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芦毛のトーヨーロータス 体調を崩すたびに何度も甦る生命力

  • 2017年06月27日(火) 18時01分
第二のストーリー

▲スプリンターズSにも出走したトーヨーロータスと、高崎の元厩務員でホースパラダイス群馬代表の栗原修さん


(前回のつづき)

古巣の足利で引退したハシノタイユウ、獣医師の乗馬に


 一時、大井競馬に転籍していたハシノタイユウは、再び古巣の足利へと戻ってきた。

 脚元の故障を癒すために放牧を挟んで、1997年6月9日に足利競馬場で行われた重賞のオールスターCでおよそ1年振りに復帰。2番人気に推されたものの7着と敗れた。「ハシノタイユウはもう終わったと周りには捉えられていたようです」とTAIYUMAMAさんは、当時を振り返った。

 半年ほど休養したタイユウは、12月3日に宇都宮競馬場のサラ系一般A2B1に参戦。この時は降級していたこともあり、タイユウはスタートと同時に先頭に立ってレースを運ぶと、そのまま他馬に先頭を譲ることなくトップでゴールインした。

「宇都宮の直線は短いんですけど、4コーナーあたりでスタンドから下に降りて、一緒に併走しちゃったんです(笑)。昔いましたよね? ダービーの時にコースに出て応援した厩務員さん(1969年に優勝したダイシンボルガード)が。さすがにコースに出はしなかったですけど、結局ゴールまで走っちゃって(笑)。ああこういうことなのかと、あの時の厩務員さんの気持ちがすごくよくわかりました」

 年が明けて3走したが、古傷とは別の脚を痛めてしまい、3月の足利記念(重賞)9着を最後に引退が決まった。

「タイユウの行き先が見つからなかったら、自分で面倒を見ようと思っていました。でもこのタイミングで、私が病気を患ってしまって仕事を辞めざるを得なくなったんです」

 だが、タイユウには運があった。乗馬歴が長い足利競馬場に出入りしていた獣医師が、タイユウを自分の乗馬として引き取ったのだ。

「その獣医さんはタイユウの体型が好みだったようですね。調教師と私の2人で、どうか引き取ってください、お願いしますと頭を下げました」

第二のストーリー

▲引退となったハシノタイユウ、第二の馬生は獣医師のもとで乗馬に


 こうしてハシノタイユウは、乗馬として第二の馬生をスタート。新たなオーナーとなった獣医によって、乗馬としての基礎的な調教を施された。その間もTAIYUMAMAさんは、ハシノタイユウを見守り続けていた。

 乗馬となって2年が経過した頃、以前高崎競馬場で厩務員の経験がある栗原修さんが、引退した競走馬を繋養するホースパラダイス群馬を開設する準備を進めていた。中央時代に重賞で好走歴があり、足利に移籍して現役を続けていたカシマドリームをホスパラに引き取る話が、丁度持ち上がっていた。それなら競走馬時代に痛めた脚のハ行が取れないハシノタイユウも一緒にどうかという流れになったという。

 タイユウを引き取った獣医師とTAIYUMAMAさんは、タイユウが暮らすであろう場所を見学に訪れると、栗原さん一家が開設に向けて懸命に準備をしていた。そして2000年5月、ホースパラダイス群馬がオープンしたのだった。

 タイユウはカシマドリームやポニー2頭とともにホスパラの住人となり、続いてトーヨーロータス、マイネポーラスターが仲間に加わった。と同時にTAIYUMAMAさんは、休みのたびにタイユウたちの世話をするために、ホスパラに通うようになった。‎

現役時代には岡部幸雄元騎手も騎乗


 栗原修さんは、植木職人など様々な職業を経験したのち、高崎競馬場で厩務員となる。高崎ではトップクラスの成績を上げる腕利き厩務員として鳴らした。

「厩務員をしながら休養牧場の兼業をしていました。馬に疲れが出たら、3か月、半年と休ませて競馬に使う。その頃はまだ馬がたくさんいましたからね。そのうち高崎競馬も斜陽になってきて、馬も休ませるくらいなら抹消するという流れになって、馬の仕事から離れなければならない時期が来るのかなと思って。

