このところ、業務上の必要にかられて、若い女性タレントの顔と名前を覚えなければならなくなり、困っている。
昔から私は、十朱幸代と栗原小巻、檀ふみと名取裕子、松嶋菜々子と松たか子といった女優の区別がつかず、とにかく「テレビで見る綺麗な人」として、頭のなかでひとつの枠におさまってしまうのだ。同じように可愛らしい女性でも、木之前葵と藤田菜七子なら間違えることはないのだが、堀北真希と有村架純は、今でもどっちがどっちなのかわからなくなることがある。
これがウオッカとダイワスカーレットなら、毛色も流星の形も間違えることはないので、要は、自分がどれだけ関心を持って見ているかによるわけだ。
藤田菜七子騎手といえば、浦和競馬場で初勝利を挙げた3月24日、サインをしたゼッケンを、関係者を装った男に持ち去られたことがニュースになった。
4日後の28日、母親に付き添われた51歳の男が、そのゼッケンを持って埼玉県警浦和署に出頭した。同署は男を建造物侵入の疑いで逮捕し、窃盗の容疑でも調べているという。
「デイリースポーツオンライン」に掲載された藤田騎手の口取り写真に、川崎競馬場の厩務員のみに配布されるポロシャツを着た男の後ろ姿が写り込んでいた。
この寒い季節にポロシャツ一枚になる気合いと、関係者になりすます演技力、嘘をついてサインを要求する図々しさを、もっとまともなことに生かせなかったのか。
同じ51歳の男として、情けなくなる。それ以上に、ただでさえイメージが悪い「51歳の男」という看板を、自らさらに貶めるようなことはやめてくれ、と言いたい。
数年前まで、私は、年齢を言うとほぼ例外なく「えーっ!?」と驚かれた。実年齢より10歳以上若く見られたからだ。
ところが、50歳になったあたりから、年齢を言っても何も言われなくなった。いつも、「おいくつですか」と訊かれるから答えているだけなのだが、何のリアクションもしないなら訊かないでくれ、とも思う。
ここ1、2年で急激に老け込んだのか。
それもあるだろうが、もっと重大なことにあるとき気づいた。それは、私が「50代のオジサン」という、ひとくくりの風景と同質のものになってしまった、ということだ。
仮に、今も10歳若く見えたとしても41歳だ。特に若い人にとっては、45歳と35歳の違いはわかっても、51歳と41歳の違いなんてわからないし、それ以上に、関心がない、つまり、どうでもいいのだ。
街を歩いていると、街路樹がある。プラタナスだったり、ケヤキだったりする。少し先には、青い地に白い文字で、例えば、直進すると環状七号線で、左が平和島方面であることを示す標識が見えたりする。
「50代のオジサン」は、もっと下の世代の、特に女の子から見ると、そうした街路樹や標識と同じような「街の風景」のひとつに過ぎないのだ。
あなたは、その街路樹がニレかコブシか、それともカリンか、樹齢何年で、どこで育って、いつここに植えられたのか……といったことに関心を抱くだろうか。
50代の男が自分について語るときには、そうした周囲の無関心に果敢に挑むことになるのだと自覚しなければ、いや、覚悟しなければならない。
ならば、せめて、例えば、初代ダービー馬ワカタカや、牝馬のダービー馬クリフジなどを送り出した下総御料牧場の事務所前のマロニエ並木のように、プロフィールに関心を持たれる風景になりたい。競馬や獣医学など、明治時代にヨーロッパから輸入されたハイカラなもののひとつとして、パリのシャンゼリゼ通りにもあるマロニエ並木が植えられ、それは今も御料牧場記念館の前に残っている。
マロニエか。まあ、いい。
そんなふうに考えるようになったから、最近、朝起きるのがつらいのだろうか。
藤田騎手のゼッケンを持ち去った51歳の男は、黙っていても風景にとけ込むいうか、風景の一部になり切ることのできる自身の実年齢を生かした、とも言える。
同い年の男として、もの悲しいというか、何とも言えない後味の残る事件だった。
来週は北海道の馬産地を回る。可愛らしい仔馬たちに会うのが楽しみだ。