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ノースフライトの生まれ故郷、大北牧場へ

  • 2018年01月31日(水) 18時00分
生産地だより

1月22日に亡くなったノースフライト(2015年7月撮影)


離乳した当歳たちの「子守役」を務めていたという


 去る1月22日。94年の安田記念とマイルチャンピオンシップを制したノースフライトが生まれ故郷の大北(たいほく)牧場で静かに息を引き取った。亨年28歳。サラブレッドとしては、比較的長寿と言えるだろう。

 1990年生まれ。父トニービン、母シヤダイフライト。母の父ヒッティングアウェーという血統である。母のシヤダイフライトは、90年1月に開催された社台グループの繁殖馬セールにて大北牧場代表・斎藤敏雄氏が410万円で落札した繁殖牝馬だ。

 現在、牧場の実務を統括する善厚氏によれば「トニービンは輸入されたばかりで、初年度産駒がお腹に入っている年でしたから、まだ評価もされていませんでしたのでこの値段で買えたのでしょうね。それに、シヤダイフライトは、1973年生まれの明け17歳で、繁殖牝馬としてはピークが過ぎているという評価だったと思いますから、そんなことも価格に反映したはずです」とのこと。

 シヤダイフライトは大北牧場に来て、春に牝馬を出産する。それがノースフライトである。そして、1歳になっても、なかなか買い手がつかなかったことから、牧場名義の“自家用車”として、栗東・加藤敬二厩舎に預けられることになる。

 デビューは3歳5月1日の新潟未出走戦。すでにその頃には、トニービン産駒がクラシック戦線で爆発的に走り始めていた。ベガが桜花賞を制し、ウイニングチケットもダービー候補として名乗りを上げており、トニービンは一躍注目種牡馬となった。

 そんな中、ノースフライトもデビューを迎え、1番人気に応えて勝利を収める。この時、ノースフライトに騎乗していたのは現調教師の西園正都師だ。

 続く2戦目は小倉の足立山特別。ここで武豊騎手に乗り替わり、難なく2連勝となる。

 3戦目の秋分特別(阪神、9月18日)では、当然のことながらグリグリの1番人気(1.2倍)に支持されたが、蕁麻疹による発熱と折から発情(フケ)の周期とも重なったために、生涯初めて5着に沈んでいる。

 しかし、4戦目の府中牝馬ステークス(東京)では、角田晃一騎手を背に、4番人気ながら優勝し、初の重賞勝ちを収める。そして、その後ノースフライトは、牡馬の一線級を相手にほぼ完璧な成績でターフを駆け抜けた。生涯成績は、11戦8勝、2着2回。収得賞金は4億5041万円。実質的に競走馬としての現役期間は、わずか1年半でしかなかったが、2つのGIを含め重賞勝ちが6つと、競走馬としてはこれ以上ないほどの優秀な成績を残し、惜しまれて引退する。

 生まれ故郷の大北牧場に帰って来てからは、繁殖牝馬として、合計10頭の産駒を出産した。代表産駒はミスキャストで、同馬は母ノースフライトと同じ加藤敬二厩舎に所属し、24戦5勝の成績を上げ、種牡馬となって天皇賞馬ビートブラックを輩出した。

 ノースフライトの繁殖牝馬引退は2011年。それ以降は、のんびりと余生を過ごし、もっぱら離乳した当歳たちの「子守役」を務めていたという。

「ノースフライトは、とても賢い馬で、まさしく離乳したばかりの当歳馬たちにとっては、得難い“おばさま”でした。母馬から離されたばかりの当歳は、精神的にも不安定なものですが、ノースフライトは上手に当歳たちの相手をしながら、立派に子守りをしていましたね。ウチは生まれた月齢順に、数頭ずつ段階的に離乳をして行って、慣れた頃を見計らって順番に当歳馬だけのグループのいる分場に移動させるやり方です。ノースフライトは、よく当歳たちを見ていて、新しい当歳が加わると分かっていたようですね」(善厚氏)

 しかし、そんなノースフライトにも徐々に衰えが見え始めたのが、今から4年〜5年前のこと。「もともと顎の張った飼い葉食いの良い馬で、結構ふっくらとした体型でした。そんなことから蹄葉炎になってしまい、少しずつ歩様が悪くなってきたので、あまり太らせないように、そして、蹄鉄を履かせるなどして脚元を管理していたんですが、とうとう脚がもつれるような歩き方になってしまって」(善厚氏)

 いよいよ、これは危ないかも、というところまで症状が悪化したのは、亡くなる1週間前のことだったという。そして、ついに横臥したまま起き上がれなくなり、1月22日に眠るように息を引き取ったのであった。

 ノースフライトはファンの多かった馬で、善厚氏によれば「だいたい一夏で100組くらいの方々が来られていましたね。なので、暖かくなったら、牧場の敷地内にお墓を建てようと考えています」

 牧場の休憩所には、写真と遺髪、生前つけていた頭絡とともに、届けられた供花や弔電などが一角に飾られていた。現役時代、初めての担当馬としてノースフライトを管理していた石倉幹子さんからも、死を悼む電報が届いていた。

 なお、大北牧場には、ノースフライトの血を引く繁殖牝馬が現在3頭繋養されているという。その中からまた活躍する産駒が出てくれることを期待したいところだ。

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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