スマートフォン版へ

1964年東京オリンピック開催時の競馬はどうだった?

  • 2013年09月14日(土) 12時00分
 2020年の夏季オリンピックとパラリンピックの開催地が東京に決まりました。喜ばしい反面、抱えたままになっている宿題や新たに与えられた課題などがたくさんあって、これからが大変とも思います。でも、決まったからには、先々になって「やってよかった」と言えるようにしなければ!

 さて、前回の東京オリンピックが行われたのは1964年(昭和39年)。その4年前に生まれた私には、ナマの記憶は全くといっていいほどありません。アベベのマラソン(その日が私の4歳の誕生日でした)もバレーボールの東洋の魔女も、後になって映像や活字で知ったことです。

 東京オリンピックの期間中、競馬はどんな様子だったのか?日本中がオリンピック一色に染まっていたときの競馬は、かなり“隅っこ”のほうに追いやられていたのではないか?2020年の開催地決定のニュースを受けて、ふとそんなことを考えてしまった私(ヘンなヤツでしょう?)。早速、国会図書館へ行って、当時のスポーツ新聞(マイクロフィルム)をめくってみました。

 まず中央(関東)。五輪期間中は中山競馬が行われていました。開会式当日の10月10日(土)の入場者数は14681人、馬券の売上げは3億3747万2700円。これを前週の土曜日と比較すると、入場者数は約11%、売上げは5%も増えています。また、翌11日(日)は、中山大障害でフジノオーが同レース3連覇を達成したのですが、入場者数は4万人を超え、売上げは6億円を突破しました。この年、1日の売上げが6億円を上回った開催は、東西を合わせても8回しかありません。中山競馬、大健闘だったのです。

 次に地方競馬。10月7-9、12-14日に船橋、21-25日(オリンピックは24日に閉幕)に浦和が開催しています。このうち船橋競馬の売上げは、6日間で史上最高の7億5257万900円に達したとのこと。また、21日の浦和競馬も、男子マラソンの日と重なったにもかかわらず、5日間の開催中では唯一1億円を突破しました。中央同様、地方も大いに盛り上がっていたようです。

 実はこれにはウラ事情がありました。東京とそれに近いところにある競輪、競艇、オートレースがオリンピック期間中の開催を避けたため、中山や船橋、浦和の競馬にファンが集中したのです。競馬の他では、東京からちょっと離れた取手競輪も、期間中2度にわたって売上げ記録を更新しています。電話、インターネット投票などなかった時代。ギャンブル好きの人たちは、オリンピックそっちのけで開催場を追いかけていたと思われます。

 ただし、東京五輪が終わった後も、公営競技はしばらく好調をキープしました。そんな中、中央では11月にシンザンが戦後初の3冠制覇を達成。競馬もしっかり存在感をアピールしていました。2020年もそうなるよう、競馬界の奮起を期待しましょう!

テレビ東京「ウイニング競馬」の実況を担当するフリーアナウンサー。中央だけでなく、地方、ばんえい、さらに海外にも精通する競馬通。著書には「矢野吉彦の世界競馬案内」など。

バックナンバー

新着コラム

アクセスランキング

注目数ランキング