▲福永祐一から見た武豊と、そこから見える今の自分とは
豊さんに「負けたくない」
関西リーディングという形ですぐに結果が現れたことで、コーチのメソッドが自分に合っていること、方向性として間違っていないことに確信を持ち、このまま続けていこうと決心することができた。馬の巡り合わせだけではなく、以前より馬を速く走らせることができている手応えもあった。
とはいえこの年、自分が関西リーディングを獲れたのは、9月から11月にかけての岩田くんの休養や、なにより豊さんの4か月にわたる戦線離脱が大きく影響していたことは否めない。
そういえば、豊さんへの憧れから始まった自分のジョッキー人生。半生を振り返るなかで、肝心の豊さんという存在についてまだ触れていない。今回はいったん時間を止めて、自分の目に映る“ジョッキー・武豊像”、そして“武豊像”を通した自分の今について、少々書きたいと思う。
今、改めて思うのは、やはり“武豊”というジョッキーは、偉大であるということだ。関西リーディング、全国リーディング、MVJと獲ることができたけれど、自分がどれだけ技術を高めていったところで、到達できないところにあの人はいる。自分のなかではいつまで経ってもスーパースターで、実際、あんなに華があって、存在感のある人はいない。それはもう、次元が違うといってもいいくらいだ。
技術的に優れているのはもちろん、豊さんのセルフプロデュース力は半端ではない。「自分がどうしたいか」ではなく、「“武豊”としてどうするべきか」を常に考え、それを実践してきた人だと思う。
奇しくも、
先月の対談で四位さんが「祐一はセルフプロデュースがうまい」と言ってくれたけれど、自分からすればとんでもない。どちらかといえば、自分は思ったことをポンと口に出してしまうほうだし、仮に自分を客観視できる目を持っているとしても、豊さんの足元にも及ばない。豊さんは、自分を客観視したうえで、さらに“武豊”というブランドをきっちり貫くことができる稀有な人。とにかくプロフェッショナルなのだ。
さらに豊さんがすごいのは、これだけの結果を出してきたにも関わらず、向上心と野心を決して失わないこと。思えば競馬学校時代、岡部さんや豊さんの乗り方は、教科書に載ってた教材そのものだったし、実際そう教えられてきた。でも、豊さんのフォームは、