桜花賞は「魔の桜花賞ペース」と呼ばれる超ハイペースになりやすい。しかも、スタートしてからすぐコーナーがあるので、「テンよし、中よし、終いよし」の馬でないと勝負にならない――と言われていた。桜花賞が、2006年秋にリニューアルされる前の阪神芝1600mで行われていたころの話である。
今年の桜花賞は、かつてのそれとは逆の意味――超スローという「魔の桜花賞ペース」になり、近年では珍しい、4馬身という大きな差がついて決着した。勝ったレッツゴードンキは、速いスタートを切り、ほかが行かないと見るとハナに立ち、道中は折り合い、最後に素晴らしい瞬発力を発揮した。「テンよし、中よし、終いよし」だった。
古い格言が復活したことに加え、逃げ切り勝ちは1985年のエルプス以来30年ぶりだったわけだから、いくつかの点で、クラシカルなレースになったと言えよう。
レッツゴードンキは、阪神ジュベナイルフィリーズで2着、年明け初戦のチューリップ賞で3着と、桜花賞に直結しやすいレースで好走しており、勝ってもまったく不思議ではない存在だった。
にもかかわらず、単勝10.2倍の5番人気の支持にとどまったのは、もっと魅力的な馬がいたからだ。それも何頭も。
その筆頭のルージュバックはまさかの9着に敗れた。大竹正博調教師がコメントしたように、敗因を現時点で特定するのは難しい。もっとドカ負けしたのならともかく、2着のクルミナルとの差はコンマ3秒しかなかった。症状(という表現を用いた理由は後述する)が小さいと、原因を特定するのが難しいのだ。
私は今、いつもの介護帰省で数日前から札幌の実家に来ているのだが、入院中の母が、年明けぐらいから37度ほどの微熱がつづいており、その原因が、やはりわからないのだ。まず、潰瘍性大腸炎が再発したのかと疑い、調べてみたが、違った。1日3食のうち1食を口から摂取しているので(ほかは点滴のみ)、誤嚥したものが呼吸器に入って炎症を起こしているせいかもしれないし、股関節から行っている高カロリー点滴のせいかもしれないし、尿路感染症のせいかもしれない……と医師は言う。これがドーンと39度とか40度くらいの激しい症状になれば、原因となっている悪いところがはっきり出てくるので「これだ」と特定できるのだが、37度程度では無理なのだ。
おそらくルージュバックは、流れが合わなかったから、「相対的」に伸びなかったのだろう。「絶対的」には、自身も上がり33秒6の末脚で伸びていた。
今後、また「さすがルージュバック」という走りを見せてくれたときに、それとの対比で、桜花賞の敗因が浮き彫りになってくるはずだ。「何が違ったか」を把握するには、よかったときと悪かったときの実例をいくつも得るよりほかないのである。
また、それがよかったのか悪かったのか、それとも、どちらでもよかったのか――ということも、あとになってわかることもあれば、わからないこともある。
何のこっちゃと思われただろうが、桜花賞を除外され、忘れな草賞を快勝したミッキークイーンの走りを見て、あらためてそう思った。
マイルまでしか経験のなかったこの馬が、この時期に2000mで勝つ走り方をマスターしたことがオークスに向けて大きなアドバンテージになるかもしれないし、「やっぱり桜花賞に出ていれば勝ち負けできたかも」と言いたくなるかもしれない。あるいは、「どっちに出ていたとしても影響はなかったね」といことになるかもしれない。
同じことを、1998年の春、雪のため共同通信杯がダート1600mに変更されたときにも思った。その年のダービーを勝ったスペシャルウィークは、1月の白梅賞を勝てば、次走は共同通信杯になる予定だった。ところが、白梅賞で2着に負けたため、ローテーションを変更した。そのおかげで、ダートを走らずに済んだのである。
ラッキーだった、と思っていたら、その共同通信杯を勝ったエルコンドルパサーが、のちに日本を代表する名馬となり、スペシャルウィークのライバルになった。
ダートになった共同通信杯を走ったエルコンドルはアンラッキーだったと思っていたのだが、その後の活躍を見ると、脚元への負担の小さいダートになって、かえってよかったのではないかとも思えてくる。と同時に、デビューからの2戦はダートだったので、3戦目が芝・ダートのどちらになっても、あそこまで強い馬にとって、たいして影響はなかったのではないかとも思われる。
ルージュバックの桜花賞9着は、何年か経って振り返ったとき、どう評価されるようになっているだろうか。おそらく「力を出せない形が浮き彫りになってよかった」ということになっているだろうし、大竹調教師をはじめとする陣営は、そうしなければいけないと思っているだろう。
「天才少女」が「名牝」へと育っていくプロセスを、これからも見守りたい。