
▲年内最後のコラム、テーマは「家族を通して感じる“騎手”という職業の重み」
家族を通して感じる“騎手”という職業の重み
2015年の競馬が終わった。
有馬記念はテレビで観戦していたが、吉田隼人騎乗のゴールドアクターが勝利。調教師、騎手、馬ともに、GI初勝利が有馬記念という珍しい結果に。ゴールドシップの引退レースでもあったが、結果的には世代交代を見せつけられるレースとなった(詳しいレース回顧は年明けに)。
まだ復帰の目途こそ立っていないが、自分は今、家族に支えられながら、リハビリに励む毎日だ。何しろ、右肩を上げられないから、自分のこともできることが限られるし、育児の手伝いも満足にできない。ただでさえ、小さな子供を抱えて大変な生活のなか、自分までが妻に負担を掛けてしまっている現状…。そんななか、ケガが少しでも早く治るようなレシピを研究して食事を用意してくれたり、嫌な顔ひとつせずに自分を支えてくれている。頑張りすぎてしまうタイプだけに、むしろ彼女の体が心配になるくらいだ。
今一番に思うのは、早く良くなって、少しでも彼女の負担を減らしてあげたいということ。感謝とともに、日々、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
自分が競馬に乗っている間は、「いざというときに連絡さえつけば、家にいる必要はない」と言ってあった。ただ、あの日は自宅で競馬を観ていたらしく、当然驚いただろうし、これまで味わったことのない恐怖を感じたことだろう。もちろん、事故が起こることも覚悟の上で結婚を決めてくれたはずだが、覚悟をするのと直面するのは、ある意味、別物だ。しかし妻は、自分のバレットからの第一報に取り乱すこともなく、自ら積極的に動いて病院の手配などを冷静にこなしてくれた。
病院で会った時も気丈にふるまっていたが、なにせあの落ち方。今思えば、「泣いたらいけない」と自分に言い聞かせて、何とか立っていたのではないか──そんなふうに思うと、改めてこの仕事を続ける意味を考えさせられる。
もちろん母親にも心配をかけた。ただ、彼女はそういう素振りを自分には見せない。夫も弟も落馬事故で騎手生命を絶たれ、そのうえ息子まで同じ道を選んでいるわけだから、覚悟というか、腹の据わり方が違う。いや、それは息子である自分が勝手に思っているだけかもしれないが、とにかく自分は、母親が泣いたり、辛そうにしているところを見たことがない。今回もそうだ。この年になって改めて思うが、本当に強い女性であり、尊敬の念のしかない。
昔も今も、そんな母親がいつも言う言葉は「もうそろそろ(ジョッキーを)辞めてもいいんじゃない?」。ある意味、母親の気持ちはその一言に集約されていると思うし、その気持ちは痛いほどわかる。だからこそ自分は、ジョッキーでいる限り、親不孝をしていることを忘れてはいけない。それは、今回の事故とは関係なく、ずっと前から思っていることだ。
今、なぜ自分が家族の話をするかというと、やはり2015年を振り返ったとき、自分も含めて今一度、“怪我をさせる覚悟”について、考えるべきだと思ったからだ。自分の落馬だけがきっかけではない。2月には後藤さんのこともあった。
競馬である以上、事故が起きてしまうのは仕方のないこと。そこで怪我をするのはもちろん、最悪“死”に至ることもあるのは、ジョッキーならみな覚悟の上だろう。だが、今自分が疑問に思うのは