スマートフォン版へ

天皇・皇后両陛下、日高へ

  • 2006年09月12日(火) 23時50分
 先週は皇室関連のニュースで一色であった。秋篠宮紀子様の男児ご出産により、皇室にとっては41年ぶりの慶事となった。

 折りしも、両陛下は北海道にご滞在中で、いつにも増して訪れた先々で祝賀ムードで盛り上がった由。ちょうど男児ご誕生の翌日、両陛下は初めて日高入りされた。

日高入りされた天皇・皇后両陛下

 9月7日は札幌より新ひだか町静内へ。そして8日は静内から一気にえりも岬へと直行され、その後隣の様似町にてご投宿。その翌日、様似を出発した両陛下は、浦河町まで戻られ、国道236号線の通称「天馬街道」を進み、十勝へ抜け、この日の夕刻に帯広空港から東京へと戻られた。

 先月末あたりからだろうか、日高にずいぶん警察官の姿が目立つようになったとは思っていた。パトカーも走り回り、おかげでスピード違反をするドライバーがずいぶん減少したはずだ。明らかに物々しい雰囲気が漂う中、月が替わるとその動きがさらに加速した。ご行啓に備えて、ほとんど厳戒体制で本番に臨むべく、聞いたところによれば道内を始め、全国各地より動員された警察関係者は3000人にも上ったらしい。

 町の広報や地元農協などからは繰り返し「交通規制」を報せるFAXが入ってきた。以前はさほど厳しくなかったらしいが、北海道では平成15年7月に、一民間人によるご行啓の車列を後方から追い越す事件が発生し、大騒ぎになったことがあった。たぶんその時の教訓だろうか、ご行啓の車列が通過する際には、対向車線も通行止めの措置が取られている。平成15年の時は、対向車線を走っていた軽自動車が車列とすれ違った直後に急ハンドルを切ってUターン。そして猛スピードで車列を追い越したのだった。警備を担当していた警察関係者は、さぞ血の気が引いたことだろう。幸い、「単に追い越しただけ」で終わったから良いものの、タイミングとしてはテロ行為に等しく「一瞬の警備の隙」を突かれたのだから。

 今回、どこで「ご尊顔」を拝むかを私もあれこれ考えた。で、得た結論はBTC(軽種馬育成調教センター)やJRA日高育成牧場にほど近いコンビニエンスストア「S」の駐車場だった。ここの利点は、まず見学者(というのも変だが)が少ないこと。見通しが比較的良いこと。道路の左側に位置するため、皇后陛下の側(後部座席左側に乗られているとの情報を聞いた)から撮影可能な場所であること、等々…。

 周囲は牧場ばかりで、ここはある意味、もっとも日高的な風景の広がるポイントの一つである。午前10時を過ぎた頃よりこの場所に集まってきたのは約30人ほど。ご行啓の車列は10時40分前後に通過する予定である。

 警備に当たる警察官は、旭川からの出張組だった。「昨夜は体育館に泊まった」とのこと。「うちの署だけで70人くらい来てますよ」という。3000人体制だから、それもむべなるかな。宿泊施設が決定的に不足していたので、町の公共施設やJRA職員寮の空き部屋まで“動員”されたらしい。一方、日高沿線にあるコンビニや弁当屋などは、時ならぬ「特需」に沸いたという。やはり、これは大変な出来事なのである。

 夥しい数の警察車両(パトカーやバスなど)が目の前を十勝方面に向かって通過して行った。その後、あらかじめ集まった我々一般人に対し、警察官から「沿道でのマナー」をレクチャーされた。旗持参の人々は、ご丁寧に振り方まで“指導”された。先導のパトカーや車列に関する説明もあった。「3という数字のパトカーが来たら、あと3分で到着します、ということです」などという説明を聞きながら、「その時」を待つ。やがて予告通りに先導に白バイとパトカー。さらに「1」という数字を表示したパトカーも来る。いよいよである。

 ほどなく、ご行啓の車列が見えて来た。時速は推定50kmほどか。私たちの人垣を見た運転手が直前に速度をやや落とし、両陛下はこちらに向かって軽く手を振られる。思わず夢中でシャッターを切った。あっという間に車列は通り過ぎ、その後をまた夥しい数の警察車両や報道関係者用のバスなどが後に続いた。

お手をお振りになられた天皇・皇后両陛下

 その時の「作品」がこれである。かなり多くの人々がカメラを構えていたのだが、やはり国民としては黙って旗を振る方があるいは良かったのだろうか?

 そして、確かめるすべなどないのだが、両陛下がこの「馬のいる風景」をご覧になってどのような感想を漏らされたのか、ちょっとだけ興味がある。

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

バックナンバー

新着コラム

アクセスランキング

注目数ランキング