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ばんえい記念は“交流”重賞?

  • 2007年03月27日(火) 23時46分
 25日(日)は当初、雨か雪の予報になっていた。荒れた天候は戸外型の競技である競馬にとっては大きなハンデになる。せめて曇りくらいにでもなってくれたら良いのだが、と密かに心配していた。

 しかし、この日の帯広は晴天そして微風、しかもかなり温暖な気候に恵まれ、多数のファンで場内が埋め尽くされた。入場者3418人は普段の日曜日の倍以上である。帯広競馬場には厳冬期にしか行ったことのない私にとって、この日の人出にはかなり驚かされた。

 まず駐車場。競馬場の入場門近くに広がるスペース(通常はここだけで間に合う)は早々に埋まり、多くのファンは道路向かいの空き地(ここも競馬場と同様、十勝農協連の所有地だという)に臨時に設けられた駐車場へと案内された。例年ならば凍結している地面のはずだが、今年は帯広も暖冬だったせいで、ひどくぬかるんでいる。ゴム長靴でもなければとてもまともに歩けないくらいの泥んこ道を係員に誘導されて、駐車スペースへ。車から降りると驚くほど暖かかった。10度どころではなく、感覚的には15度近いくらいの気温になっているような気がした。

賑わう場内

 そのせいもあって、とにかく場内は大変な賑わいである。空気の悪い内部を避けて、スタンドの椅子に腰掛けて観戦する人も多く、またエキサイトゾーンにも多数のファンが詰め掛けている。これほど混雑している帯広競馬場は初めての経験だった。

 普段の日曜開催の倍ほども入るとどうなるか。当然、ファンがスタンド内部だけに滞留することは物理的に不可能と思われ、溢れた人々は外へ出て行くことになる。この日は好天と温暖な気候に本当につくづく恵まれたと思う。でなければ(例年くらいの寒さならば)戸外で終日過ごすにはかなり辛く、暖を取るために内部はさらにごった返していたに違いない。

 マスコミの取材もまた大変な数であった。顔見知りの取材者が大挙して訪れており、聞けば取材者用の腕章さえ“品切れ”するほどだった由。カメラ片手のファンは数知れず、テレビクルーもまた場内のあちこちで見かけた。顔見知り同士がここかしこで顔を合わせ、談笑する光景もずいぶん目撃した。要するに、この「ばんえい記念」は、「馬」ならぬ「人」の“交流重賞”なのである。本州からのツアー客もたくさんいたという。わざわざこの日のために、はるばる帯広に駆けつけていただいた多くの人々の存在が入場者3418人という賑わいに貢献したものと思う。

パドック

 レースは白熱したものだった。熱気はパドックから始まっており、ばんえい記念のゲートが開くと同時に最高潮に達した。重さ1トンのそりはさすがに容易には引けず第2障害の坂で各馬が一斉に立ち止まる。混戦の中、最初に登坂したのは8番のトモエパワー(坂本東一騎手)。そのまま独走し、2着に40秒もの大差をつけて優勝した。2600勝を挙げている53歳の大ベテラン坂本東一騎手は今までこのばんえい記念には縁がなく、今回14回目の騎乗で初勝利となった。なお、この日は全部で11レースが行なわれ、売り上げは1億7711万円。入場人員の割に売り上げが伸び悩んだのは、一人当たりの購入単価が下がったためである。購入窓口も払い戻しもレース毎に長蛇の列となり、場内アナウンスは早目の馬券購入を繰り返し呼びかけていた。“時間切れ”で購入できなかった人もずいぶんいたに違いない。

レース

 いよいよこれで4市(旭川、岩見沢、帯広、北見)の北海道市営競馬組合主催によるばんえい競馬は終わり、4月27日より帯広市単独開催の「新生ばんえい競馬」がスタートする。6月16日からはナイター開催である。老朽化したスタンドを塗装し直す(厩舎関係者が動員されるとも聞くが本当か?)ことやパドックをスタンド正面方向に移動させることなど計画されているという。あと1か月。場内を精力的に歩き回るソフトバンク・プレイヤーズ、藤井宏明社長の姿も見かけたが、おそらく資金も人手も時間も不足しているだろう。「みんなでつくるばんえい競馬」の「みんな」でこの1か月の間にどれだけのことができるのかを見守りたい。そして開幕週にはまた帯広を訪れるつもりでいる。

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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