◆競馬界全体のレベルを底上げするために
先日、ミルコ・デムーロ騎手とクリストフ・ルメール騎手が、JRAの平成27年度新規騎手免許第一次試験に合格したことが明らかになった。昨年度から外国人騎手も通年中央競馬で騎乗することを条件に受験が認められるようになったのだが、ミルコは昨年この一次試験で不合格になってしまった。
20年ほど前に導入されたプロ野球のフリーエージェント制が「清原を巨人に移籍させるためのルール」と言われたように、私は昨年始まった外国人への通年免許発行は「ミルコをJRAの騎手にするためのルール」だと思っていた。それだけに驚いたが、私の驚きよりミルコのショックのほうがずっと大きかったはずだ。そのぶん今回の合格は嬉しかっただろう。
来年1月26〜28日に行われる二次試験にパスすれば、晴れて「外国人のJRA騎手」が誕生する。
戦前の倶楽部時代にはオーストラリア人のコッフェーらが初代ダービージョッキー・函館孫作らと腕を競い、戦後も進駐軍を除隊したロバート・アイアノッティが1955(昭和30)年から1年間、中央競馬の騎手として騎乗していたこともあった。ミルコらが免許を手にしたとしても「外国人初のJRA騎手」ではないのである。
競馬界に限らず、ここ4、50年はすべての物事が進化し、ひらかれてきたかのように思われがちだが、実は、ひっそりと時代に逆行して門戸を狭めていた時期もあり(自国の産業やそこで働く人々を守るため)、今になってグローバル化の抗えない波によってまたオープンになりつつある、ということか。
1923(大正12)年に旧競馬法が制定されてからは、馬券の発売を認められた東京競馬倶楽部、中山競馬倶楽部など全国11の倶楽部が各々競馬を主催し、それらを帝国競馬協会が束ねていた。競馬倶楽部に替わり、JRAの前身と言える日本競馬会が主催するようになったのは1936(昭和11)年のことだった。これは、軍部の力を背景に、それまで競馬倶楽部を構成していた馬主たちから開催権を剥奪し、競馬の国営化を押し進めていく動きだった――と、競馬史のなかでとらえる見方もある。馬が「活兵器」だった時代のことゆえ、百年の単位で見たら、これも時代に逆行する動きだった、ということになるのかもしれない。
さて、時代を今に戻し、ミルコとルメール騎手(彼とは話したことがないのでこの表記にする)がJRAの騎手としてオールシーズン参戦するとなると、ふたりで200勝以上の勝ち鞍を挙げても不思議ではない。ということは、そのぶん既存の騎手の勝ち鞍が減ることになるわけだ。勝ち鞍が今以上にバラけることは確かだから、これからは、リーディング争いのラインも年間100勝ちょっとにまで下がるのではないか。
外国人といえば、今年は阪神タイガースのマートン選手が首位打者、ゴメス選手が打点王、メッセンジャー投手が奪三振王、オ・スンファン投手がセーブ王と、4人の外国人選手がタイトルを獲得した。
私は巨人のことを「我が軍」と呼ぶほどのG党なのだが、頼もしい「助っ人」がいる阪神を羨ましく思うことがある。
今、クライマックスシリーズ・ファイナルステージの真っ最中で、本稿を書いている金曜のお昼の時点では阪神が2連勝し、我が軍はアドバンテージの1勝だけという非常に情けない状態である。これがアップされる土曜日のうちに決着してしまいそうでとても嫌な予感がするのだが、もしそうなったら、我が軍が敗れた「プレー・オブ・ザ・シリーズ」のひとつとして、初戦の7回裏ノーアウト満塁の場面で代打のセペちゃん(セペダ選手)がホームゲッツーになったシーンが挙げられるだろう。
「助っ人」というのは、文字どおり、もともとアテにしていなかったところにポッと現れて助けになるとすごくありがたい、という存在だ。105の戦力があればほぼ勝てる、が、現状の戦力は100ぐらいで、どうにかやり合える……といったとき、「助っ人」が5や10の力を加えてくれたら、これは数字以上に大きなプラスアルファになる。
セペちゃんとアンちゃん(アンダーソン選手)とロペちゃん(ロペス選手)が「助っ人」として我が軍の活躍してくれることを祈りつつ――。
ミルコ・デムーロ騎手とクリストフ・ルメール騎手が、日本の競馬界全体のレベルを底上げするための「助っ人」として力を発揮してくれることを期待したい。