ゼロから馬の学校をスタートさせた野口佳槻さん
即戦力となる人材を輩出していくことを目指して
千葉県八街市にある馬事学院では、中学卒業後に馬を学びながら高校の卒業資格を取得できる東関東馬事高等学院と、厩務員や育成牧場への就職を目指す東関東馬事専門学院の運営を担っています。この高等学院には騎手受験特別コースもあり、これまで中央・地方の騎手学校に33名の合格者を輩出(荻野極騎手、木之前葵騎手など)。代表の野口佳槻さんに詳しいお話を伺いました。
赤見:まずは学校を設立したきっかけから教えて下さい。
野口:中学時代から、大阪にある杉谷乗馬クラブというところで乗馬を習って、高校卒業と同時に日本大学に進学し馬術部に所属していました。大学時代では、たくさんの馬術大会に出場させてもらいながらも、主将として活動していたからこそ、乗馬クラブや牧場・競馬関係者さんとの関わりも多くて、そんな中、当時の馬社会のしくみというのが、自分なりに、なんとなく見えてきたのもあったんです。そのとき、一番感じたことは、馬を扱ってるすべてのフィールドで、それを担う人手が不足しているというのが特に印象的だったんです。卒業後の自分の将来を考えていく中で、馬術選手としてではなく「馬のために何か…」、「馬社会に役立つ何か…」をめちゃめちゃ考えてた時期でもありましたから。
騎手や厩務員は華やかで認知度も高く競争率も激しく、主に乗馬経験者の中から、その才能をもった人材を厳選し、プロに育てるJRAの競馬学校や地方競馬教養センターがあるのに、なんでかはわかりませんが、馬に興味を持って馬の仕事がしたいと思う未経験者から育てる機関がどこにもなく、その時に、裾野に向かっての取り組みが急務だと、大学を卒業したら、そんな学校をつくれたらなとずっと思っていました。
大学を卒業してすぐに、乗馬クラブを間借りして、お客さんが多い週末は乗馬クラブの運営を行いながら、お客さんが少ない平日の馬と施設をうまく活用し、馬業界を目指そうと思う若手たちに、馬の手入れやひき馬、エサや厩舎作業、騎乗などを教えて業界に送り出そうとしたわけなんです。馬の世界をめざす未経験者にいろいろ経験させてみて、その経験を培っていくことで、未経験者と働き手を求める業界との懸け橋になっていくと思ってね。
しかし、そこがちょっと甘かったわけですわ。しばらくすると、実際の現場からは、「馬経験者」というレベルに留まらず、「即戦力」という現場ですぐに活躍できる人材への需要が高まってきたんです。もっと良いもの、もっともっと…って感じにね。その時に、それに絶対応えたろって。その要望に応えるためには、やっぱり乗馬クラブ運営の傍らではなく、本格的な教育環境、学校スタイルに変えていかないとって思って、当時、馬術競技場として運営していた東関東ホースパークのオーナーに直接相談したんです。その趣旨を1番に理解して、明日からでもいいよって、一発で承諾してくれたんです。今から7年前のこんな出来事から、今の東関東馬事高等学院、東関東馬事専門学院がスタートしたんですよ。
赤見:学校をゼロから作るというのはかなり難しいと思うのですが、どんなことが大変でしたか?
野口:何もかもが手探り状態からのスタートですからね。そんな明確な事業計画や、それを証明する実績なんていうのはありませんでした。行政などからの支援や銀行融資なんかも頼れず、当時はとにかく「人を育てたい」という熱い思いを伝えるのに必死でした。ある意味、“石橋を叩いて渡れ…”っていうことわざがありますけど、石橋を叩いてる時間もないし、叩いて割れたら渡られへん!っていうくらいの発想じゃないと起業なんてできませんよ。とにかく当時は、今やれる事をって全力でやったんです。
それに、ゼロからのスタートで目に見える学校の姿が実在している訳ではないんで、ここでチャレンジしようと思う生徒自身も、そこに理解してくれた親御さんたちも、僕という人を信じてくれて、娘や息子の将来を僕に託してくれた恩は一生忘れられへん。その第1歩があってこその今ですよ。生徒にやってあげたいという自分の夢を膨らます事より、当時今やれる事をまずしっかり…。徐々に学校を大きくしていくにつれ、生徒にやってあげたいことを徐々に取り入れ、その両方のバランスを維持しながら進めるのが意外と僕には難しかったですね。なんせ、僕は思ったらすぐやりたい性格なもんで。我慢して我慢して基盤を作っていくってのは、大切なことなんだけど、僕にとっては辛抱の時でした。
赤見:今年で8年目になるそうですが、ここまで広がった要因は?