そんな時に、北海道を訪れて元競走馬に会って接してくるという話を見聞きしたんですよね。それなら群馬である程度名のある馬を繋養して、会費を集めてみんなで面倒をみて楽しめたら良いかなと、ここを始めました」

 その趣旨に賛同したファンが当初はかなり集まったが、それも徐々に下降気味になっていった。栗原さんは多くの人に何とか馬に触れ合ってもらいたいと策を練った。

「子供たちへの情操教育や、障害者乗馬に取り組んでみようと考えました」

 しかし障害者や子供たちが安全に乗れるように、元競走馬を大人しく調教をするのは困難だった。

「トーヨーロータスには、何人放り投げられたかな(笑)。そうそう、トーヨーロータスの現役時代には、僕と同じ群馬県出身の岡部(幸雄元騎手)さんが乗って、2つ勝っているんですよね」


 芦毛のトーヨーロータスは、1993年5月2日にアメリカで生まれている。父はLyphard、母はサーティエイトゴーゴー、母の父がThirty Eight Pacesという血統だ。栗東の斉藤義美厩舎から、1995年11月にダート1400mの新馬戦でデビューして3着。2戦目に1番人気に応えてダート1000mの未勝利戦で初勝利を挙げた。3戦目に芝1400mのさざんか賞(500万下)にも優勝。

 年が明けてシンザン記念(GIII)に挑戦して、ゼネラリストの5着に入っている。その年の6月、吾妻小富士OPで初めて前出の岡部騎手が手綱を取り、古馬との初手合わせとなった同レースを制した。中央ではやはり岡部騎手が騎乗したオータムスプリント(OP)で1着となり、その年の12月には柴田善臣騎手が乗ってスプリンターズS(GI)にも出走。6着という成績を残した。

 1997年は2戦するも掲示板に載れず、休養を挟んで地方競馬へと移籍。南関東や岩手で競走馬生活を続けたが、勝利には手が届くことはなく、2000年6月の盛岡の姫神賞(OP)の9着を最後に競走馬登録が抹消された。

「高崎のある調教師から、北海道の牧場で追い馬(※育成馬を後ろから追う馬)をしている去勢された芦毛の良い馬がいるからと紹介されて、ウチに来ました」

 それがトーヨーロータスだった。こうしてロータスは、再び本州の地を踏んだ。

「芦毛はメラノーマになると聞くけど、それは今のところないですね。ただ元々体が弱いところがあって、これまで何回も死にそうになったんですよ。それでも生きているのがすごいよねえ」

 と、体調を崩すたびに甦るロータスの生命力の強さに、栗原さんは感心していた。それはTAIYUMAMAさんも同じだった。

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▲▼芦毛に多いメラノーマにはならずに済んでいるというトーヨーロータス


第二のストーリー

「ロー太(トーヨーロータス)は、本当によく疝痛になって大変な思いを何度もしているんです。弱いのかなとも思うんですけど、そこから回復するのですから、実は生命力が強いんでしょうね。タイユウは、ほとんど疝痛は起こさないですけど、いざなると酷い症状なんですよ。でもロー太と同じで、強い子ってどんなに重い病気になっても、必ず回復してくれるんですよね」

 だがカシマドリームは、呆気なく逝ってしまったとTAIYUMAMAさんは残念そうだった。クラブハウスには、在りし頃のカシマドリームの写真が飾られいた。

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▲綺麗にデコレーションされたカシマドリームの写真


(次回へつづく)


※ホースパラダイス群馬は見学可です。
〒370-0353
群馬県太田市新田上中町380-1
ホースパラダイス群馬
見学・お問合せ
電話:0276-57-1907、090-5438−1345 or 090-1197-7197
※事前に連絡の上、ご訪問ください

ホースパラダイス群馬の近況お届けブログ
http://horse703.blog17.fc2.com/

【関連動画】ソフト競馬の第一回同窓会ダービーに出走したトーヨーロータス
https://www.youtube.com/watch?v=VDJKhG_CWnw

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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