、2008年12月16日に園田で8着に負けて引退したエリザベスクィーン(2001年生まれ、牝、父トレジャーアイランド)で、165連敗。しかし、この馬は素晴らしいことに、2008年7月29日に園田で勝って、連敗記録をストップしている。全敗馬ではないのだ。

 この馬に破られるまで、長らく記録を保持していたのは、1986年から1992年まで浦和を中心に走ったハクホークイン(1984年生まれ、牝、父ハクホオショウ)で、161連敗だった。

 であるから、2003年の初夏、未勝利のまま90連敗したころから注目され、国民的アイドルになったハルウララ(1996年生まれ、牝、父ニッポーテイオー)は、連敗記録を持っていたわけではない。ほんわかとしたイメージどおりの馬名や、ずっと高知で頑張りつづけたところなどが愛され、人気者になったのだ。とはいっても連敗数は相当なもので、1998年11月から2004年8月まで走って113連敗した。

 ハルウララはただ負けつづけただけではなく、たくさんのファンを高知競馬場に集めるという大仕事をした。そのピークが2004年3月22日に行われた106戦目。「不可能」と言われていたJRA年間200勝を前年初めて突破した武豊騎手を鞍上に迎え、レースに臨むことになったときだ。

 高知競馬場の入場ゲート前には開門前から約3000人が長蛇の列をなした。午後2時過ぎには観客が収容可能な過去最高の1万3000人に達し、同競馬場史上初めてとなる入場制限の措置が取られた。入場できなかった観客は、競馬場から2キロほど離れた県営陸上競技場の大型画面などでレースを観戦した。この日は、ひとつのレースでの馬券売上も、一日の総売上も、高知競馬場における最高記録を更新した。

 レースの結果はというと――。ハルウララは1番人気に支持されたが、11頭中10着に終わった。それでも、武騎手は「負けてもやろうと思っていた」というウイニングランでスタンド前に戻った。ウララは、超満員の観衆にあたたかい拍手で迎えられた。

 なお、中央競馬では、1957年から1960年まで94連敗したテンケイ(1955年生まれ、牡、父アサフジ)、国営時代までさかのぼると、1951年から1953年まで111連敗したトキツバキ(1949年生まれ、牡、父レイモンド)が最多連敗馬となっている。どちらも全敗馬で、テンケイの94敗のうち半数以上の50敗は障害レースであった。1957年は17戦、58年は37戦、59年は28戦、60年は12戦と、今の競馬では考えられない使われ方だった。

 中央競馬で、負けつづけながらも頑張って勝った馬、つまり、連敗馬の勝利記録に関しては、手元の資料によると、2004年2月に京都の1000万下で勝利を挙げてから負けつづけ、2008年3月、中京で勝ったストロングドン(2000年生まれ、牡、父メジロライアン)の59連敗が最高になっている。

 プロ野球の連敗は、これと同じ数え方ということになる。

 ここに挙げた、地方競馬の連敗記録保持馬がみな牝馬なのに、中央のそれは牡馬ばかりになった。特に意図して選んだ結果ではないのだが、なぜだろう。

 現ホルダー、マイネアトリーチェの父がタマモクロスで、ハルウララの父がニッポーテイオーというのも興味深い。

 タマモクロスは、私にとって我が軍ならぬ「我が馬」と言っていい存在で、競馬を見るようになって初めて好きになり、応援しつづけた馬だ。1988年にオグリキャップとの芦毛対決で注目され、史上初の天皇賞春秋連覇を達成した名馬である。

 ニッポーテイオーはタマモより1歳上の名マイラーで、1987年秋の天皇賞、マイルチャンピオンシップ、翌88年の安田記念などを制した。88年の宝塚記念でタマモと初対決して2着に敗れ、それが現役最後のレースとなった。

 マイネアトリーチェもハルウララも、父からタフさを受け継いだのだろう。

 それはさておき、我が軍が不名誉な連敗記録を更新せずに済んでよかった。これだけ負けつづけたことによって得たものもあったはずだ。それを生かし、今度は連勝記録を塗り替えてほしい。
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コラムニストプロフィール

島田明宏
島田明宏
作家。1964年札幌生まれ。ノンフィクションや小説、エッセイなどを、Number、週刊ギャロップ、優駿ほかに寄稿。好きなアスリートは武豊と小林誠司。馬券は単複と馬連がほとんど。趣味は読書と読売巨人軍の応援。ワンフィンガーのビールで卒倒する下戸。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』など多数。『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』で2011年度JRA賞馬事文化賞、小説「下総御料牧場の春」で第26回さきがけ文学賞選奨を受賞。最新刊はテレビドラマ原作小説『絆〜走れ奇跡の子馬』。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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