浦和所属の水野貴史騎手が騎手を引退し、調教師免許試験に合格。開業までの時間を使って美浦トレーニングセンターで研修を行いました。双子の兄・水野貴広調教師との関係など、たっぷりと語っていただきました!
赤見:どういう経緯で美浦で修行することにしたんですか?
浦和で調教師となる水野貴史元騎手
貴史「騎手を引退して開業するまでに少し時間があるから、とにかく色々見て勉強しておこうと思って。栗東に行ったり、北海道にも行ったりしました。兄貴(水野貴広調教師)が『1日2日来てもしょうがないだろ』って言うんで、美浦で2週間研修させてもらうことにしたんです」
赤見:実際来てみてどうですか?
貴史「今回初めて乗せてもらって、改めて大きいなと。コースもAコース・ポリ・チップ・ダートと色々あるし、坂路もプールもあるでしょ? それに、ダクは角馬場とか小さな馬場で走って、コースに出たらキャンターに行くとかね。地方に比べて施設が充実しているなぁと。施設が違い過ぎるので具体的なことを参考にするというよりは、新たな経験を積んで引き出しを一つ増やすっていう感じです。
周りの人たちに兄貴と間違われることがよくあって、僕は臨時の人用のピンクのヘルメットカバーを付けてるじゃないですか。兄貴は調教師用の黒のカバーでしょ。僕が一人で乗っている時に、『先生、何ふざけてピンク被ってるんですか?』って笑われました(笑)。あと歩き方がすごく似ているらしくて、後ろから『水野先生!』って言われたり。自分たちではそんなに似てると思ってないですけど」
赤見:いやいや似てますよ。しゃべり方もそっくりですよね。でも性格は全然違うように思うんですけど。
貴史「性格は違いますね。僕の方が慎重派というか、石橋を叩いて渡るタイプ。兄貴の方がざっくばらんというか、細かいこと気にしないですね。子供の頃から、取っ組み合いの喧嘩とかはしたことないんです。だいたい兄貴の方がはしっこいから、先にパッとやっちゃうの(笑)。
美浦にいる間、途中2日間は兄貴と一緒に北海道の牧場に挨拶周りをしたんです。兄貴が紹介してくれるっていうか、まぁ2人で行くと、自然とみんなが『ああ、弟さんね』って。2つ同じ顔があるのでわかってくれますね。兄貴の仕事ぶりを近くで見て、改めてすごいなと思う部分はありました。調教師としてはもう大先輩ですね」
赤見:実際に調教師としての行動をしてみて、イメージと違うことってありました?
貴史「覚えることがまだわからないです。特に書類関係のことが全然頭に入ってない。預託契約書があったり、預託料の計算のこととかね、全然まだ始まっていないので。免許受かりました、馬房もらいました、さぁ馬を入れますって言ってもそれにはかなり手続きが必要だから。その辺りが思った以上に大変です。まだ決まってないですけど、来月には馬房を割り当ててもらえる予定です。それに合わせて、ボチボチ馬も集まりだしてますよ。これまで騎手の時に応援してくれてた馬主さんが、調教師としてもバックアップしてくれるんでね、本当に感謝してます」
赤見:ジョッキーを引退した感慨みたいなのはありますか?
高崎、浦和で活躍したジョッキー時代
貴史「ないですね。今までずっと突っ走って来て、やれることは全部やったかなという気持ちです。関係者もそうだし、ファンの方にもすごく応援していただきました。本当に幸せな騎手人生だったと思います。
高崎の時には親父(水野清貴調教師)がいて、リーディングになってもメチャクチャ怒られていて。厳しく接してくれたから、周りからもボンボンだって言われなかったのかもしれないです。さすがに、朝1時半から10時までの攻め馬はキツかったですけど。途中トイレに行きたくても、厩務員さんたちが運動場で曳き運動しながら待ってると思うと…。毎朝25頭乗って、全休日は足利競馬場に手伝いに行って。よく体が持ったなと思いますね。
浦和に移籍出来たことも、本当に周りの方のお蔭ですから。高崎が廃止になった当時は年齢制限があって南関東には移籍出来なかったので、川嶋弘吉調教師と一緒に笠松に行こうと思ってて。次の日に正式に決定するっていう時に、浦和から連絡があって『もしかしたら入れるかもしれない』って言われたんです。でも川嶋先生にもずっとお世話になって来て、土壇場になって僕だけ浦和に行くっていうのも…。南関東で乗りたい気持ちはあったけど、あの時は複雑な気持ちでした。川嶋先生に相談したら、『そんないい話ないだろ! 浦和で頑張って来い』って言ってくれて。それで浦和に入ることが出来たんです」
赤見:騎手を引退する一番の決め手は何だったんですか?
