小牧太騎手
小牧太騎手「来年は僕が鞍上でダービー獲れるように頑張ります!」
netkeibaで大好評連載中の「太論」を書籍化した、「小牧太の太論」が発売されました! 今回は、大阪梅田ジュンク堂にて行われた、太論発売記念トークショー&サイン会の模様をリポートします!
赤見:今回の本は、小牧騎手にとって2冊目の出版になりますけれど、「小牧太の太論」印象はいかがですか?
小牧:そうですね。かなり昔のことから最近のことまでが凝縮されている感じです。この本の最初の方に書いてあるんですけど、15歳の時に九州から一人で兵庫に出て来てね。今でもよく覚えてるのが、お母さんと弟が、宮崎空港で泣きながら手を振って送ってくれたことです。その光景を思い浮かべながら、園田で必死に仕事してました。今でも思い出すと、涙が出そうになりますね。
赤見:子供の頃は警察官になりたかったそうですね。
小牧:そうです!僕は剣道をしていたんですけど、なんとなく警察官になりたいなって思ってました。一応初段で。まぁあんまり強くはなかったんですけどね(笑)。でも中学生の時に、近くの牧場の方が、小さい子を探している人がいるってことでね、それが曾和直榮調教師だったんです。競馬の世界なんてまるっきり知らなかったし、騎手っていう言葉も知らなかったですから、曾和先生がいなかったら、全く別の道に進んでいたでしょうね。曾和先生はかなり厳しかったですけど、でもその先生のお蔭で今の自分がありますから。本当に感謝してます。
赤見:競馬とは全く無縁の環境で育ったんですね。
小牧:鹿児島は競馬場もないし、昔はインターネットもないですからね。実際に園田に入ってから、実は中央と地方が分かれてるって初めて知りました。入ってすぐの頃は、「絶対にダービーや天皇賞に乗ってやる!」って思いながら寝藁作業とかしていたので。それを知った時には、「えぇ?!」って思いましたね。
赤見:園田時代は絶対王者として10度のリーディングに輝いていますけど、ご苦労も多かったですか?
小牧:昔は今みたいにエージェントがいないですから、馬集めというか、営業が辛かったです。僕自身、あまりがっつく方じゃないんで。人の乗り馬まで取ってレースしたくないっていう性格だったんですけど。でも曾和先生に教えてもらったのは、「勝負の世界だから、そのくらいの気持ちでやらないとトップは獲れない」ということでね。
特にしんどかったのは、中央移籍のルールが変わって、5年の間に2度20勝したら一次試験免除という、いわゆる安藤さんルールが出来たじゃないですか。その時に、中央に乗りに行くためには地元の馬が遠征に行かないといけないので、色んな人に頼んで乗せてもらいました。でも地方の騎手は、みんなJRAに行って乗ってみたいじゃないですか。そういう気持ちがわかってる中で、横から僕が調教師に「乗せて下さい」と頼んで乗って行くのがね、本当に辛かったです。
赤見:JRAへの憧れは強かったですか?
小牧:初めて中央のレースに乗ったのは、23歳の時だったんですけど、あまりに衝撃を受けて、すぐに曾和先生に、「地方競馬辞めて、1からJRA受けたいです」って言ったんですよ。そしたら、「地方でナンバー1獲ってるから、JRAに乗りに行けるんだぞ」って言う風に諭されまして、改めて園田で頑張ろうって思いました。
赤見:長年の想いが実って、実際にJRAに移籍してみて、どうでしたか?
小牧:最初仕事はないし、時間を持て余してましたね。中央のシステムだと、騎手は調教の頭数が少ないじゃないですか。園田時代は朝の2時3時から、20頭近く毎日乗っていたので。中央の場合は、毎日の仕事を一生懸命しようと思っても、その仕事自体がないですから。頑張りたいのに頑張れない環境の中で、競馬で結果を出すしかないというね。そういう厳しい環境ですから。
赤見:慣れるまでは大変でしたか?
小牧:僕、慣れたらよくしゃべるんですけど、人見知りなんでね、あんまり輪の中に入って行けなかったんです。そんな時に橋口弘次郎先生に声を掛けていただいて、たくさん乗せていただいて。橋口先生には本当に感謝していますね。今年はダービーも勝ったじゃないですか。もうね、すごく嬉しいんですけど、自分が橋口厩舎の馬でダービー勝つのが夢だったんでね、嬉しいんですけどちょっと複雑な気持ちもあるんです。
小牧太騎手トークショーの模様
赤見:嬉しさと、鞍上にいたかったという気持ちと。
小牧:そうですね。僕も嬉しくて、レース後すぐに橋口先生に握手求めに行ったんですけど、先生、涙浮かべてましたね。橋口厩舎の馬でダービー勝ちたいという夢はまだ持っているんで、まだもう1回チャンスあるんで、来年は僕が鞍上でダービー獲れるように頑張ります!
