札幌の実家でこの稿を書いている。
先月付き添った検査で父の腎臓癌がわかり、専門的な治療ができる病院で受けた検査の結果を聞くために来た。そのほか、左の鼠蹊部(脚の付け根)に腫れ物ができ、組織検査をしてもらったところ、そちらも悪性腫瘍と判明。両者に関係があるかないか、詳細な結果を聞けるのが来週の木曜日(13日)なので、それまで札幌に滞在することにした。腎臓癌は3.5センチほどで、腹腔鏡で手術すれば入院も短く済むとのことだが、その前に、手術に耐え得る体力があるかの検査もしなければならないので、まだ時間がかかりそうだ。
入院中の母の病状は相変わらずで、特定疾患に指定されている進行性の大脳皮質基底核変成症という病気のため、寝たきりになっている。今年の1月ぐらいまではつねに私を認識できていたのだが、今は、1時間ほど病室にいて、呼気で「はっ」と返事を一度でもしてくれれば上出来、という状態だ。
去年の初夏あたりは、スマホにリンゴやミカンなどの画像を出して見せると、少し経ってから「インゴ」とか「あいひい(美味しい)」などと言葉にすることもできた。こちらの言っていることをだいたい理解し、話を聞いて笑うことも多かったのだが、少しずつ言葉が失われ、秋ぐらいになると、「あー」とようやく返事ができる程度までコミュニケーション能力が落ちてしまった。
年明けに熱を出してからまた認知能力がガタッと落ち、笑うところを見たのは、4月が最後になっていた。5月に胃ろうとCVポート埋め込みの処置をしてからさらに2ランクぐらいコミュニケーション能力が落ち、目をあけてこちらを見ていても私と認識できているのかわからない時間も多くなった。
ところが、そんな母の笑顔を、競馬ファンの理学療法士Mさんのおかげで、また見ることができた。
7月上旬に北海道に来て、セレクトセールを見てから母の病院に寄ったとき、前を通りがかったMさんが私に気づき、病室に入ってきた。母を担当していたのは前の病棟にいた昨春までなのだが、担当を離れてからもちょくちょく様子を見に来てくれているという。「Mさん」だけでは男か女かもわからないので少し説明すると、男で、おそらく30歳前後、語り口は優しいが、昔少しワルかったかも、という雰囲気の人である。
スマホで撮ったオルフェーヴルの初年度産駒や、その前週、社台ファームで撮ったダイワスカーレットと当歳の写真などをMさんに見せながら、馬券の話になった。
「ここ2週ぐらいはよかったんですけど、先週の日曜日に負けて、それまでのプラスを吐き出しちゃったんですよ」
ベッド脇に立ったMさんがそう言うと、母が少し体を動かした。顔を見ると、目尻を少し下げ、口をあけている。
「あれ? お袋、笑ってるの」と私が言うと、Mさんが頷いた。
「島田さん、前もぼくが馬券を外した話をするたびに、嬉しそうに笑っていたんですよ。獲った話をしたときは、『あ、そう』という感じで、つまらなそうなんですけど」
「ダメだよ、お袋。Mさんが勝ったときにも笑ってやらなきゃ」と言いながら、もう一度母の顔をじっくり見た。気のせいではなく、確かに笑っていた。
「Mさん、ありがとうございます。お袋が笑っているところをまた見られるとは思ってなかったんで」
「いえいえ。これからも外すでしょうから、島田さんに報告に来ます」
そんなやりとりがあってからひと月近く経った今週火曜日の夕方、私が母の病室に行くと、またMさんが来てくれた。
「やっぱり、夏競馬は難しいですね」とMさん。
「お袋、Mさん、まだ競馬やってるんだって」
反応がなくても話しかけることが癖になっている私が言うと、Mさんが、ちょっと驚いたような顔をした。
「あっ、島田さん、また笑ってますよ」
「本当だ……」
母は先月よりも、はっきりと笑っていた。
進行性の病気なので、発症したことが明らかになった2009年あたりから、何かが前よりよくなることはひとつとしてなかった。しかし、このとき初めて、母の笑顔が前よりよくなった、と思えた。
Mさんは、開催中でもそれほど頻繁に札幌競馬場に行くわけではないらしいが、ハープスターとゴールドシップで決まった去年の札幌記念はライブで見たという(そういえば、その馬券はどうだったのか、聞いてないな)。
私は、リニューアルされた札幌競馬場にはまだ行っていないので、Mさんとの話のタネを増やすためにも、今週末、足を運んでみようと思っている。