1月30日に行われたJRA賞の授賞式は、年度代表馬キタサンブラックの北島三郎オーナー、主戦の武豊騎手らがいたこともあって、とても華やかだった。
JRA賞が創設されたのは、日本中央競馬会がCI戦略で「JRA」の略称を用いるようになった1987年だった。であるから、年度代表馬や馬事文化賞などを含むJRA賞は、2016年度がちょうど第30回だった。
ちなみに、武豊騎手がデビューしたのも87年だったので、彼は、30年目の節目に年度代表馬の主戦として表彰されたわけだ。
私にとってJRA賞は、授賞式や、その後のパーティーで、こういう機会でなければゆっくりお話しできない人たちに会える貴重な時間でもある。
授賞式の受付で渡された座席表に従って座ったら、隣に作家の吉川良さんがいて「年に一度会いますね」と言われた。少し経って、吉川さんと逆側の隣に腰掛けたのは、同じく作家の亀和田武さんだった。亀和田さんとは、90年の春、テレビ朝日の深夜番組にともにゲスト出演してから、数年に一度か、多くても年に数回だが、お会いするようになった。
パーティー会場で、お世話になっているアナウンサーの長岡一也さんと、歴史学者の本村凌二さんが談笑していた。本村さんは、01年『馬の世界史』で馬事文化賞を受賞し、現在は同賞の選考委員をしている。もちろん私は知っていたが、ご挨拶したのは、今回が初めてだった。
その本村さんが、昨年上梓した『競馬の世界史』(中公新書)を送ってくださった。私は2月24日に出す新刊のゲラチェックで鬼のように忙しかったのだが、ちょっとのつもりでパラパラめくったら止まらなくなり、あっと言う間に3分の1ほど読んでしまった。
自分がなんとなく気にしていたことに関する「へえ」と「なるほど」が出てくると、どうしても先が気になり、ブレーキをかけることができなくなってしまう。
最初の「へえ」は、第1章「古代民衆の熱狂――競馬の黎明期」の「戦車競走は古代オリンピックの花形であった」という一文だった。戦車とは、複数の馬が曳く戦闘用の馬車で、古代オリンピックとは、紀元前から古代ギリシアで行われていた祭典である。紀元前648年の第33回大会から騎乗馬による競走も始まったのだが、裸馬によるレースは戦車競走に比べて迫力に欠けていたらしく、何より人気を集めたのは、4頭立ての戦車競走だったという。
歴史上最初に大衆を熱狂させたレースは、私たちがいつも見ている競馬の原型ではなく、繋駕(けいが)の原型とでも言うべき競走だったのだ。あるいは、F1を頂点とするモータースポーツの原型と言ってもいいのかもしれない。
馬券発売をともなう繋駕は今でも海外では行われており、私も、90年代に米国シカゴのスポーツマンズパーク競馬場で見たことがある。ひとり乗りの馬車を、1頭の馬がトロッター(速歩)で曳いて走る。自動車のルーフに設置されたゲートとともに走り出し、トップスピードになる直前でゲート車が加速しながらゲートを閉じてコースから離れる。コースは1周1マイルほどの楕円形で、コーナーにはバンクがついている。繋駕はナイター開催で、あまり治安はよくなさそうな印象があった。繋駕をしないときには砂でバンクを埋め、普通の平地競走が行われているとのことだった。
かつては日本でも馬券を売る繋駕競走が行われていた。初代ダービージョッキーの函館孫作は、平地で輝かしい成績をおさめてもなお繋駕に出つづけた。1936年に騎手免許を取得し、日本初の女性騎手となった斉藤すみがデビューする予定だったのも繋駕だった(が、帝国競馬協会が「女子は風紀を乱す恐れがある」として出場を認めなかった)。競走馬の当日輸送や、ゴム腹帯、エアロフォームなどを導入した故・浅見国一元調教師も、繋駕に出たことがあったという。
戦後も繋駕速歩競走は開催されていたのだが、中央では1968年の中京、地方では71年の盛岡を最後に廃止された。古代オリンピックで花形だったころとは逆に、騎乗競走のほうが、スピード感と迫力で圧倒的に上回るようになったからだろう。
これまで私は、馬は、人間の戦争の形を変え、ひいては世界の勢力図を塗り替える力となってきた、と書いてきた。その最初の例が、屈強な騎馬軍団で支配勢力をひろげ、13世紀にモンゴル帝国の初代皇帝となったチンギス・ハーンであるかのように記してきたのだが、騎馬による戦いの前に、馬が曳く戦車による戦いもあったわけだから、ヒトとウマとは、本当に長きにわたる戦友だったのだ――ということに、あらためて気づかされた。
私も歴史、競馬史が大好きなのだが、興味や知識が相当偏っている。『競馬の世界史』は、そんな頭のなかを気持ちよくシャッフルし、また新たな興味を抱かせてくれる一冊だ。
さあ、自著のゲラ修正に戻ろう。と思ったら、今度は、伊集院静さんが新刊『東京クルージング』を送ってくださった。帯に「著者が忘れることのできない友へ送る感動の物語」とあり、冒頭にニューヨーク・ヤンキースに所属していた松井秀喜選手(当時)が登場する。なのに、奥付の前頁に「この作品はフィクションです」とある。どういうことだろうと思って読みはじめると、作中の「私」の名字は「伊知地」になっている。なるほど、面白そうだ――が、仕事をしなくては。