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第41回シンザン記念

  • 2007年01月16日(火) 23時50分
 このところ1月初旬に「シンザン記念」へ出張することが恒例になっている。我が町浦河で毎年夏に開催される「シンザンフェスティバル」にて選出されたミスシンザン(2人)を伴い、京都競馬場で行なわれるシンザン記念の優勝馬表彰式をお手伝いすることとテレビ出演などのためである。

 今年のミスシンザンはともにシンザン記念の前日、成人式を終えたばかりの19歳コンビ、遠藤恵さんと小西真梨奈さん。いつもならレース前日に出発し、余裕のある日程で本番に臨むのだが、今年はそんなわけで異例の“当日輸送”となった。

ミスシンザン1

 もちろん主役はミスシンザンの二人で、私たち中年男はいわば付き人のようなものだ。フェスティバル実行委員会のメンバーが概ね4人もしくは5人程度が随行し、テレビ出演や表彰式などに立ち会う。

 今回は出発の前日、浦河に台風並みの低気圧が襲来し、7日午前2時48分に、瞬間最大風速48mという猛烈な突風が吹き荒れた。低気圧がほんの少し遅かったら、まず確実に空の便は欠航となっていたはず。わずか一日違いの際どいタイミングで出発することができた。

ボンバルディアCRJ200

 千歳空港で私たち計8名(ミス2人、実行委員会5名、JRA1人)が乗り込んだのは、定員50人ほどの小型ジェット機。何度も大阪行きの便に乗ったが、こんなに小さな機体は初めてだった。調べてみると「ボンバルディアCRJ200」というタイプで、JALでは札幌=山形、帯広=名古屋(小牧)などの便で就航しているらしい。小さいため、ターミナルビルに直結する連絡通路には連結できないようで、滑走路からタラップを上り下りするのである。こういう展開は予想していなかったので、ちょっと驚いた。

 さて、京都競馬場に到着したのは午前11時半。ここからミスシンザンは俄然忙しくなる。まず制服に着替え、挨拶回り。京都競馬場長や開催執務委員長、日刊スポーツ社(シンザン記念は、同社の冠がついている)関係者などの部屋を駆け足で回った後、テレビ出演のリハーサル。それが終わると新聞社の取材。さらに表彰式の打ち合わせ。ゆっくり休む間もなく午後3時過ぎのテレビ出演(KBS京都)とレース直後の表彰式まで、びっしりとスケジュールが詰まっている。

表彰式1

 ミスシンザンたちはテレビ出演を終えた後、下の検量室横でレースを観戦し、確定のランプがついた頃にウイナーズサークルへコンパニオンとともに現れる。あらかじめ打ち合わせをしているとはいえ、緊張するのはこの一瞬だ。花束を手渡す順番を決められた通りにこなせるか、立ち位置を間違えないか、いつものことだが見ている私たちもやはり落ち着かない。

 今年の勝ち馬はアドマイヤオーラ。父アグネスタキオン、母ビワハイジ(その父カーリアン)という名血で、人気馬3頭で手堅く決まり、馬番連勝は380円という鉄板馬券。表彰式の後、近藤利一オーナーを挟んでの記念撮影も何とか無事終了し、2人はどうにか大任を果たした。

記念撮影

 私たちのように競馬業界にいる者ならば、こうした重賞競走がどれだけの価値を持つかはよく知っている。もちろん競馬ファンも同様だろう。

 だが、馬産地とはいえ、毎年派遣するミスシンザンたちが必ずしも競馬に精通しているとは言い難い。従って今年の場合も、彼女たちは、岩田康成騎手や近藤利一オーナーも、たぶん知らなかったはず。生産牧場のノーザンファームもアグネスタキオンやビワハイジについても、予備知識はなかっただろう。もしかしたら5冠馬シンザンについても、実は名前しか聞いたことがないのかも知れない。

 ミスシンザンの任期は1年間。これまでの傾向から言うと、必ずしも競馬に詳しくはないミス2人が一度京都競馬場での“仕事”を経験すると、ほぼ例外なく「来年もう一度派遣して下さい。そうすればもっと上手にテレビ出演も表彰式もこなせると思います」と積極的に発言し始めるのだ。何事もやはり実際に経験することほど人間を成長させるものはない、といつも思ってしまう。

 浦河という人口1万5000人の町から選出するのがミスシンザンである。毎年、綱渡りの連続で何とか選出し続けて来たのだが、聞くところによれば全国的に「ミス○○○」を選び出すのが相当難しくなっているらしい。とりわけ地方でその傾向が顕著だという。ミスシンザンもこの先、そういう事態が起こらないとも限らず、やや不安に感じる。1万5000人というのは実はかなりのハンデキャップなのである。

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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