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ベルーフがやってきた!ジオファーム八幡平 引退馬の未来になくてはならない代表の存在(2)

  • 2018年09月25日(火) 18時00分
第二のストーリー

▲ジオファーム八幡平で暮らす馬たち。手前からアレックチュ、プリンコ、ブレイド、グレイトフルマッシュルーム(提供:ジオファーム八幡平)


経験豊富なジオファーム八幡平代表・船橋さんの転機とは


 中学生の頃から馬に魅せられた船橋さんは、それ以降、ずっと馬に関わってきた。自分の馬も所有するようになり、21、2歳の頃は大阪でトラックの運転手をしたり、実家のお好み焼き屋の手伝いをしながらも、馬に乗り続けた。大阪を拠点にしている時は大阪乗馬協会に愛馬を預託していたが、途中から那須トレーニングファームに馬を移動させて、大阪から会いに行くという生活もしている。その後、船橋さん自身も那須トレーニングファームで働き始めた。

「そこから競走馬の仕事をする流れになりました」

 那須トレーニングファームでは、競馬の障害競走に出走するための障害調教も行っているが、船橋さんも障害馬を目指す馬たちの調教に携わるようになっていた。

「那須トレでは、競馬も競走馬術と捉えていて、馬体を収縮させて伸ばす方向が前だけという観点で障害調教を行っています。つまりしっかりトモ(後ろ脚)を踏み込んで、そこからの運動方向が上ではなく前方に行く…、そういう馬を作っていました」

 那須トレーニングファームでは、競馬の世界ではまだ一般的ではなかった輪線運動を取り入れ、アバラの部分を柔らかくするトレーニングも行っていた。

「その当時は当たり前だと思ってやっていました。ここ数年トレセンにお邪魔する機会があるのですが『昔はそういう運動はしていなかった』という話もよく聞きます。今は普通にトレセンでも行われているようですけどね」

 私個人では、このコラムを書き始めてから競馬の世界を飛び出して乗馬施設を取材をする機会が増えたが、馬という共通点があるにもかかわらず、競馬の世界と乗馬&馬術の世界は近いようで遠く、超えられない溝があると常々感じてきた。それでも那須トレーニングファームのように、長年に渡って競馬も競走馬術ととらえて調教を行ってきたり、馬術部出身者が競走馬の世界に足を踏み入れるケースが増え、船橋さんが言うように競馬の世界に乗馬&馬術の技術が取り入れられるようになってきたのは事実だ。

「競走馬のコンディショニングやレースに向けてギリギリに攻める競馬は断トツにシビアですね」と船橋さんも取材の中で話していたが、競走馬の日常の管理やコンディション作りなどを乗馬の世界が積極的に取り入れていけば、馬の状態はもっと良くなるのではないかと僭越ながら思うこともある。まだ溝は埋められてはいないが、今後乗馬と競馬の世界がもっと距離を縮めて交流が盛んになれば、馬たちの未来も良い方向に変わっていきそうな予感もしている。

 それだけに競馬界と乗馬界の現状を考えると、乗馬と競走馬の世界の両方を知り、引退競走馬たちの馬糞堆肥を使ってマッシュルーム作りを手掛ける船橋さんは、馬にとっても馬に関わる人にとっても貴重な存在であり、引退馬のセカンドキャリア、サードキャリアの世界においては、なくてはならない存在になりつつあるようにも思う。そんな船橋さんが馬糞堆肥を使用してのマッシュルーム作りに辿り着くまでには、まだ紆余曲折があった。

第二のストーリー

▲ジオファーム八幡平代表の船橋慶延さん(提供:Creem Pan)


 那須トレーニングファームで障害調教だけではなく、鞍付けや馴致を経験したことが転機となった。

「これが面白くて一から学びたいと考えて、北海道浦河町のハッピーネモファームに就職しました。確か26、7歳だったと思います」

 北海道には愛馬も一緒に渡った。ハッピーネモファームはコンサイナー業務を行っており、1歳馬の曳き運動をするというのが主な仕事だったため、船橋さんの中にもっと馬に乗りたいという気持ちが募っていき、1年ほどでハッピーネモファームを退職。今度は日高町の加藤ステーブルに転職をした。
 
 ところで北海道にまで連れていった船橋さんの大切な愛馬はグレートカブキという名前だった。

「ハギノカムイオーの子で競走馬名はグレイトウォールでした。那須トレの広田龍馬さんがグレートカブキの名付け親なんです」

 馬に夢中になる前の船橋さんは、中学2年生までずっと子供歌舞伎に精を出し、毎日稽古に通っていた。これにちなんで、広田さんが命名したという。

 グレイトウォールという馬名に聞き覚えがあったので調べてみると、完走はできなかったものの1996年の中山大障害(春)や1996年の春と秋の東京障害特別(10着、9着)に出走した経験のある馬だった。

 1990年3月17日生まれの同馬の父はハギノカムイオー、母イズモサクラ、母の父ボールドリックという血統だ。北海道浦河町の福岡光夫さんの生産で、美浦の田村駿仁厩舎所属。通算成績が35戦2勝(いずれも障害戦で勝ち星)という成績が残っている。その馬がグレイトカブキと名前を替え、今度は馬術の障害飛越へと舞台を移し、船橋さんを背に競技会に出場し、活躍をしていた。

 北海道では勤めていた牧場にグレートカブキを置かせてもらったり、新ひだか町にあるライディングヒルズ静内に預けたりして、仕事では育成馬や競走馬に跨り、愛馬にも乗るという日々を送っていた。

「加藤ステーブルはとても良い環境で仕事もやりがいがあったのですが、自分の馬もいますし、やはり自分の居場所がほしいなと思うようになりました。それに試合に出たい、乗馬をやりたいという考えもありましたね」

第二のストーリー

▲引退馬のボロでマッシュルーム栽培をするジオファーム八幡平(提供:Creem Pan)


 そんな矢先に起こったのが2011年3月11日の東日本大震災。東北の被害が甚大だったこともあり、あまり伝えられてはいないが、北海道の太平洋沿岸にも津波が到達。被害も出ていた。

「理学療法士の妻はライディングヒルズ静内にパートに行っていて、ホースセラピーを担当していました。共働きなので2人の子供は保育所に預けていたのですが、子供たちを迎えに行くのが最後の最後になってしまい、このような生活形態は子供たちのためにも良くないと思いました」

 結果的にこの震災が、船橋さんの幾度目かの転機となり、ジオファームでのマッシュルーム作りに一歩近づくことになった。

(つづく)



ジオファーム八幡平 HP
http://geo-farm.com/

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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