◆教えを習得できるまで喰らいついていれば 1998年、皐月賞。キングヘイローは、豊さん騎乗のスペシャルウィーク、典さん騎乗のセイウンスカイに次ぐ3番人気に支持された。僅差の4番人気に、幹夫さん騎乗のエモシオン。このときはまだ、ダービーのような完全なる3強ではなかった。
6枠12番から外目の3、4番手を追走。4コーナーでも手応えは抜群で、終始、典さんを見ながらの競馬だったが、4コーナーを回ったところで一気に典さんに突き放された。そこからまた盛り返してギリギリまで詰め寄ったが、半馬身差まで迫ったところがゴール。こうして初めての皐月賞は2着に終わった。
そのときの自分は、2着という結果に満足していた。巧く乗った、そう思っていた。でも、調整ルームで(田原)成貴さんに、思いっ切り「下手くそ!」と言われた。続けて成貴さんは、「お前、今日のレースは勝ってたぞ」とも言った。具体的なレクチャーはなかったけれど、今思えば、あの難しい中山の2000mを3年目の自分が完璧に乗れるはずはない。“巧く乗った”なんて、とんだ勘違いだったのだ。
皐月賞当時の成貴さんは、