私は、馬や犬、猫の顔を間近で見たり撫でたりすると、いつも同じことを思い、胸のなかで語りかける。
――お前、顔まで毛だらけで大変だな。
目の周りにも、頬にも、毛がびっしり生えている。何万、何十万というすべての毛の根元には毛穴があり、少しずつ毛を押し出しながら脂を分泌し、呼吸をしているわけだ。
顔を水で洗っても、私たち人間が得ているような水のさらりとした感触や、表皮の汚れを洗い流してくれる爽快感や、直接的な冷たさなどは、すべて、あの毛によって遮断されたり、弱められたりする。私たちが髪を洗うようなものか。もし、私の顔が急に毛だらけになったらいろいろ不都合が生じるだろうが、馬や犬、猫たちにしてみれば、昨日きょう顔が毛だらけになったわけではないので、当然、不都合でもなんでもない。
話が妙な方向に行きそうだが、何が言いたいかというと、人間と馬やそのほかの動物とでは、感覚の常識とでも言うべきものが当たり前に違っている、ということだ。同じように五官があり、喜怒哀楽の感情があっても、その振り子の中心点だったり振れ幅や振れる方向はてんで異なっている。
ということを、先週、雪の降るなか行われた中京や京都の競馬を見て思った。
雪の舞うパドックを歩く馬たちの多くが、わさわさと落ちつかない動きをしていた。曳いていたホースマンがどう感じたか訊いてみたいところだが、多くの馬は、雪が降って喜んでいたように見えた。
――わー、雪だ、雪だ。
という感じで、空からしんしんと雪が舞い降りるなか、仲間と一緒に歩くことを楽しんでいたのではないか。ほとんどの馬が北海道で生まれ育ったので、ふわふわと舞う白いものがなんであるか、わかっている。
降りつづく雪で視界が悪くなり、傷んだ馬場を走るのは嫌だったかもしれないが、雪そのものを、馬は案外嫌がらない。嫌がらないどころか、雪が積もった放牧地に出ると、夏場に砂浴びをするような感じでゴロンと横になり、体を雪にこすりつけてはしゃぎはじめる。
私は、もし自分の顔も体も毛に覆われ、裸で生活していたとしたら、おそらく砂浴びも雪浴びもしない。札幌出身の私は、子どものころ、道路脇の新雪の上に両手足をひろげてダイブし人形(ひとがた)を残したりしていたが、あれはウケ狙いでやっただけだし、顔まで毛だらけだったら自重したと思う。
ともかく、人間の感覚を物差しにして馬を見ると、わからないことだらけである。
しかし、違うこと、わからないことがたくさんあるからこそ、それらを相手の個性として尊重し、どうにかして理解しようと努力する。
1月20日付の「スポーツ報知」終面で、1901(明治34年)1月の同紙(報知新聞)に掲載された「20世紀の予言」が紹介されており、「電話口に対話者の肖像実現する装置」(スカイプなどで実現)だとか「悪寒を調和するため適宜の空気を送り出す機械」(エアコンや空気清浄機で実現)といったものがあるのだが、そのひとつに「人と獣との会話自在」というものがある。「獣語」の研究が進み、小学校に「獣語科」の授業ができ、犬、猫、猿などと自由に対話ができるようになる、と。
残念ながら、と言うべきなのか、それは実現されていない。馬とコミュニケートするには、犬、猫、猿と同じように、表情や仕草、耳や尾の動き、鳴き声、触れ合っているときの反応などで気持ちを読みとるしかない。いわゆるボディランゲージである。
たまに「お帰り」と言う猫や、「ごはん」と言う犬などもいて、自分の発する言葉の意味をある程度理解しているようだが、基本的に、言語によるコミュニケーションは人間から動物への一方通行で、相手の理解を深めるために声音や口調に変化をつけたりする。
相手(動物)側も同じ感覚でいるかどうかはわからないが、こちらにとっては、相手のわからない部分、想像するしかない部分が残る。だから、接するとき慎重になり、ときにおっかなびっくりになるわけだが、実は、言葉が通じる人間同士でも、そうしておっかなびっくりになり、想像するしかない部分が多くなることで、より相手のことを考え、思いやることもある。手っとり早い手段で通じ合えないからこそのよさもあるのだ。
とはいえ、もし私が馬語を話せるようになったら、馬に訊いてみたいことはたくさんある。
牡と牝を見間違えたことはないのか。体を水洗いされたときと、砂場で転がったときの気持ちよさはどう違うのか。馬は暑さより寒さに強いと言われているが、本当のところはどうなのか。背負った瞬間、55キロと56キロの斤量差を感じるのか。馬にも花粉症があるらしいが、自分の競走能力に影響していると思うか、などなど。
そのほか、故郷で一緒だった馬や人の消息や、走りを見て勇気づけられた友人がいることや、普段接している人の気持ちなどを伝えたい。
先述した報知新聞の記事が出てから116年後の状況は、こんなところだ。100年後、人馬のコミュニケーション法や、競馬の形はどうなっているだろうか。報知の記事が出た6年後の1907年にイギリスから輸入された小岩井の牝系が今も脈々とつながっているくらいだから、来世紀も基本的にはこのままだと思われるが、もし、100年後の書き手が何らかの手段で本稿に行き着いたら、ぜひ答えを書いてほしい。