赤見:これまでたくさんの馬たちに騎乗して来ましたけど、その中でも印象の強い馬はどの馬ですか?
小牧:やっぱり、リーチザクラウンですね。背中がもう全然違いました。新馬戦は負ける気がしなかったんですけど、あの時は(アンライバルドや)ブエナビスタがいて2着に負けてしまって。時間が経ってから、「伝説の新馬戦」て言われるようになったんですけど、僕はもう新馬戦のあと下ろされてしまったんでね、その後乗れなかったのは残念でした。橋口先生から、「太くん、ごめんな」って謝ってもらったんですけど、今の時代は先生の気持ちだけでジョッキーを決められないですからね。橋口先生にそう言ってもらえて、有難かったです。
あとはローズキングダムですね。朝日杯の時は「この馬で負けるわけがない」って思ってました。やっぱり背中が良くて。どんなに暴れても落ちる気がしなかったです。車で例えると、軽と高級車の違いという感じで。本当に乗り味が良かったです。ダービーの時に騎乗停止になってしまって乗れなかったんですけど、この時の騎乗停止が騎手になって一番ショックでした。もう本当にショックで‥。ダービーの時は田舎に帰って、実家で友達と鍋つつきながら見てました。この時も、勝って欲しい気持ちと、自分が背中にいたかったっていう気持ちと複雑でしたね。
赤見:騎乗論についてお聞きしたいんですけど、中央と地方、また、ダートと芝でも違いは感じますか?
小牧:地方競馬の場合は、馬への当たりがすごく強くて、「馬を動かす」という乗り方じゃないですか。それが中央の芝では、「いかに折り合いをつけるか」という部分が大事になって来るので、その辺りの乗り方の違いってありますよね。追い方についても色々な追い方があって、最近流行りのお尻をトントン付けるのもね、僕としてはカッコ悪いなって思うんですけど、ただ、馬乗りに関しては正解がないんですよ。馬がしゃべってくれたらいいんですけど、それは無理なんでね。みんな、いろいろ研究して、自分なりの追い方を作って行ってますから、何がいいとか悪いとかはないと思います。
昨日の宝塚記念もね、ノリさんがすごく軽いタッチで乗ってて、カッコ良かったじゃないですか。力でというわけじゃなくて、軽い感じでね。あの乗り方を見て、僕も最終レースで軽い感じで乗ってみようと思って、ノリさんがやったみたいなイメージでゲートから出したら一番後ろになってしまって(苦笑)。しかもね、前に(武)豊くんが乗ってた馬だったんですけど、彼にけっこう脅かされたんですよ。「小牧さん、かなり引っ掛かるから気を付けて下さいね」って。それもあって、軽いタッチで乗ったんですけど、実際は全然乗りやすくって、「豊くんに騙されたわ」って思いました(笑)。
赤見:ご自身の乗り方以外で、いいなと思う騎乗法の騎手はいますか?
小牧:やっぱり武豊でしょう。僕は昔からファンだったんで。オグリキャップが勝った有馬記念を見て、「これドラマちゃうか」って思いましたもん。実際に会ったら、オシャレでカッコいいじゃないですか。彼のジャケットを真似して同じのを買ったりしてました(笑)。
赤見:豊さんの影響で、ある決断をしたんですよね?
小牧:そうです。去年のダービーの後から禁煙を始めました。キズナでダービー勝ったあと、次の週に橋口厩舎の馬で2人で併せ馬をしたんですけど、すれ違う人たちがみんな「おめでとう」って言っていくんですよ。それを目の当たりにしてね、調教終わって調整ルームで、「いいなぁ、俺もダービー勝ちたいな…何か出来ることはないかな」って考えながらタバコ吸ってたんです。で、パッとその時に「よし!禁煙しよう」って思って。タバコ2箱買ったばっかりだったんですけど、そこのごみ箱に捨てたんです。でも次の日にすごく吸いたくなって、朝早く行ってごみ箱探したんですけど(笑)、もうなかったです。そこからは1本も吸ってないですね。
サインをする小牧太騎手
あと、今年からというか最近もう1つ始めたのが、週2日間の禁酒です。これもね、毎日飲んでた僕にとってはあり得ないことなんですよ(笑)。今2週続いてます。やっぱり、体の調子はいいですね。
去年までは少し乗り鞍を減らしたりしてたんですけど、去年の年末くらいから一気に乗り鞍が減ってしまって、1日2鞍とかね。馬も集まらなくて、このままじゃ応援してくれるファンの方にも、家族にも申し訳ないなと思って。乗り鞍を減らしてる場合じゃないし、このまま終わってしまうんじゃないかって、かなり危機感を覚えました。今は若い子も増えましたし、やっぱり負けたくないですよね。まだまだ体を鍛えて、乗れる限り乗り続けていきたいです。今は馬に乗れることが本当に幸せですね!