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“温泉”から“銭湯”へ

  • 2006年08月08日(火) 23時49分
 浦河優駿ビレッジ「アエル」は、98年にオープンした乗馬リゾートである。第三セクター「うらかわ優駿の里振興株式会社」による経営で、競馬ファンの間では、現在ここに功労馬として5頭の名馬が繋養されていることでも知られる。ダイユウサク、ニッポーテイオー、ヒシマサル、リワードウイング、そして昨秋より新たにウイニングチケットが加わった。107ヘクタールの敷地に飲食、宿泊施設を始め、パークゴルフ場、遊戯施設などを有し、オープン以来多くの入場者で賑わってきた。

アエル遠景

 さて、このアエルに温泉掘削の計画が持ち上がったのは、98年のこと。5年の歳月をかけて施設が完成し開業に漕ぎ着けたのと同じ98年春に、温泉掘削にトライする町側の意向が示され、同年6月の定例議会で承認されている。つまり、アエル開業当初からの“悲願”でもあったわけだが、それに先立ち96年に道立地下資源調査所に依頼した調査では「お勧めできない」との“判定”を示されていたという。

 しかし、それでもなお温泉に固執したのは、隣の三石町(現・新ひだか町)や静内町(同)などですでに町営の温泉施設が稼動していたことに触発された面もあるのだろう。「おらが町にもぜひ温泉を」というような対抗意識があったことは否定できない。

 結果、1億4700万円の巨費を投じて、ボーリング調査が開始されたのは98年6月。その翌年、この工事を請け負った掘削業者が見事に温泉を掘り当て(?)、2000年よりめでたく「浦河温泉アエルの湯」と看板を掲げて営業が始まった。

 この源泉を調査した道立衛生研究所の分析では、当時「泉温27.1度、湧出量毎分33リットル」というもの。毎分33リットルの湧出量はいかにも少なく、そのためにこの温泉は一度地下1700mから汲み上げた“お湯”を隣接した井戸に溜め、そこから浴場にパイプで引き込み、いわゆる「循環方式」で浴槽を満たしていた。湯温、湧出量ともに十分ある温泉ならば「かけ流し」も可能だが、ここでは営業開始当初から「加熱、循環」方式を採用せざるを得ない悪条件だったのである。

 それでも2000年に温泉へと“昇格”したことで大浴場の利用者は急増し、98年(まだ温泉ではなかった)に年間5万6千人余だった利用者が01年には約11万9千人と2倍になっていた。滑り出しは順調であった。

 ところが「アエル温泉には近隣の川の水が混入しているのでは」との疑惑がかなり早い段階から浮上していた。その決定的な引き金になったのは、掘削業者の下請け業者による「内部告発」である。アエル温泉掘削を請け負った業者は、「ヒットアンドペイ」方式(成功報酬制)による契約を町側と交わしていたため、源泉を掘り当てるか否かは、それこそ死活問題であった。この下請け業者の告発によれば、「1700mではなく、900mしか掘っていない。温泉も出ていない」とのこと。

 そもそもが請け負い業者とこの下請け業者との間に金銭の貸借を巡る民事訴訟が係争中で、札幌地裁に提出された下請け業者による上申書にこうした事実が記載されているらしい。この温泉偽装疑惑については、道議会総合企画委員会(7月6日)にて日本共産党の大橋晃道議が質問するに至り、一斉に各マスコミが注目するところとなった。

 それを受けて、浦河町は当初、この疑惑を全面否定していたが、再調査の結果、図らずも温泉だったはずの浴場に川の水を引き込んでいた事実を“確認”するに至り、このほど泣く泣く「温泉」としての看板を下ろさざるを得なくなったのである。

 掘削業者に支払った「成功報酬」分と合わせて、町は合計3億円以上の予算をこの温泉掘削に投じてきた。しかしながら、下請け業者による告発では、「温泉など出なかった」という衝撃的な証言もある。だとするならば、最初に掘り当てた際の「27.1度の湯が毎分33リットル」という分析結果と真っ向から相反する。

 いずれにせよ、町としてはこの件で大損害を蒙ったのは間違いなく、悪徳業者によるほとんど「詐欺」と言っても差し支えない疑惑すら浮上してきている。残るは司法の場での決着だが、我が町のこととはいえ何から何まで「?マーク」ばかりの「お笑いニュース」である。真相はいったいどこにあるのか。今後の展開をさらに注目して行きたいと思う。

 (追記。掘削業者と町が結んだ契約では、成功報酬支払いの条件として、「湯温26度以上、湧出量毎分30リットル以上」と提示されていたらしい。[前記、大橋晃道議の記者会見]ということは、辛うじてそれをクリアする数字があらかじめ何らかの方法で密かに用意されていたのではないのか、といった疑惑も浮上してくる。道立衛生研究所によれば「検査は適正、厳格に実施した」とのことだが、下請け業者の告発では「温泉など出ていない」とまで言い切っており、謎が深まるばかりである)

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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