野口:馬に関わることを希望する若者自体が少ない訳ではないので、比較的資料請求者や体験入学者を集めることはそれほど難しくなかったですね。でも、集まってくれた若者たちに、楽しさだけをアピールするのではなく、むしろ馬を扱っていく仕事の大変さや、生命ある動物や他人の貴重な財産である競走馬を扱っていく中で、自分へのプレッシャー、体力面、精神面を鍛えないとやっていけない世界だっていう真実を伝えることが大事で、そういう過程において、担当馬がレースでデビューした時の感動や勝利した時の喜び、それが自分の仕事としてのやりがいや生きがいとして捉えることができるのかどうかを入学前に判断してもらうことをとにかく優先しました。良いことだけ並べて、その時に生徒がたくさん集まっても、そこの心構えがしっかりしてないと入学してからやめたり、就職して続かなかったり、それじゃまったく意味ないですからね。
特に、うちは設立時から毎日ブログを更新してるんですよ。周りからは、「毎日同じことやっているのに、よくネタが切れないね」って言われるんですけど、馬の学校に限らず学びの場所だったら、日々の生徒たちの成長の具合や、ちょっとした変化は必ず存在するはずなんです。うちのスタッフたちは、そこにちゃんと目を向けて生徒の様子を毎日見てるからこそ、毎日尽きないブログのネタが山ほどあるんです。8年でここまで大きくなったのは、辛抱してここまでついてきてくれた生徒や卒業生たちの活躍の大きさだと僕は思います。
赤見:カリキュラムというのはどう作っていったんですか?
野口:1年目の生徒は、たった4人からのスタートだったんで、この子は騎手を目指しているからこれが必要、厩務員を目指しているこの子にはこれが必要、という風に、個々に合わせたカリキュラムをその場その場で作ってました。カリキュラムに縛られて授業をやるのは僕らも面白くないし、それを受けてる生徒はもっとつまらんと思いますもん。生徒に応じてカリキュラムが決まるんであって、うちはそんな感じでやってますから。その子に必要って思ったら、すぐに何でも取り入れることがうちの売りでもあります。自分がちゃんと責任をとれる範囲であれば、誰の決裁も必要ありません。但し、週に1度はスタッフミーティングを行ってます。個々の生徒の状況やスタッフの考えをみんなで共有することは絶対必要だと思うので。うちはみんなオープンです。言いたい事言ってるからしょっちゅうぶつかってます。ぶつかった先に今必要な本当の答えが出てくるもんなんです。
赤見:現在は他にもいくつか馬の学校がありますけれども、この学校の売りと言えるカリキュラムはありますか?
野口:ほかを全部調べたわけではないんで、細かいことはわからないんですが、1ついえるのは、うちは高校生と専門学院生を東関東馬事高等学院と東関東馬事専門学院という枠組みに分けて、その目的に応じた指導をしています。高校生と専門学院生ではそもそも目的が違うから、それをごちゃまぜにしてしまうと生徒も困るだろうけど、先生も授業をしにくいと思いますもん。
あともう1つの売りは、うちは、学校というバーチャルな環境で養殖スタイルではなく、可能な限り、うちに協力して頂いている牧場さんと提携し、在学中にインターン(職場実習)にどんどん生徒を出すようにしてるんです。もちろん、生徒のレベルを見ての段階的にではありますけど、学校で管理する約30頭もの競走馬も、生徒たちの手によって育成しています。あくまで、うちは即戦力となる人材を輩出していくことを目指してますから、基本的には何でも経験して、どんどん失敗して勉強できるのが学校の特徴と思っています。現場に出てから失敗してたら意味ないですもん。
赤見:先生も馬関係の方々なんですか?
