◆サンデーサイレンス全妹、サンデーズシスとの再会 札幌からクルマで2時間弱、積丹半島の西の付け根に岩内の街はある。
対岸に泊村原子力発電所を望む岩内港を背にし、優しい稜線を見せる山々に向かってアクセルを踏む。「日本アスパラガス」のある四つ角を左折し、「木地リード」という会社の角をまた左折して、突き当たりを右へ。しばらく行くと路面が未舗装になり、
――道を間違えちゃったかな。
と思ったちょうどそのとき、右手に牧柵が現れ、数頭のサラブレッドが放牧されているのが見えてきた。
馬の養老牧場「ホーストラスト北海道(
http://www.horse-trust.jp/hokkaido.html)」である。
ホーストラスト北海道。元競走馬などが繋養されている、馬の養老牧場。
初めて訪れたのは、2011年の春、東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故の被災馬を取材するためだった。その後、もう一度遊びに行かせてもらってから、今回がほぼ3年ぶりの再訪だった。
ただ、今はフェイスブックという便利なものがあり、代表の酒井政明さんも私も、互いに何をやっているのかずっとわかっていたので、ぜんぜん久しぶりという感じがしなかった。
前に訪ねたとき、ホーストラスト北海道の事務所と放牧地は、ここからクルマで10分ほどの共和町にあった。2年ほどかけて、ここ岩内の厩舎や放牧地を、酒井さんとスタッフの土舘麻未さんが中心になって、文字どおり手づくりで現在の形にした。今はまだ共和町の施設にも馬がいて、さらにニセコに乗馬施設も運営している。将来的にはそれらをここ一カ所にまとめる方向で考えているという。
酒井さんらが原野を切り拓いて完成させた放牧地。
酒井さんたちが少しずつ厩舎や事務所などをつくっている様子をフェイスブックの写真で見ていたので、「大きな森の小さなお家」的な、可愛らしい感じの仕上がりをイメージしていた。ところが、実際来てみると、白樺が自生する放牧地や事務所、道を挟んだところにあるサラブレッド以外の馬たちの放牧地を含む眺めには、予想していた以上のひろがりがあって、実に気持ちがいい。
事務所で夜間放牧について、また、今後、態勢が整えば50頭ほど受け入れたいと思っている、といった酒井さんの話を聞いてから、放牧地と厩舎を案内してもらった。
来る前から、一頭、どんな様子か気になっている馬がいた。
牝24歳のサンデーズシス。あのサンデーサイレンスの全妹である。
ここにいる馬たちのプロフィール。「サンデーズシス」の名前が見える。
サンデーサイレンスの全妹のサンデーズシス。来たばかりのころより毛ヅヤがずいぶんよくなった。
サンデーズシスは、1990年代半ばに繁殖牝馬として日本に輸入され、95年に生まれたセイカカロブを筆頭に、15頭の産駒を送り出した。昨年、父ロッコウオロシの牝馬を産んだのを最後に繁殖生活を終え、今年5月中旬、ここホーストラスト北海道にやってきた。
実は私は、この馬に21年前に会っていたのである。
場所はアメリカ西海岸のサンタアニタパーク競馬場。93年の暮れ、このとき初めてサンタアニタ遠征に出た武豊騎手が、西海岸初騎乗を果たした12月31日、ふた鞍目に騎乗したのがこのサンデーズシスだった。
結果は8着だったが、その2年前から日本で種牡馬生活を始めていたサンデーサイレンスの全妹ということで、遠征に同行していた私も、馬上の武騎手と同じように、朝の調教のときも競馬のときもワクワクしていたのを覚えている。
その馬に、21年後、札幌の実家からクルマで行ける養老牧場で「再会」するとは、ちょっと不思議な気分だった。
同馬は、ここに来てから日が浅いので、今はまだ厩舎のなかにいる。馬房の窓から顔を出せるようにしてあり、放牧地の馬たちと打ち解けたのが確かめられてから、外に出してやるのだという。
代表の酒井政明さん(右)と筆者。
ここで大切にされている20歳代の馬たちを見ていると、引退後、どんな「第二の馬生」を送るのかまだ決まっていないスマイルジャックも、「第三の馬生」と言うべき余生はここで過ごせたらいいな、と思ってしまう。
もう一頭、同じように考えていた馬がいた。
最年少ダービージョッキー・前田長吉を背に、1943年のダービー、オークス、菊花賞の変則三冠を無敗で制した牝馬クリフジを7代母に持つオオエライジンである。
ライジンはしかし、6月25日の帝王賞のレース中に故障を発生、予後不良となって天に召された。
雄大な栗毛の馬体と目立つ流星、そして左後一白というところまで偉大な7代母と同じだった。70年近い歳月を経た隔世遺伝を思わせるその姿で、2011年、無敗の兵庫ダービー馬となり、クリフジの偉業に再度光を当てる大仕事をやってのけた。
こういうときはいつも同じ言葉しか出てこないが、天国でゆっくり休んでほしいと思う。