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写真の“修整”はどこまで可能か

  • 2007年06月19日(火) 23時49分
 多くの生産者にとって販売用生産馬の宣伝、広告は苦手な分野である。生産馬を多くの顧客にいかにアピールするかはもちろん直接牧場経営に影響するだけに避けて通れぬ業務の一つだ。しかし、従来より、ここがもっとも大きな弱点の一つとされてきた。

 とはいえ、近年はさすがにそうも言っていられなくなっている。放っておいても顧客が馬を見に来た時代はとうの昔に過ぎ去り、これからは限られた顧客を奪い合う時代へと変わってきたのである。

 広告は大きく分けて二種類ある。一つは紙媒体(新聞雑誌など。個別の冊子カタログなどもこの範疇だ)、もう一つがネット上に掲載する方法である。折からネット上では来月開催予定のセレクトセールとセレクションセールに向けて、上場予定馬のブラックタイプと立ち写真が公開されている。セレクトセールの場合、5月初旬の申し込みの時点で写真添付が義務付けられていたため、ネット上の上場予定馬はすべて写真付きである。本来これが望ましい姿だが、一方のセレクションセールはまだ一部写真が揃っていない。昨年の場合には写真のある馬とない馬とが混在していたことからすると格段の進歩だが、全上場予定馬が歩調を合わせるのは最低限のルールであろう。

立ち写真1

 さて、その上場馬の立ち写真についてである。年々レベルが上がってきており、かなり良い方向に向かっていることは認めるが、しかし個別に一頭ずつ見て行くと物足りないレベルの写真も散見する。その多くが生産者(もしくはコンサイナー)が自身で撮影したと思しき写真である。では何が足りないのか?

 まず、馬をきちんと立たせていない例が多い。かなり前傾していたり、前肢二本と後肢二本の距離が近すぎたり(その結果、玉乗りのような肢勢になっている)というような写真が目に付く。立ち姿が崩れているのに加えて撮影する機材にも問題がある(と思われる)。概して被写体に近づき過ぎるために、馬の立ち姿が歪んで見えるのだ。これではせっかく馬が良いポーズを取っても決して引き立たない。馬に近づき過ぎるのはレンズが短いからである。近づかなければ全体に馬が大きく収まらないからなのだ。だが、短いレンズを使用し必要以上に馬に近づいて撮る限り、絶対に良い写真にはならない。

 そうはいってもそこそこの機材を購入するには金がかかる、との反論もあろう。しかし、サラブレッド1頭の生産原価を考えたら、カメラの一台や二台はものの数ではない。インスタントカメラで撮るか一眼レフを使うかで、まずかなりちがう結果が出るはずである。

立ち写真2

 さらにもう一つ、デジカメかフィルムカメラか、という選択がある。時代の趨勢は明らかにデジカメ主流になっているが、フィルムカメラの描写力は捨て難い。個人的にはまだ私はフィルムカメラの方に軍配を上げたいと思っている。

 とはいえ、デジカメはなんといっても撮り直しの容易であることが魅力だ。さらに場合によっては修整もできる点が大きな特徴である。馬の場合の修整は、例えば、ナイロンの頭絡を皮製に換えることや、寝てしまった耳を立てることなどがデジカメならば可能なのである。

 もちろん修整にもルールはあり、個人的には馬本体に加える修整ではない限り許容されるものと私は考えている。馬本体への修整というのは例えば、曲がった肢をまっすぐにしたり、細い肢を太くしたり、腫れた部位をへこましたりというようなものを指す。これはルール違反である。

 ただし、修整の技術的レベルにもいろいろあって、素人目には見破れない程度のできばえならば、修整もまた販売するための「テクニック」と言えるのかも知れないのだが、明らかに(下手な整形美人の顔のように)誰の目にも違和感のあるような修整はいかがなものかと思う。

 ところで、修整の方法として、「背景をそっくり入れ替える」実例をネット上で見た。セレクトにもセレクションにも上場予定の有名な牧場の写真(1歳)である。撮影場所に事欠くような事情がある牧場とはとても思えず、ならばいったいなぜ背景をそっくり入れ替えるような修整を施したものか。その意図がどうも私には理解できなかった。これも撮影者独自の美学ということなのだろうか。今度機会があればぜひ伺ってみたいと思っている。個人的には、見るからに不自然さの漂う写真にしかなっていないような気がするが…。興味のある方はぜひ上場馬を1頭ずつ検索していただきたいと思う。

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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