天才、無口、調教下手…“福永洋一”とはどんな人物なのか
現役時代の父親の話は、母親や周りの人が教えてくれた。みんなが口をそろえて言うのは「あいつは天才だった」ということ。追い込み馬をいきなり逃げさせて勝ってみたり、思いもよらない乗り方をするジョッキーだったと、みんながみんな、口をそろえて言った。「ホンマの天才は洋一だけや」と、いつも聞かされていた。
年配の厩務員さんのなかには、「お前のオヤジにはよう乗ってもらったんや」という方もいて、「ありがとうございます。親子二代でお世話になります」と挨拶をすると、みなさん「うれしいわぁ」と相好を崩した。そんなときは自分もうれしくなったが、なにしろ現役時代の父親を知らない。周りの人が褒めれば褒めるほど、遠い存在になっていくような気がしていた。
父親は「調教が下手だった」と聞いたことがある。かつて、一緒に併せ馬をしたという人が、『「アンチャン、調教うまいなぁ。俺の馬、頼むわ」って、洋一さんに頼まれたんだよ』とうれしそうに話してくれたことがあるが、実は調教が下手なのではなく、嫌いだったんじゃないかと思う。
というのも、そのほかのエピソードから、父親はセルフコントロールがうまく、人心掌握術に長けていたのではないかと思うからだ。無口だったとよく聞くけれど、身近にいた母親や柴田政人さんは、「おしゃべりだった」と言う。そのことからも、無口なキャラを演じていたんじゃないかと思うし、人間関係をスムーズにいかせるために、わざと麻雀で負けていたという話も母親から聞いたことがある。そのぶん、「レースでは絶対に勝つ」と言っていたらしいけど(笑)。

▲福永洋一さんと同期の柴田政人調教師
あとは、写真や映像を見ても、父親は