(前回のつづき)
引退が決まって4日後に「アルドワーズの会」発足
広島県在住だった岡村さんも、北殿さん夫妻と同じく、吉備ひだまり牧場という養老牧場ができたと知って見学に訪れた1人だ。競馬ではなく、馬自体が好きだった。数年前、たまたま知り合いが競馬をすると聞いて、初めて競馬場に足を踏み入れた。「当たらないですし、馬券は買いません(笑)。競馬場ではもっぱら、馬を見ながらのんびりしています」と競馬観戦を楽しんでいる。
芦毛の馬が好きだった岡村さんは、ひだまり牧場に高知競馬から放牧に来ていたアルドワーズに一目惚れしてしまった。しかし、アルドワーズには脚元の不安がある。ひだまり牧場に休養に来ていたのも、そのためだ。もし競走馬として走れなくなってしまったらどうなるのか。不安に思った岡村さんは、ひだまり牧場の森光さん夫妻と話をするうちに引退した馬たちの厳しい現実を知る。
「あまりにも綺麗な馬でしたし、ここで会ったのもご縁だと感じたので、何とかできないかなと思い、牧場を訪ねるたびに何か良い方法はないかを相談していました。その時に私と同じような方がいらっしゃるという話を森光さん夫妻に教えて頂きました」(岡村さん)
それがのちにアルドワーズの会を一緒に立ち上げる北殿さんの奥様だった。
2015年1月、岡村さんと北殿さんにアルドワーズが高知競馬場へと戻ることが決まったと、牧場から連絡が入った。岡村さんは11日に、北殿さんは帰厩前日の12日に吉備ひだまり牧場を訪れている。
北殿さんは、レース復帰へ向けての門出なのだからと「アルが安心して高知へ戻れるように、笑顔で送り出さなければ」と寂しい気持ちをおさえて「絶対に無事にいてほしい、脚が痛くなったらちゃんと先生に伝えるように…」とアルドワーズに話しかけた。涙が出そうになり笑顔が保てそうになかった北殿さんは、別の放牧地に移動し、他の馬と戯れて気を紛らわせた。再びアルドワーズの放牧地に戻ると、離れた場所で草を探しては食んでいたはずなのに、北殿さんの姿を見つけて駆け寄ってきた。
「それまでは『あっ来たな』という感じで人参を持っていないと寄ってこなかったのに、その日に関しては人参がなくてもすぐに寄ってきて、ずっとくっついて離れようとはしなかったんです」(北殿さん)
その姿に自分を受け入れてくれたように感じた北殿さんは「絶対にこの子は手放してはいけない。アルのお母さんになりたい。ずっと守って一緒に生きていきたい」と心の底から思い、この時に「この馬を引き取る」という最終的な覚悟ができた。森光場長に頼んで、引退後は引き受けたいという旨を、高知の田中譲二調教師や馬主にも伝えてもらった。
▲「引退後は引き受けたい」アルドワーズの周りで温かい思いが高まっていった
復帰に向けて調教をしていたアルドワーズの引退が決まったという知らせが届いたのは、高知競馬場に戻ってから約2週間後だった。やはり脚元の状態が芳しくなく、レースには復帰できずに競走生活にピリオドが打たれた。翌29日夕方、アルドワーズは吉備ひだまり牧場の地を踏んだ。
「その時もまだ北殿さんとはお会いしていませんでしたし、本当にバタバタしてしまって。でも1人では無理でも2人なら何とかなるという思いが強かったんです」と岡村さんはアルドワーズの引退が決まった当時を振り返る。一歩踏み出すのには、勇気が必要だった。しかし助けたいという気持ちが勝った。何より、同じ志を持つ北殿さんという存在がいるというのも心強かった。
突然の引退に慌てたものの、岡村さんと北殿さんの動きは早かった。「青い瞳のアルドワーズ」というブログ、「大好き!アルドワーズ」というタイトルのFacebook、「アルドワーズの会」のツイッターを開始。そして吉備ひだまり牧場の森光さん夫妻をまじえて、会費をいくらにするのか、会報や広報はどうするのか、高知から岡山までの馬運車代、去勢などこの後の必要経費などをどう捻出するかの話し合いがなされ、2月1日付けで「アルドワーズの会」が発足した。引退が決まってからわずか4日後のことだった。
まずはSNSを使って、高知から岡山までの馬運車代と去勢代の寄付を募ると、多くの人々が募集に応じ、15万円という目標額を達成できた。2月6日からは、1口月額2000円(複数口申し込み可)で「アルドワーズの会」の入会受け付けを開始。
「キャロットクラブでアルドワーズに出資していた会員さんなど、この子のことが好きで覚えてくださっていた方や、ひだまり牧場さんを応援されている方、SNSの写真を目にして芦毛で可愛いからと入会してくださる方など、現在は16名の会員さんに支えられて運営することができています」(北殿さん)
馬は出会う人によって、運命が左右される。引退した馬たちの取材をするたびにそう感じてきたが、アルドワーズもまた、出会った人々によってその運命が決定付けられていた。
「アルドワーズはラッキーな馬ですよね」と岡村さんも話をしていたが、当のアルドワーズはそんなことはどこふく風。初対面の私がカメラを向けても右に左に後ろに前にと、馬房内で自由に動きまわり、シャッターチャンスはなかなかやって来ない。「気ままな芦毛の王子様」そんなフレーズが頭に浮かんだ。けれども北殿さんの奥様が目の前に行くと、途端に表情が変わった。話しかければ耳を傾け、手を伸ばせば大人しく撫でさせるといった具合に…。芦毛の王子様は、自分に本当に愛情を注いでくれる人をしっかりと見分けているのだった。
アルドワーズが吉備ひだまり牧場の正式な一員となって、およそ1年半が過ぎた。吉備ひだまり牧場の森光さん夫妻の愛情こもった管理と会の支援のもと、病気ひとつすることなく、元気に毎日を過ごしている。また6月末には岡村さんが、吉備ひだまり牧場のある吉備中央町に広島県から移住してきた。
「毎月2、3回、広島から通うのも大変でしたし、出身地の岡山に前から帰りたいという気持ちはあったんです。アルドワーズに会いに通ううちに、吉備中央町は何て素晴らしい街なんだろうと心惹かれました。年に1回のアルドワーズのお誕生日会の時に、全国から来られた会員の方に寄っていただけたらなという思いもあって、移住を決めました」(岡村さん)
昨年に引き続き今年4月に開かれたお誕生会には、神奈川県や静岡県からも会員さんが集まり満8歳を祝った。来年のお誕生会時には、岡村さん宅でアルドワーズの周りに集まってきた人々がさらに親交を深めることもできそうだ。
アルドワーズという1頭の馬の存在が、岡村さんや北殿さん夫妻の人生に変化をもたらした。そしてその存在は、関わる人々の生きがいや癒しともなっている。アルドワーズにまつわる取材を通して、馬の持つ不思議な力を改めて実感させられた。
▲アルドワーズと笑顔で写真におさまる北殿さん夫妻
そしてアルドワーズを繋養している吉備ひだまり牧場の森光さん夫妻もまた、馬によって人生の針路が決まったと言っても過言ではない。
(次回へつづく)
※吉備ひだまり牧場
(現在、一般見学は中止しています)
HP
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