函館記念が行われた7月19日、グリーンチャンネルなどでプロデューサーをつとめるソブさんと大阪で合流し、高野山に向かった。昨年、私が初めて選考委員をつとめた優駿エッセイ賞でグランプリを受賞した中島龍太郎さんに会うためだ。中島さんは、高野山真言宗総本山金剛峯寺の僧侶なのである。
「以前高野山に来たときに食べたマグロが忘れられなくてねえ」とソブさん。
――標高800メートル以上の山の上で食べたマグロがそんなに美味しかったのかな。
と私が抱いた疑問に答えるかのようにソブさんがつづけた。
「高野山はパワースポットだから、山を登っているうちにマグロが美味しくなったんじゃないですか。赤身がトロになって。ハハハ」
「はあ」
生まれて初めて訪れた高野山は、響きから想像していた姿とはまるで違っていた。鬱蒼とした木々の奥、険しい崖に張りつくようにいくつかの寺院があるように思っていたのだが、山頂付近のかなりの面積が平坦になったそこは、舗装道路が整備され、荘厳な寺院と清潔で近代的な建物とが同居するリゾート地といった趣だった。
陽射しは強いが、暑くはない。北海道から直行してきた私でも涼しく感じたほどだ。100メートル登ったら1度下がると言われているのだから、気のせいではなかった。
中島さんと会うのは、優駿エッセイ賞の授賞式が行われた昨年のジャパンカップ当日以来だから8か月ぶりだ。
優駿エッセイ賞グランプリを受賞した中島龍太郎氏と筆者
昼食をとってから奥の院を2時間ほどかけて散策し、伽藍を参拝し、大師教会で御授戒という修業体験をした。翌日は金剛峯寺で阿字観という呼吸法や瞑想法などを体験したのだが、詳しく書きすぎると旅日記になってしまうのでこのくらいにしておく。
宿泊したのは、普段中島さんが寝泊まりしている密厳院だった。
「お部屋、もうひとつ用意しました」と中島さん。先週の本稿を読んでくれていたのだという。
密厳院の部屋でスマホをいじるソブさん。ここと、廊下をはさんだ部屋とに分かれて寝ることになった。
ソブさんはイビキがひどく、ライフワークの富士山撮影のため仲間と山小屋に泊まったとき、「絞め殺したくなった」と言われたこともあるという。
私は一睡もせずに朝を迎える覚悟をしていたのだが、助かった。が、夜中、トイレに起きたとき、壁の向こうからソブさんのイビキが聞こえてきた。それも、グーグーと2、3度爆音がしてからしばらく静かになり、またグーグーと始まる。間違いなく無呼吸症候群だ。私は熟睡できたのだが、翌朝、「いやあ、あまり深く眠れなかったようです」と言っていたソブさんが気の毒になった。
ところで、中島さんが競馬に惹かれ、また中国に興味を持つようになったのは、直木賞作家の浅田次郎さんの作品の影響が大きかったという。浅田さんと私は20年ほど前から競馬関連の仕事を一緒にしており、著書の構成を担当したこともある。それを中島さんも読んでくれていたのは嬉しかったし、競馬や活字を通じてのつながりというのは面白いものだとつくづく思った。
次の週末、というか、この稿を書いている今の話なのだが、多くの元競走馬が参加する世界最大級の馬の祭り「相馬野馬追」を取材するため福島県南相馬市に来ている。東日本大震災が発生した2011年に初めて来てから、これが5回目だ。
去年までは、東京電力福島第一原子力発電所事故の影響で、常磐自動車道を北上するルートが使えず、磐越自動車道の船引三春インターか東北自動車道の福島インターなどで降り、さらに1時間半ほどかけて山を越えて行かなければならなかったので、東京から5時間は見なければならなかった。が、今年3月1日に常磐自動車道が全線開通したので、遠回りせず、常磐道の南相馬インターまで一気に行けるようになった。都内で渋滞にハマったにもかかわらず、3時間半ちょっとで着いた。時間距離はずいぶん近くなったのだが、放射線量の問題がなくなったわけではない。
常磐自動車道には放射線量の表示が。高いところで毎時5.0マイクロシーベルト。
本稿で毎年フォローしている小高郷の騎馬武者・蒔田保夫さんが、野馬追のときいつも使っている武田厩舎で、明日到着する馬を迎え入れる準備をしていた。
また、昨年の野馬追リポートで紹介した、小さな侍・武田優心君も一緒に、馬房におが屑を敷いたり、水桶やカイバ桶を吊るす作業を手伝ったり、カイバをつくったりと汗を流していた。
右が蒔田保夫さん、左が武田優心君、手前が今村忠一さん。みな小高郷の騎馬武者だ。
小学2年生の優心君は3歳のときから野馬追に出ているので、今年が5回目だという……と書いて、今気づいたのだが、彼の初陣は震災の年、つまり私が初めて来た年だ。関わり方は違うが、野馬追デビューは、優心君と私は同期だったのか。
「おじさんのこと、覚えてるか?」と自分の顔を指さして優心君に訊いたら、首を横に振った。
「今年もまた写真をたくさん撮って送ってやるから、来年は忘れるなよ」と言ったら、「ハイ」と頷いた。
伝統の祭りは、もう始まっている。さあ、今年も楽しもう。