見た目よりはるかにタフだった馬場コンディション
18頭立てながら、ハンデの上下差がわずか5キロ(53-58)にとどまった大混戦を象徴するように、人気は大きく分散した。結果は、上位5番人気までに支持された注目馬はすべて着外。逆に掲示板に載った5頭は、すべて6番人気以下の伏兵だった。
接近した力関係に大きく明暗を分けた要因は、野芝で路盤の水はけのいい馬場状態は「稍重」でも、週末の雨の影響に加え、午後から雨足の強くなった表面の芝はたっぷり水分を含み、見た目よりはるかにタフな馬場コンディションだったことだろう。
芝の馬場状態が直前の10Rから「稍重」になって評価が上がったのは、先行してしぶとく粘る
マイネルミラノ(父ステイゴールド)。実際、事実上のレースの主導権をにぎったのは同馬で、2番手から抜け出し寸前まで粘ったマイネルミラノの前後半1000mは、推定「59秒5-58秒7」=1分58秒2(上がり34秒6)だった。
重巧者
アーデントにハナは譲ったものの、緩い芝状態を気にした馬が多いコンディションだったうえ、先行馬が少なかった。自身が気負ってペースを上げ過ぎてしまった函館記念と異なり、今回はペースを落とし、全体バランスとするとスローにも近い流れを作り、先行抜け出しに成功。寸前までは勝ったにも等しい内容だった。直線の長い新潟だからこそ、また雨で緩くなったコンディションだからこそペースを落とすことができ、望外のスローに近い流れ。柴田大知騎手が「あれで差されたのは口惜しい…」、残念がるのも当然、今回はめったに訪れることのないほど条件のそろった初重賞制覇のチャンスだった。残念、もうひとがんばりだった。
そのマイネルミラノの直後で先行馬ペースに乗り、あとは同馬を交わすだけ。そんな位置にいたのがM.デムーロの
パッションダンス(父ディープインパクト)だった。午前中は集中力を欠いたかのような物足りない騎乗が多く(本人いわく、裁決に呼ばれた)、「デムーロは早くも日本人化している」などと心配されるM.デムーロ騎手だが、午後のレース、とくにビッグレースとなると目の輝きも気迫も違って、本来のデムーロに戻る。巧みに進路を変えつつ、激しく追いまくってマイネルミラノをゴール寸前「アタマ」だけ差し切った。
パッションダンスは、これで新潟の芝【3-0-0-1】。2013年の新潟大賞典につづいて新潟の重賞2勝目(ほかに小倉大賞典)。ディープインパクトの産駒の中ではかなり渋いタイプで、中央場所での良績は乏しいが、7歳馬ながら今回がまだ17戦目【6-0-0-11】。陣営は「天皇賞・秋を視野に入れたい」と展望を広げている。特殊な成績が物語るようにここまではうまく条件がかみ合えば…のG3級だが、これで2000mで5勝となった。得意の稍重くらいの馬場になると、中央場所でも侮れない伏兵に浮上するかもしれない。
13番人気で3着に好走した
ファントムライト(父オペラハウス)は、全体に少しだけ時計を要するこういう馬場が合っていた。これで新潟芝【1-2-1-0】。内でうまく脚をため、スパートしたパッションダンスの後を追って、コース巧者ぶりを発揮しての善戦だった。再三の休養ブランクがあったから、6歳にしてはまだキャリア【5-3-4-6】。祖母はダイナカール。もうひと回りスケールアップしてくれる可能性がある。
後方から馬群を割るようにスパートした
ロンギングダンサー(父シンボリクリスエス)が、メンバー中最速の上がり33秒9を記録して4着。同じ6歳で、同じシンボリクリスエス産駒のアルフレードも最速タイの上がり33秒9をマークし、最後は外ラチ沿いまで進路を変えて7着に伸びてきたが、こちらはスタート直後に挟まれて下がるロスがあった。前半は出遅れた
ユールシンギングとともに最後方からの追走。直線のコース取りもうまくいかなかった。
混戦のなかで最終的に1番人気になったのは、3歳
ミュゼスルタン(父キングカメハメハ)。もう1頭の3歳馬
アヴニールマルシェ(父ディープインパクト)も差のない4番人気。ともに新潟2歳Sを出発にしたこの秋の期待馬であり、ここは軽ハンデを生かして欲しかったが、ミュゼスルタンは流れに乗った好位追走から、直線は早々といっぱいになって16着。一方のアヴェールマルシェは、3コーナーで他馬と接触してバランスを崩した不利(アブミが外れた――北村宏司騎手)があったのは事実だが、そのあとも伸びを欠いて15着に沈んでしまった。この世代の3歳馬攻勢はダートの条件戦を中心に目立っているが、このレースのように、発表以上にタフな馬場コンディションであったり、道中の厳しいしのぎ合いが問われては、キャリア不足が響いての凡走は仕方がないだろう。それにミュゼスルタンも、アヴニールマルシェも、あまりたくましさを誇るグループではないように映った。
2番人気
マジェステイハーツ(父ハーツクライ)、3番人気
メドウラーク(父タニノギムレット)は、そろってともに緩い馬場を敗因に挙げている。たしかに、「1分58秒2」の時計で決着するような優しい稍重ではなかった一面はある。表面の芝は水気たっぷりの、実際には他場の重馬場にも匹敵するような緩いコンディションであり、新潟の芝には、路盤の水はけが良すぎることも重なり、「重馬場」とか、まして「不良馬場」などまずないというのは本当であると同時に、マジェステイハーツも、メドウラークも、無理なく正攻法のレースでここまで失速したから、渋馬場は本質的に合わないのだろう。