貴史「それはやっぱり体です。若い頃から無理してたっていうのもあるし、あちこち大きなケガもしたので。腰がもうね…。馬に乗ってる時はいいんだけど、歩くのがしんどいんですよ。一昨年に2000勝させてもらったことも、大きな区切りでした。親父も調教師だったし、兄貴もだいぶ早い時期に調教師になって、俺もいつかは…って思っていたので」
赤見:騎手を引退して調教師になるって、一番初めに誰に伝えました?
貴史「兄貴ですね。電話で、『調教師試験受けるわ』って」
ここで水野貴広調教師が登場。
貴広「もうね、前から俺言ってたんですよ。『早く調教師になれ』って。あちこち骨折してるし、体にガタ来て相当しんどいのはわかってたので。俺も一応開業して時間も経っているし、出来ることは何でもサポートしたいって気持ちもあるから」
赤見:貴広調教師は、騎手を引退する時に弟さんに電話したんですか?
貴広「してないね(笑)」
貴史「してないね(笑)。でも俺が中山とか乗りに行った時、調整ルームの兄貴の部屋に挨拶に行くと勉強してたから。そういう気持ちなんだなってことはわかってました」
赤見:双子ということで、2人にしかわからないテレパシーみたいなのってあるんですか?
貴広「ないよ!」
貴史「ないよ!!」
兄・貴広(左)と弟・貴史(右)の貴重な2ショット
赤見:返事がかなりシンクロしていると思うのですが…、話を戻します。騎手と調教師の違いみたいなのは感じてますか?
貴史「それは感じてますよ。今までは馬に乗ってれば良かったけど、調教師はそういうわけにはいかないですから。馬を育てるのはもちろん、スタッフも育てる立場だし、馬主さんとの関係とか、とにかく幅広いですよね。調教はどんな癖馬でも対応出来るけど、馬づくりに関しては僕はまだやったことがないわけで。厩務員さんに教えてもらう立場です。例えばご飯のこととか、体調不良の時の対処法とか、その時その時、どう見極めて対応していくかが大事じゃないですか。こないだ久しぶりに曳き運動したら、やっぱり曳くのは難しくてね。厩舎周り3周でバテました(笑)。色んなことを経験しながら、スタッフにも教えてもらいながら、一緒に成長していけたらと思ってます」
赤見:今後の目標は?
貴史「まだ馬房もない状況なので、具体的には決めてないです。ただ、今の時代は続けて行くことも大変なので。最初はこれまでの繋がりで預けてくれても、やっぱり結果がすべての世界。結果だけを求めるわけじゃないけど、でも結果を出さなければ馬主さんも離れていきますから。そこはこだわって行きたいです。浦和リーディング? いやいや、そしたら南関東リーディングじゃないですか!(現在の南関東リーディングは浦和の小久保智調教師) まぁでも、浦和を盛り上げて行けるような存在にはなりたいです。騎手として途中から入れてもらって、本当にみんなに良くしていただいたので。恩返しじゃないですけど、浦和に対する熱い想いは持っているつもりです!」[取材:赤見千尋/美浦]
◆次回予告
次回は常石勝義さんが栗東からリポート。前回の白浜雄造騎手に続き、登場する障害ジョッキーは誰でしょうか!? 公開は7/2(火)18時、お楽しみに。