今年の皐月賞は、1着が7番人気のエポカドーロ、2着が9番人気のサンリヴァル、3着が8番人気のジェネラーレウーノという結果だった。78回目を迎えた皐月賞の歴史において、3着までに5番人気以内の馬が1頭も入らなかったのは、今年と、サニーブライアンが勝った1997年だけだった――ということを、発売中の「週刊競馬ブック」5月21日号の「データカプセル」を読んで知った。
その1997年春の牡馬クラシックはどんなムードだったのか。
同年の第57回皐月賞は、1着が11番人気のサニーブライアン、2着が10番人気のシルクライトニング、3着が12番人気のフジヤマビザンと、2桁人気の1-2-3フィニッシュで決着した。
サニーブライアンは、年明け初戦の若竹賞2着、ジュニアカップ1着、弥生賞3着、若葉ステークス4着。そこから中2週で皐月賞を迎えていた。単勝51.8倍の11番人気にとどまったのも納得だ。
そのサニーブライアンが、どうして皐月賞を勝つことができたのだろうか。この疑問は同時に、サニーブライアンはどうしてクラシック前哨戦で脆い負け方をすることがあったのか、という疑問でもある。
デビュー戦からずっと手綱をとっていた大西直宏騎手(当時、以下同)によると、この馬はハナを切れば最後までしぶとく伸びるのだが、スタートダッシュはあまり速くなかったという。負けたレースはすべて、ほかの馬に先手をとられ、ハナを切れなかったレースだった。そのまま好位につけて、最後に前をかわし切れるほどの瞬発力はなかった。
初速の遅い馬でハナを切るには、途中からじわっと先頭に立つしかない。それを最もスムーズにできるのは、他馬に包まれない大外枠だ――と考えた大西騎手は、皐月賞の枠順抽選会で「大外18番が出てくれ」と念じてガラガラを回した。すると、本当に18番の玉が出た。
皐月賞では考えていたとおり、じわっとハナに立ってスローに落とした。途中でほかの馬に前に行かれた場面もあったが、再度ハナに立って、逃げ切った。
勝ちタイムは2分2秒0と遅く、2着に首差まで詰め寄られるギリギリの勝利だった。「フロックだ」という声もあり、大西騎手自身も正直、そう思ったという。
波乱になったのは、1番人気のメジロブライトも2番人気のランニングゲイルも追い込み馬だったため、展開が合わなかった、という面もあっただろう。
大西騎手にとって、皐月賞の結果は、ダービーに向けた自信につながるものではなかった。ところが、皐月賞からダービーまでの6週間で、サニーブライアンは驚くほど状態がよくなり、反応に鋭さが出てきた。クラシック制覇に必須と言われる「成長力」を秘めていたのだ。
ダービーの枠順抽選会でも大西騎手がガラガラを回した。なかに入っているのは全部18番だという気持ちで回したら、またも18番の玉が出た。
フルゲートが20頭以上の多頭数だったころは、馬群が殺到する1コーナーで行き場をなくし、そこで終わった馬も多く、「ダービーは運のいい馬が勝つ」と言われていた。フルゲートが18頭になってからはあまり聞かなくなったのだが、大西騎手とサニーブライアンは「運」にも味方された。
第64回日本ダービーで、サニーブライアンは単勝13.6倍の6番人気だった。
比較的速いスタートを切ったサニーブライアンはスムーズにハナに立ち、長手綱で折り合いをつけた。
ひとり旅をつづけて最後の直線。大西騎手がゴーサインを出すと鋭く加速し、ラスト400m地点で2馬身ほど抜け出した。ラスト200m地点で後続との差は4馬身ほどにひろがり、「サニーブライアン強い!」という実況が響くなか、さらに脚を伸ばす。最後は2着馬が1馬身差まで追い上げてきたが、まったく危なげない走りで、文字どおり、後続に影も踏ませず逃げ切った。
勝ちタイムの2分25秒9は、当時歴代4位という好タイムだった。
今年と同じように、ずっと「混戦」と言われていたのだが、終わってみれば、史上20頭目の春の二冠馬が誕生していた。
しかも、主役不在のように思われていながら、この年のダービー出走馬をあとになって見直すと、錚々たるメンバーが揃っていたのだ。
2着シルクジャスティス(3番人気)はその年の有馬記念を、3着メジロブライト(1番人気)は翌年の天皇賞・春を勝つ。4着エリモダンディー(8番人気)は古馬重賞を2勝し、5着ランニングゲイル(2番人気)は武豊騎手とのコンビで注目されていた。7着マチカネフクキタル(11番人気)は菊花賞馬となり、9着サイレンススズカ(4番人気)は翌年の宝塚記念などを制する「稀代の快速馬」だ。
今年の皐月賞馬エポカドーロは、サニーブライアンのようフロック視されていなかったりと、21年前と構図は異なるが、「終わってみれば、すごいダービーだった」と言われそうな素質馬が何頭もいる。
サニーブライアンが勝ったときのように、あとで思い出しても鼓動が高まるような好レースを期待したい。