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引退馬の実態と業界内部からの問題改善への動き

  • 2015年08月31日(月) 18時01分
 8月は多くの3歳馬にとって、厳しい選別の季節である。9月になれば通常の未勝利戦は編成されなくなり、数少ない限定未勝利戦が組まれるだけ(今秋は28戦)。勝てなかった馬の大半は、登録抹消となる。地方競馬で再出発したり、繁殖入りする馬も多いが、問題は「乗馬」に転用されたと報告される馬。実際は多くが食肉として処理されている。こうした引退馬の実態は競馬界の不都合な真実で、長く変わっていないが、最近、業界内部から問題の改善に動き出す人々が現れた。

原発事故で生き残った馬


 昨年1月の中山金杯があった夜、筆者は東京・渋谷で1本の映画を見た。題名は「祭の馬」(松林要樹監督)。2011年3月の東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所爆発事故で、数奇な運命を迎えることになった競走馬を巡るドキュメンタリー作品である。

 映画の主役、ミラーズクエスト(牡8)は10年9月に中山の限定未勝利戦(ダート1200m)でデビューし、16頭中13着。勝ち馬から6秒6離された。地方の岩手に移籍し、水沢で3戦したが「9、9、6」。競走馬としてはお払い箱となり、福島・南相馬の馬主に食肉用に引き取られた。

 ところが、震災と津波で馬房が被害を受けた上、現場が福島第一原発から20km圏内にあったため、食肉転用が不可能になり、移動制限もかかった。同馬が主役となったのは、津波の際の傷から細菌が入り、局部が腫れてぶら下がったままの状態になったためだ。視覚的な印象は強かった。

 食肉転用はダメ。移動もできず、馬主も避難対象者で、馬房への立ち入りもままならない。進退窮まったが、北海道・日高の牧場が馬の一時預かり先として名乗り出たことで、同馬の運命も反転した。特例で馬の移動も認められ、日高に移動した。

 結局、南相馬に戻った同馬は12年7月、全国区の祭事「相馬野馬追」に参加する。「食肉転用不可」を示す烙印を押されたまま。詳細は松林監督の著書「馬喰」(河出書房新社)を参照されたい。相馬野馬追が、実は競走馬の食肉転用と不即不離の関係にある。同書はまた、野馬追を続けてきた地域社会の古い閉鎖的な素顔を明らかにしており、この部分も興味深かった。

生産縮小で不幸な(?)馬も減少


 JRAの競走体系は、重賞が毎年、少しずつ変わる半面、裾野の領域の大枠は変わらない。2〜3歳競走に世代当たり4500頭前後が投入され、勝ち上がる馬が約1300頭だから3割弱。勝てなかった馬の大半は前記の通り、繁殖入りか地方移籍、乗馬転用となる。乗馬転用組の相当数が実は食肉となる。また、繁殖に供された馬も、経済的価値が低いと判断されれば結論は同じ。

 現在、国内の生産頭数は7000頭を割り、昨年はサラブレッドとサラ系が6887頭。景気好転で底を打ったが、ピークの92年の12874頭(アングロアラブ含む)より約6000頭も少ない。地方競馬の廃止ドミノが最大の要因だ。地方は新しい馬が入りにくい分、現役期間は長いが、馬を使い捨てる現実は同じ。また、登録から1年走らない場合、「時効」として登録を抹消される。

 農水省が3月に発表した「馬関係資料」では、13年に中央から乗馬に転用された馬は1389頭。地方で乗馬転用か「時効」で抹消された馬は3423頭。合計4812頭のうち、相当程度は食肉として処理されたと思われる。「地方の廃止で行き場を失った馬が肉にされる」という俗論は全くの誤り。中央も地方も、「走らなければ肉」という前提で回っている世界だ。

 この種の問題を考える上で必読の1冊がある。95年末に刊行された「競走馬の文化史」(青木玲著、筑摩書房、現在は絶版)で、翌96年にミズノ・スポーツライター賞を受賞した。同書は軽種馬の生産規模が最も膨らんでいた時期の作品だが、1万2000頭のうち約3分の2が肉用に転用されているとの推定を示す一方、福岡のと畜業者の雰囲気も伝えている。松林監督の「馬喰」も同じ業者を取材し、と畜から解体処理に至る過程の現場ルポも出てくる。

