▲たくさんの人々に愛され続けたトゥナンテ
サクラユタカオーのサイアーラインをつないでほしい
毎日王冠(GII)を含め重賞3勝を挙げたトゥナンテ(セン)が、20歳で天に召された。
トゥナンテは、1995年5月3日、北海道白老町の追分ファームで誕生した。父は天皇賞(秋)馬のサクラユタカオー、母はノーザンテーストの血を引くダイナサルーン。トゥナンテの全兄には中山記念(GII)や京王杯スプリングC(GII)、京成杯(GIII)に優勝したダイナマイトダディがおり、全姉のダディーズシューズは条件クラス止まりだったが4勝を挙げているように、サクラユタカオーとダイナサルーンは相性が良かったようだ。
父譲りの雄大な栗毛の馬体と、額から鼻先まで流れる大きな流星を持つトゥナンテのデビューは、4歳(旧馬齢表記・1998年)の9月と遅かった。未勝利脱出に4戦を要したが、4歳暮れから5歳1月(1999年)にかけて3連勝し、一気にオープン入りを果たす。重賞初挑戦となった5歳6月の小倉大賞典(GIII)ではスエヒロコマンダーの2着と健闘したものの、以降しばらくは重賞では連対できなかった。
だが、6歳になってトゥナンテは充実期を迎える。春の新潟大賞典(GIII)で3着となり、続く愛知杯(GIII)ではブルーエンプレス以下をおさえて重賞初制覇を成し遂げると、北九州記念(GIII)、秋には毎日王冠(GII)に優勝して堂々、天皇賞(秋)に駒を進めた。
毎日王冠優勝から天皇賞(秋)というローテーションは、父サクラユタカオーが天皇賞(秋)を制した時と同じだったが、テイエムオペラオー、メイショウドトウの好敵手同士のワンツーの後塵を拝しての3着と、残念ながら天皇賞(秋)親子制覇の夢は潰えた。その後、右前脚に屈腱炎を発症してターフへの復帰は叶わなかったため、結果的に天皇賞(秋)がトゥナンテ最後のレースとなった。
引退後は、北海道苫小牧市のノーザンホースパークで一旦は乗馬の道を歩み始めるが、この馬の血を残したいという関係者の動きにより、2003年に静内町(現・新ひだか町)のレックススタッドで種牡馬入りする。
日本競馬の一時代を築いたテスコボーイの代表産駒の1頭であるサクラユタカオーは、テスコボーイの後継としてスプリンターズS(GI)馬のサクラバクシンオーや、桜花賞(GI)、オークス(GI)ともに2着のユキノビジン、エリザベス女王杯(GI)に優勝したサクラキャンドル、安田記念(GI)、マイルチャンピオンシップ(GI)勝ちのエアジハード、オークス馬ウメノファイバー等、多くの活躍馬を輩出してきた。トゥナンテにも、テスコボーイから続くサクラユタカオーのサイアーラインを受け継いでいくという期待がかけられたのも理解できる。
だが初年度(2003年)の38頭を最高に、それ以降、20頭、2頭、4頭、2007年から2009年までは0頭、2010年に1頭と厳しい状況が続き、産駒も福山競馬場のキングCでウィナーズディアが重賞勝ちを収めた以外は、これといった活躍馬はいなかった。試情馬(アテ馬)をしていた時期もあったが、種牡馬引退が決まり、2013年11月28日にレックススタッドを後にして、鹿児島県姶良郡湧水町のNPO法人ホーストラストに向けて出発した。
触れあってファンになった方も
海を2回越えて北海道からの長旅を終え、鹿児島県のホーストラストに到着したのは11月30日。「牝馬がいると馬房の中で鳴いていて、とてもうるさかったですね」とホーストラストの大野恭明さんは、やって来た当初のトゥナンテについて振り返った。
種牡馬晩年は種付けをほとんど行っていなかったとはいえ、去勢をされずにスタリオンとして長年過ごしてきたわけだから、牝馬に反応するのも仕方ないことだった。12月に入って去勢手術が施されると、月日を追うごとに落ち着きが出てきて、人に対しても優しく大らかになっていったという。
「スタッフが放牧地に入っていくと近寄ってきますし、誰でも触れあえる馬でした。食いしん坊でしたから、こちらに寄ってくるのは人参を持っていないかなと思っていたのかもしれないですけどね」