野口:生徒も様々ですが、先生も様々です。僕も現役でバリバリ馬に乗ってますし、主任の横田先生はどんな馬でも乗りこなす超ベテランで、少し怖そうなイメージがある先生ですが、生徒一人一人に非常に熱くて優しさをもった先生で、イメージとのギャップがたまりません。騎手をめざす生徒たちを指導してる岡本先生は、まだ若い分、上から目線ではなく15,16歳の騎手受験生たちの輪の中心に入って指導するタイプなので、お兄ちゃん感覚で騎手受験生からめちゃめちゃ慕われてるんです。あとは、女性のスタッフも多く、生徒一人ひとりをしっかり見てくれてます。そのほか、生徒たちの栄養面を常に考えてる食堂スタッフや、生活面もしっかりサポートしてる事務スタッフなど、計24名ものスタッフが生徒を支えてるんです。人材を育成している学校が、人材不足じゃ話になりませんからね。
赤見:卒業生の中から騎手になった生徒が増えて来ましたね。名古屋の木之前葵騎手もそうだとお聞きしました。
野口:葵ちゃんは、もともと違う学校に在籍してたんですよ。JRAの試験で落ちてしまってその後の進路で悩んでいる状況をお母様と電話で話した後、2〜3日後には本人と保護者とお会いしました。うちの学校は翌年の4月に開校予定だったんですけど、そこまで彼女の受け入れを延ばす理由がないし、とりあえず住めるプレハブだけ用意して、0期生という形ですぐに迎え入れてみたんです。葵ちゃんは、そんな手作りのプレハブを見て僕たちの思いはしっかりわかってくれたと思います。今のように寮や食堂もないし、とりあえず最低限の生活ができる場所をつくり、うちの自宅でご飯を作って届けてたりしてたんで、一番想い出に残ってる生徒でもあります。
高校2年生の冬に地方競馬の騎手課程を合格した時は、もう言葉にならないくらいうれしかったです。葵ちゃんの世代では、門別の阿部龍騎手、大井の瀬川騎手、船橋の塚本騎手などが活躍してくれています。今の大きな学校規模になっても、当時のこの状況が今の学校の原点です。現在、名古屋競馬場に所属する木之前葵騎手にも、今の後輩たちが育てたバジガクシリーズの馬たちに騎乗してもらってます。「いつか、学校で育てた馬を葵ちゃんに乗ってもらうからな」っていうのが、合格が決まった葵騎手と僕との約束だったんです。
赤見:全寮制の学校ということで大変なことも多いのでは?
