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競馬ファンが求めたふれあいの場所 ホースパラダイス群馬

  • 2017年07月04日(火) 18時00分
第二のストーリー

▲クラブハウスに飾られているカシマドリームの写真


(前回のつづき)

「馬からは離れられない…でも可愛いですから」


 ホースパラダイス群馬のクラブハウスには、元気だった頃のカシマドリームの写真があった。カシマドリームといえば、日本ダービー当日の朝、出走取消となった悲運の馬という印象が強い。

 カシマドリーム。1993年3月3日に北海道早来町(現・安平町)の社台ファームで生まれた。父はジェイドロバリー、母はダイナスクエア、母の父がパーソロンという血統だ。美浦の飯塚好次厩舎の管理馬として、1995年7月に新馬戦でデビューして2着となり、2戦目で初勝利を挙げている。明け4歳(旧馬齢表記)になって2勝目を挙げると、ダービートライアルの青葉賞(当時GIII)でマウンテンストーンの2着となって、晴れてダービーの出走権を得た。だがよりによって日本ダービー当日、疝痛のために出走取消という悲運に見舞われたのだった。

 ダービー取消明けのラジオたんぱ賞(GIII・現ラジオNIKKEI賞)では、ビッグバイアモンの半馬身差の2着に健闘し、能力の高さを改めて証明した。秋になってセントライト記念は7着と掲示板を外したが、当時、菊花賞トライアルだった京都新聞杯ではダンスインザダークの2着と好走して、菊花賞(GI・10着)へと駒を進めている。その後もオープン馬として重賞にも数多く出走したが、中山記念(GII)や中山金杯(GIII)の5着が最高で、オープンではとうとう勝てないまま、北関東へと移籍していった。移籍後、足利、宇都宮で4戦したものの、いずれも掲示板にすら載れず、京都新聞杯でダンスインザダークと好勝負したかつての輝きを既に失っていたようだった。

 そして前回記した通り、現役を退いたカシマドリームは、

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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