ホーストラストでは10頭程度のグループで放牧されているのだが、トゥナンテと同じ放牧地には、やはりサクラユタカーを父に持つヴァルベール(セン26)という馬も一緒だった。父が同じだけあって2頭の顔がよく似ていたため「大きい方がトゥナンテですよ」と訪ねて来るファンには説明していたそうだ。
ホーストラストの一員になった翌年の6月1日には、トラストの先輩タイキブリザード(セン・2014年8月18日23歳で他界)とともに、熊本県八代市にあるウインズ八代の「馬とのふれあいイベント」にも登場した。
「ブリザードもカメラに向かってポーズを取っていましたが、どちらかというとトゥナンテの方が人に対しては安心できましたね(笑)。人懐っこくておっとりしていましたし、サービス精神が旺盛でした。その時に触れあってトゥナンテのファンになったという方もいたほどです」
▲ウインズ八代での「馬とのふれあいイベント」、タイキブリザード共に
栗色の雄大な馬体に大きな白い流星、クリクリとした愛嬌のある瞳で近寄ってこられたら、ファンになってしまうのもわかるような気がする。
そんな人懐っこいトゥナンテだが、馬に対してはまた違った一面を見せていた。
「最初は牝馬が大好きでしたけど、そのうちセン馬でも大丈夫になりました(笑)。クレバー(セン27)という同じ栗毛の馬と一緒にいることが多かったですね。馬同士で争うことはなかったですけど、他の馬に寄って来られてもひるみませんでした。ドッシリとしていて、他の馬には負けない気の強さがありました」
愛嬌があって可愛いトゥナンテは、気の強さも兼ね備えていたからこそ、重賞を3つも勝てたのだろう。
最期はスタッフ全員に見守られて
トゥナンテが鹿児島の地を踏んで1年が経過して、年が明けた2015年に同馬は20歳を迎えた。
「当初は環境に慣れなかったのか痩せた時期もあったのですが、1年経ってだいぶ馴染んできたようで、餌も良く食べていました。最近ではパンパンの張りのある良い体になっていたんですよね」
張りのある馬体で毎日元気に過ごしていたトゥナンテの体に異変が起きたのは、4月24日だった。食欲が落ち、体温が上昇していた。獣医師の診断の結果は、心臓の機能が低下する心内膜炎、及び腎不全だった。かかりつけの獣医師に引き続き治療してもらうのと並行して、鹿児島大学の先生にも相談をした。
体温は下がったが食欲は戻らず、水もほとんど口にしない状態が続いた30日の夕方、それまで立っていたトゥナンテが横たわっていた。スタッフたちは何とか立たせようと試み、トゥナンテもそれに応えようとしていたが、2度と立ち上がることができないまま、17時30分にトゥナンテは息を引き取った。スタッフ全員に見守られながらの静かな旅立ちだった。
ホーストラストは、競走馬や乗馬、繁殖など、さまざまな役割を終えた馬たちが、自然あふれる環境の中で馬らしく余生を過ごす場所だ。当然ながら高齢馬が多く、その地で一生を終える馬たちばかりだ。それを十分過ぎるほどわかってはいても、一緒に過ごしてきた1つの命が消えることは辛い出来事に違いない。
「トゥナンテは本当に良い子だったんですよ。それにリュミエール(牝25)という馬も立て続けに亡くなってしまったこともありますし、本当に残念ですね」、大野さんの無念で寂しいという気持ちが、電話を通して伝わってきた。
遠方からトゥナンテに会うために訪れたファンもいた。前述通り、ウインズ八代のイベントでファンになった人もいた。競走馬を引退し、種牡馬の道から退いてもなお、たくさんの人々にトゥナンテは愛され続けた。「トゥナンテと触れあった人たちは皆『癒される』と言っていました」
その姿はもう地上にはないが、芯が強くて人懐っこい栗毛の馬体と大きな流星を持った1頭の名馬は、人々の心に永遠に生き続けることだろう。
(取材・文:佐々木祥恵、写真提供:ホーストラスト)
※NPO法人ホーストラストは見学できます。
〒899-6201 鹿児島県姶良郡湧水町木場6340-70
電話 0995-74-1333
事前連絡は前日までにお願いします。
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