野口:知らないもの同士が今までの家庭環境から離れて一緒に生活していくわけですから、最初は何もかもが不安でたまらないですよね。みんながそんな状況だからこそ、徐々に周りの子が「友達」になって、馬に乗ったら最高の「ライバル」になるんです。普段の学校生活では、「仲間」となって、卒業のころには本当に一生忘れられない「親友」にまで発展していくもんです。昨年までは2人1部屋の共同部屋でしたから、得るものも大きかったんじゃないですかね。時代の流れとともに、うちも来年度からは原則1人部屋になっちゃうんですけど。
約100頭の馬たちが立派な先生をしてくれる騎乗訓練
赤見:先生となってくれる馬たちを揃えるのも大変だと思うのですが。
野口:最初生徒の教材として活用できる馬は5,6頭しかいなかったんですけど、今や競走馬も含めて、約100頭の馬たちが立派な先生をしてくれてます。現役競走馬だけでなく、引退した馬たちも積極的に引き受けてるんです。丈夫な馬だけでなく屈腱炎や骨折など競走馬としては致命的な怪我や病気の馬も、時間をかけて治せるものなら、できる限り引き受けたいんです。だから、普通なら再生するまでの経費がかさむような馬は、乗馬クラブでは引き取ってくれないんですけど、うちの学校なら骨折のレントゲン写真を撮って勉強したり、腱の炎症や腫れの治療を行って、少しずつ回復してきた様子を見ながら、再び乗用馬として騎乗できるようになった時の生徒たちの喜びはもう半端じゃないですよ。馬も救えたという喜びと同時に、生徒たちにも命をつないだ貴重な経験になりますしね。
赤見:足元が悪くてもいいというのは大きいですね。
野口:そうですね。うちにやってくる競走馬を引退した直後の馬の6割は、足元に何らかの故障を持ってます。基本的に競走馬を引退した直後は元気いっぱい、パワー全開の状況ですから、インターン実習を控えている2年生、3年生にとっては最高の教材になるんですよね。そうした馬を扱えないと、現場に行ったらそれだけで戸惑うだろうし、学校でやってないことを現場でやれって言われても、生徒自身も対応できませんからね。だんだん学校の環境にも慣れておとなしくなってきた馬たちは、乗馬や馬術方面を目指す生徒たちによって、再調教のうえ馬術大会に出場させたり、まだ初心者である1年生のレッスン馬として活躍するようになります。馬術大会で活躍すると、それを見たたくさんの乗馬クラブさんなどから「売って欲しい」という声を頂けるようになります。売却することで得る貴重な資金は、また次の引退競走馬の受け入れや怪我や病気の治療費にも充当することができますしね。引退馬たちのセカンドキャリアに繋げることができるシステムが、生徒たちがいることでこの学校では自然に出来上がっているんですよ。
夢に向かって覚悟と決断をもって、親元を離れて頑張る生徒たち
赤見:生徒たちの熱意というのはいかがですか?
野口:今の若い子は、、、って言ったらあれなんですけど、昔とちがい様々な情報を簡単に入手できる時代だからこそ、本当に個性も豊かです。そうした個性に対して、古い体質の考えでは、みんな枠からはみ出てしまう。そもそも日本の学校の多くは、教育の枠内に生徒を詰め込もうと必死ですよね。生徒たちからしたら、それがストレスとなって学校が嫌になってしまう。うちの高校を選んでくれる多くは、中学3年次までに自分のやりたい事、夢に向かって覚悟と決断をもって、親元を離れて頑張ろうという姿勢があるから来てくれるわけで、枠内に収まる子を「普通の子」と表現するなら、むしろそこから飛び出すくらいの「特殊な子」が多いんです。その特殊性を認めてあげることで、生徒たちは心を開き、何事も探求してどんどん知識を増やしていきます。うちの高校は、明蓬館(めいほうかん)高等学校というユニークな高校と連携していて、生徒たちが存分に興味あることに打ち解けられるよう、形だけの定期テストは取り入れてないんです。そんな環境だからこそ、生徒もイキイキしてますよ。
赤見:では、今後の展望を教えて下さい。
野口:これからは、この学校の生徒たちの学習成果をもとに、馬と若者をテーマに社会に何か貢献していこうと考えてます。例えば、生徒たちも手伝ってくれながら開催される年間10回ほどの馬術大会の売上金の一部をプールし、全国で乗馬をやっている高校生を対象とした交流馬術大会をやったり、生徒たちが育てたバジガクの冠名を持つ競走馬の獲得賞金の一部を使って、幼稚園や小学生たちにポニーのひき馬や、地域でのイベントを企画したり、ホースセラピーとしての活動に取り組んだり。生徒たちともいろいろ考え中なんです。僕を含めスタッフ、生徒たちも馬がいるから自分たちが食べていけるし、技術や知識を馬から与えてもらったと考えてるんです。ですから、今度は馬たちからお世話になった私たちが、馬を尊重し、競走馬を引退した馬たちもちゃんと生きていける道を開拓し、馬と人、人と馬が共に生きて行ける環境を生徒たちと一緒に作っていきたいと考えています。