 農水省の「畜産物流通統計」によると、昨年の馬のと畜頭数は13474頭で、過去5年は震災の影響があった11、12年を除くと、1万4000頭前後で推移している。90年代半ばには2万頭を超えていた。一方、食用目的で輸入された馬は、94年に1403頭に過ぎなかったのだが、13年は3707頭に増えていた。と畜頭数が6千頭規模で減った半面、輸入は2000頭以上増えており、肉用に供された競走馬は差し引きで数千頭は減ったと推定できる。近年、生産頭数が減った事実とも符合している。

 輸入種牡馬も事情は似ていた。シェリフズスターは98年の2冠馬セイウンスカイの父だが、同馬の活躍で注目された頃には、行方不明だった。86年の米二冠馬ファーディナンドも94年に輸入されたが、活躍馬を出せず、02年前後に文字通り闇に葬られた。この事実は米専門誌「ブラッドホース」に報じられて大きな反響を呼び、生産界も対応を迫られた。

 今世紀に入り、ラムタラやザグレブ(コスモバルクの父)など、日本で成績不振だった種牡馬の逆輸出が増えた。最近では、一定の特徴を持つ牝馬以外に関心を示さず、種牡馬としての正常な供用が困難だった02年米二冠馬ウォーエンブレムが、今年限りで供用停止。故郷の米国に輸出されることが決まった。

 この種の問題に対する米国社会の関心は並々ならぬものがあり、06年には国内で馬を食肉処理するためのと畜を非合法化する法案が成立している。法案の推進者には、80年代末に小糸製作所株買い占めでグリーンメーラー(高値での買い取りを要求する投資家)として名をはせたブーン・ピケンズ氏もいた。

競争から解放される有名馬も


 近年はこうした状況が様変わりしている。生産規模の縮小で、種牡馬入りのハードルが高くなり、活躍馬の乗馬転用が増えた。日本競走馬協会「セレクトセール」の会場として知られるノーザンホースパークには、ビッグネームが居並ぶ。06年のメルボルンCを勝ったデルタブルースや10年春の天皇賞馬ジャガーメイルもいて、ステイヤー不遇の時代を象徴している。また、各競馬場の誘導馬も、近年はかつての活躍馬が増えた。京都競馬場のビートブラック(12年天皇賞・春)、東京競馬場のサクセスブロッケン(09年フェブラリーS)など、有名馬は枚挙にいとまがない。

 また、96年に当時の軽種馬育成調教センター(BTC)が発足させた「引退名馬繋養展示事業」は現在、「功労馬繋養展示事業」に改称され、ジャパン・スタッドブックインターナショナルが引き継いでいる。中央の重賞か地方のグレード競走を勝ち、繁殖や乗用馬としての役割を終えた馬について、繋養費として月額2万円(当初は3万円)の助成を行うもので、昨年度当初の時点で213頭が助成対象になっている。

 同事業は従来、14歳以上が対象だったが、現在は10歳以上に対象が拡大され、また20歳、25歳、30歳の対象馬への特別助成金が新設された。加齢により、治療などの需要が増えることを踏まえた措置だ。

 要員不足で助成金の使途がきちんとモニターする態勢が取られていないなど、この事業にも問題はある。とはいえ、繁殖馬としての役割を終えた後は、ほとんどが闇に葬られていた時代に比べれば、透明性は増している。

 90年代のような競馬ブームは去っても、海外を含めて業界全体に多様な視線が注がれ、意識せざるを得なくなった面がある。ただ、これはどこまでも重賞を勝つような名の通った馬の話で、勝てずに現役を去るようなレベルの馬に関しては、推して知るべしである。

新潟競馬場内でパネル展開催


 こうした状況に、競馬会内部から一石を投じようとする動きがある。開催中の新潟競馬場のニルススタンド2階で、企画展「引退馬の余生を考えよう」と題したパネル展示が、9月6日の最終日まで行われている。企画展の実行委員長は飯塚知一・新潟馬主協会会長で、この問題に取り組んでいる3団体が、それぞれの活動を紹介するパネルを持ち寄っている。

