▲今回お話を伺った保利良次調教師(兵庫)。的場文男騎手と同期
ついに、日本記録更新です!的場文男騎手が8月12日、大井競馬場で地方通算7152勝目を挙げ、佐々木竹見元騎手(川崎)の持つ地方競馬通算最多勝利記録を更新しました。来月には62歳になるとは思えぬエネルギッシュな騎乗で昨年まで33年連続で年間100勝を達成。そしてついに日本記録を更新したのですから、ただただスゴイの一言ですよね。「同期としてホンマ嬉しい」と目尻を下げるのは元騎手の保利良次調教師(兵庫)。「21人いた同期で今も騎手や調教師をしているのは5人だけ」といううちの1人です。騎手としての原点とも言える地方競馬教養センターでの1年間を2人はどんな風に過ごしたのでしょうか。保利師の半生を振り返りながら当時の様子を語っていただきました。
僕らは「花の20期」
保利師と的場騎手が地方競馬教養センターに入学したのは1972年秋。
現在の2年制と違い、当時は1年間の授業を経て卒業、デビューだったと振り返ります。
「僕は中央の淀を経て園田で下乗りをしてからの入学だったので、的場よりは1コ年上でした。最初の半年は乗馬、後半の半年は競走実習。馬に全く乗ったことがない子もいましたよ。在学中に技能審査があるんやけど、たいがい1位は山崎尋美(川崎、現調教師)やった。上手くて、それを見て闘志が湧いたよ。的場や僕とかが2〜3位を争う感じだったね。的場は馬乗りに徹していたよ。昔の先生は厳しくてね〜、まぁ悪いことをするから怒られるんやけど(笑)。早川先生という教官がいらして、馬乗りが上手で指導も厳しかったです。同期21人、みんな耐え抜いて1人も脱落者がいなかった。今でも『花の20期』って言われていて、北海道から九州まで、僕はリーディングジョッキーにはなれなかったけど、みんなほとんどリーディングを獲ったんじゃないかな」
国内最高齢騎乗記録を更新中の森下博騎手(川崎)騎手もいる「花の20期」。
切磋琢磨の1年間を経て、同期たちは全国各地の競馬場へと散らばっていきました。
保利師は下乗りをしていた園田・姫路競馬場へ。
「デビューして乗るのが楽しかったし、嬉しかったね。レースでいっぱい乗せてもらうのが嬉しくて、土台を築くまでは寝る間も惜しんで調教をしよったね。深夜12時くらいから、1頭でも多く乗れるようにってね。厩舎にも恵まれて、最初の頃からようけ乗せてもらったよ」
▲現役時代を思い返す「寝る間も惜しんで調教をしよったね」
デビューから10年が過ぎた頃、保利師はビクトリートウザイという馬に出会います。
「強かったよ〜。重賞7勝。ハナに立つまではガ〜っと掛かり気味だけど、ハナに立ったら今度はふわっとして遊んでた。だから、直線では前を向くより『どっちから来るかな?』って左右を見ながら乗っていましたね。一番の思い出はビクトリートウザイで楠賞全日本アラブ優駿で2着に負けたこと。悔しくってね〜、その時に勝ったのが同期の森下(勝ち馬イソナンブ)やったんよ。あの頃は携帯電話も普及していない時代で、同期がいま何勝しているとかも詳しくは分からへんかったからライバル視とかはそんなになかったけど、やっぱり一緒に乗った時は負けたくなかったよね」
保利師は1994年に騎手を引退。
その理由は多くの騎手が抱える悩みであり、的場騎手もそうだっただろうと言います。
「僕は体重が重たくて、56kgに乗るのに4kg落として乗っていたから、そろそろ潮時かなと思って引退しました。教養センター時代から重たくってね、お小遣いでお菓子を買いに行けるんだけど、週1回の体重測定の日までは食べて、直前に減量したりしていたよ(笑)。的場も背が大きいから体重にちょっと苦労した時があったと思うよ。そんなに食べていないと思う。やっぱり根性があるんやろね」
「財産」という的場騎手との勝利
21人いた同期のうち現在も騎手・調教師を続けているのは5人だといいます。(的場騎手、森下騎手、山崎調教師、新田守調教師・岩手)
保利師も調教師試験合格直後に阪神淡路大震災を経験しながらも、厩舎を開業して約22年が経ちました。
昨年9月、通算2000勝以上の騎手を招いて行われたゴールデンジョッキーカップでは保利師の管理馬ディナミックに的場騎手が騎乗。
逃げてレースを引っ張りますが、3〜4コーナーで赤岡修次騎手にビッタリと並びかけられます。2頭の追い比べは直線に入っても続き、一旦は交わされますが、「的場ダンス」と称される渾身の鼓舞で差し返し、ハナ差で勝利しました。
▲2017年9月7日ゴールデンジョッキーカップ(c)netkeiba.com
「いや〜嬉しかった。直線では声が出ましたね。記憶に残るし、財産です。この時の口取り写真は自分の部屋に飾ってるんよ。的場の独特な追い方で差し返してくれたからね。教養センター時代はキレイなモンキー乗りやったと思うけど、今のフォームは自分でつくった乗り方やろね。あの年で、それも南関東で勝ち抜いていくには自分の特許みたいな感じでああやって努力していかないと生き残っていけないんでしょう。膝をボンっと押したら馬が動きよるもんね。今年の春に武豊騎手が弟の幸四郎厩舎の馬に乗る時に頭を下げたのも絵になったように、同期コンビで勝てたのは嬉しかったね」
お話を聞いたのは日本記録更新の2日前。
「近くやったら駆け付けて握手をしたいよね。うちらも競馬があるから行かれへんけど、崎谷彦司って同期がいつも音頭をとってくれるから、記録を更新したら何かしてくれるんじゃないかな。これまでも東京で同期が集まって教養センター時代の話とかいろいろ盛り上がったよ。ほら、的場と森下がまだ現役やから東京でね。来れるんやったらみんな集まってお祝いをできたら嬉しいね」
▲同期と挙げた勝利は格別「記憶に残るし、財産」(撮影:桑原勲)
日本記録更新前でさえ保利師はとても嬉しそうに同期・的場騎手のお話をされました。かつてのライバルはいま、同期の誇りとなり、日本記録保持者となりました。
本当におめでとうございます。