池上昌和調教師
赤見:まずは開業おめでとうございます。調教師として踏み出したわけですが、実際に開業してみての感想はいかがですか?
池上:今は忙しいの一言です。父も調教師で、新規で受かった先輩方の話も聞いていたけれど、想像以上でした。牧場に行く回数が増えたし、経営者としてやらなければならないことも増えたし。家内が事務的なことをサポートしてくれるので、本当に助かります。
赤見:お父様である池上昌弘調教師からは何か言われました?
池上:父からは開業に当たってと言うより、この世界に入る時に一言だけ、「思っている以上に厳しいからな」って言われました。でも、そう言われてもわからないですよね。若かったですし。
赤見:お父様は騎手時代にメジロアサマやトウショウボーイに騎乗された経験もありますから、子供の頃から競馬界に憧れていたんですか?
池上:それが、あまり信じてもらえないんですけど、父が何の職業なのか高校生になるくらいまで知らなかったんです(笑)。両親の実家が東京にあって、僕はそこで育てられたので。父は単身赴任という感じでした。競馬とは全く関わりのない環境で、父も母も競馬の話はしなかったし、家にトロフィーや口取り写真もなかったんです。
池上昌和調教師「あまり信じてもらえないんですけど、父が何の職業なのか高校生になるくらいまで知らなかったんです(笑)」
赤見:えぇええ?! そうだったんですね。そんな環境から、どうして競馬の世界に?
池上:大学も理系に進みましたし、普通に就職活動をして内定もいただいていたんです。大学に入ったくらいから乗馬クラブに行ったりして馬と接する機会はあったんですけど、自分でもまさかこの世界に入るとは思ってなかったです(笑)。ただ、大学4年になって具体的に進路を考えた時に、そういう選択になって。蛙の子は蛙ってことですかね。
赤見:ご両親の反応はいかがでした?
池上:表向きの大反対はなかったですけど、そういう環境で育てたってことは、内心ではこの世界に入れたくなかったんでしょうね。かなりびっくりしてた部分と、覚悟を決めてた部分があったと思います。それで、大学の卒業式の3日後にイギリスへ行きました。特にツテもないし、両親も助けてはくれなかったので、まずは英語を勉強するために語学学校に入ったんです。ケンブリッジの学校で、たまたま近くにニューマーケット(世界最大の競馬の町)があったという。
赤見:え? 普通はニューマーケットが近くにあるから、ケンブリッジの学校を選ぶのでは?
池上:オックスフォードとケンブリッジで迷ってて、たまたまケンブリッジにしたんです。それくらい競馬のことを知らなかった(笑)。ニューマーケットが隣町だったので、競馬を見に行ってる時にたまたま日本人を見かけたりして、なんだかんだで繋がりができて。それで、いつの間にか現地の厩舎でアルバイトをするようになっていました。馬の知識も経験もなかったので、本当に1から教えてもらいました。僕は日本の競馬を知らなかったので、今でもそこがベースになっているんです。
赤見:なるほど。イギリスで武者修行をして、競馬学校へ?
池上:その後アメリカにも行ったりして、なんだかんだで3年勉強しました。そこから競馬学校に入って、卒業のタイミングでちょうど父の厩舎に空きが出たので、父の厩舎に入りました。
赤見:周りから何か言われませんでしたか?「坊ちゃん来たよ」みたいな。
池上:当時は年配のスタッフも多かったし、いろいろありましたね。ただでさえ息子が来るというだけで煙たいのに、海外帰りっていうのもあって、やり方や考え方が違う部分もあって。
赤見:長年の経験を積み重ねて来た人たちのプライドもありますもんね。
池上:ちょうどその頃、藤沢和雄先生の調教方法が藤沢流って言われたり、新規の調教師さんが新しいことを取り入れたりして、日本の競馬が変わろうとし始めていた時なんです。まだまだ古い考え方も根強かったですし、もちろんこれまでのやり方でいいことも多いですから、いろいろな人たちに教えてもらって、鍛えてもらいました。
赤見:昌和調教師といえば、昔から未勝利戦の時でも必ずスーツで馬を曳くというポリシーがありますよね。
池上:僕がこの世界に入った頃、大きなレースでスーツを着てる厩舎が出始めた頃だったんですけど、僕は未勝利戦でもスーツを着て曳いていたので、最初はだいぶバカにされました。「そんなことしたって馬は走らないぞ」って笑われて。でも、基本的にイギリスで見て来たことがベースになっていて、だからってカッコつけているというわけではなくて、スーツでパドックを曳くのは、馬主さんやファンにお披露目する場所で、馬たちをより良く見せるために必要なことだなって思うんです。今はかなり浸透しましたし、作業のしやすさという観点で厩舎ジャンパーのところとかもありますよね。そういうのもいいと思います。
池上昌和調教師「スーツでパドックを曳くのは、馬主さんやファンにお披露目する場所で、馬たちをより良く見せるために必要なことだなって思うんです」
赤見:お父さんの厩舎にいれば安泰だし、番頭的な立場で仕事もしていた中で、なぜこのタイミングで独立しようと思ったんですか?
池上:自分の年齢的なこともあるし、今は息子が厩舎を引き継ぐという時代じゃないですからね。勉強して試験に合格して、しっかりと実力をつけないとやっていけないし、自分自身で切り開いて行くしかない世界ですから。
赤見:開業してポンポンと2勝しました。好調なスタートですね。
池上:本当にたくさんの方々のお陰です。感謝の気持ちでいっぱいですね。初勝利は東京で挙げさせてもらったんですけど、新潟で臨場していたのでグリーンチャンネルモバイルで見てました(笑)。いいレースをしてくれるんじゃないかなとは思ったけど、勝ちそうな感じになってからは、直線が長いのでハラハラしました。いろんな方が祝福しに検量前に来てくれたんですけど、(臨場を頼んでいた)父が居たっていうね(笑)。2勝目は新潟だったんですけど、この時はいました。調教師として初の口取り写真なので、初勝利じゃないのを厩舎に飾ってます(笑)。レースを見ている気持ちも、やっぱり助手時代とは違いますね。今までは勝った負けたが強かったんですけど、今はまず何より無事に走ってくれて異常がないかっていう、そこが大きいです。
赤見:馬を育てる上でのポリシーは何ですか?
池上:ケガなく無事出走させる、そこには気配り目配りしています。そこに相反する部分で難しいのは、しっかり負荷をかけて調教しないと勝負できないということで、そのバランスが難しいのかなと思います。池上のところに預けて良かったと言われるような厩舎にしたいですね。そして、この世界に入ったからにはダービーを勝ちたいです。ファンの方にとっても、馬券の期待を裏切らないよう、きっちりと結果を出せるように頑張ります!
池上昌和調教師「ファンの方にとっても、馬券の期待を裏切らないよう、きっちりと結果を出せるように頑張ります!」