 うち、認定NPO法人引退馬協会(沼田恭子代表)は、震災で被災した馬の救済事業にも取り組んだ老舗的な団体だ。一方、一般財団法人ホースコミュニティ(以下HC)は、代表が角居勝彦調教師(栗東)という点が目を引く。残る1つ、ローリングエッグスクラブ(代表=藤沢澄雄・北海道議)は、高齢馬の飼養を中心に、会員制の施設運営を行っており、現在は11頭を飼養中。9頭は20歳以上だ。

(→ホースコミュニティの代表を務める角居勝彦調教師のインタビュー)

 この種の団体が、開催中の競馬場のスタンドでイベントを開くこと自体、かなり異例のことだが、筆者が訪れた関屋記念当日の16日も、想像以上に多くのファンが立ち寄り、アンケートに回答する人も多かった。

 現場で話を聞いたホースコミュニティの山本高之・事務局長は「食肉などとして馬を利用することを否定はしていない」と前置きした上で、生きて活躍できる場の拡大を掲げる一方、「競馬ファンが馬とかかわらない日本の現状を変えるためのプラットフォームをつくり、裾野を広げて行きたい」と話す。注力しているのは障害者乗馬の普及で、HCの公式HPでは、リハビリ用の乗用馬の再調教施設や人材といったインフラ整備などを目標にしている。

 また、業界の川上に足場を持つビッグネームが主導している点を生かして問題を可視化し、競馬施行者だけでなく馬主、ファンの関心を高めることを目指している。

 飯塚会長は、馬主活動を始めた当初、成績不振で撤退を考えていた矢先に、シャドウクリーク(98年フェブラリーS3着)が現れ、賞金の一部を年金代わりに積み立て始めたという。同馬は22歳の現在も静かな余生を送っている。とはいえ、引退馬全ての面倒を見るのが不可能なことは、馬主という立場上、最もよく理解している。

 今回の企画の意図を、「まず知ってもらうのが大事」と説明。一般の家庭が馬どころか、大型犬さえも飼えない現状を踏まえつつ、助けられる命にアプローチする方法を探っていく考え方だ。馬の引退後を決めるのは馬主だが、こうした問題では「温度差が非常に大きい」と感じている。

競馬の「業」と向き合う


 競走馬、繁殖馬としての役割を終えた馬の処遇は、世界中の競馬施行国の悩みの種である。特に、乗馬のインフラが整っていない日本は、使い捨てが前提のシステムを容易には変えられない。この状況をどう考えるかは、個々人の判断の領域である。馬主や厩舎人の間でも、意見のスペクトラムは広く、中には飯塚会長の進める取り組みを「安っぽいヒューマニズム」と切り捨てる人も存在する。

 ただ、年間2兆5000億円近い売り上げで業界を下支えしているファンの多くが、馬を取り巻く現実を知らない状況は、アンバランスに思える。当事者が語らなかった背景には、「知れば競馬離れの要因になる」という懸念があった可能性が大きいが、個人的には健全な姿とは思えない。「問題の可視化」という企画の趣旨には、共感できるものがある。

 何をすべきかは難しい。国内の乗馬施設の多くは、実際に元競走馬を供用しており、乗馬の普及は誰の腹も痛まない改善策だが、インフラの不足に加え、馬術界に競馬を見下すような姿勢が見られる点も障害要因である。それ以外の引退馬保護策となると、必ずコストを伴う。現在の関係者の温度差を見ると、コンセンサスの形成は容易ではなかろう。

 多くの人が肉食を否定しないのは、人間の生存に直結しているからである。とすれば、競馬の立ち位置は難しくなる。本質的には娯楽の領域で、競馬がなくても世の中は回って行く。娯楽のために毎年、おびただしい数の動物の生命が消費されている現実をどう考えるか? 個人的には最小限、業界が2度とバブル期のように拡大(あり得ないと思うが)してはならないと考える契機にはなった。

※次回の更新は9/28(月)18時になります。
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1964年1月19日、東京都出身。87年4月、毎日新聞に入社。長野支局を経て、91年から東京本社運動部に移り、競馬のほか一般スポーツ、プロ野球、サッカーなどを担当。96年から日本経済新聞東京本社運動部に移り、関東の競馬担当記者として現在に至る。ラジオNIKKEIの中央競馬実況中継(土曜日)解説。著書に「競馬よ」(日本経済新聞出版)。

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